2018年12月17日月曜日

『幸福感の統計分析』読書ノート(続)

 人はどういうときに「しあわせ」を感じるだろうか。人それぞれだし年齢によっても幸福感は異なる。この齢になれば、他人(ひと)に大切にされると嬉しいしわずかでも尊敬されていると感じると幸せ感は高まる。若いころは他人のことなど眼中になかった、ひたすら自己の向上を目指していた、所得も地位も知力も。
 これほど個人差のある「幸福感」を取り上げてそれを「統計分析」するということは、抽出されたデータの信頼性に『幅』があることを十分に知った上で結果を判断することが肝要になる。例えば若者ほど経済状況が悪化しているにもかかわらず、生活満足度が高い(古市憲寿)」という分析結果は「ある程度豊かになって成熟した社会(p93)」――現在の日本でなければ受け入れ難い。従って本書で取り扱われる「統計」は現代日本のデータに基づいていることを前提として読む必要がある。
 
2.統計分析から見える日本人の幸福感分析の基となるデータ及び分析手法の解説などは省略する
 先ず分析されるのは「物質的な豊かさ」についてだ。個人の所得が多くなること、そのための前提としての国全体の経済成長が個人の幸福感にどのような影響があるかを分析対象としている。後進国といわれている国で高度成長している状況にあればほとんどの国民はこの設問に「イエス」と答えるにちがいない。ではわが国ではどうなったのだろう。
 第2章 経済成長は幸福感を高めるか、第3章 お金があるほど幸せか
 「生産物の成長率が正でもなければ負でもない、というゼロ成長率を意味する「定常状態」(p44)」/「資源・環境の視点から定常経済が主張されたと同時に、倫理的な側面からも成長経済が批判されるようになった。これを「脱成長経済」と命名して、経済中心主義、生産中心主義、消費中心主義で代表される経済のあり方に批判を重ねたのが、フランスやイタリアなどのラテン系経済学者(セルジュ・ラトゥージュ、アルノー・ベルツゥー、ルイギーノ・ブルーニら)である。(p55)」
  「イースタリンの『幸福のパラドックス』…国の所得水準が上昇しても必ずしも人々の平均的な幸福感は上がらない(p56)」「『準拠集団の理論』…自分が豊かかどうかは、絶対的な豊かさだけではなく、周囲の人や目標とする人との比較による相対的な豊かさからも判断している、という考え方。ここでいう「準拠集団」とは自分が置かれた状況を比較するときに、比較の対象となる集団や人をさす(p56)」「昇進率の高いアメリカの航空隊では昇進できるという気持ちが強く現状に満足していないのに対して、昇進率の低い憲兵隊でははじめから昇進すると思っておらず現状に満足している(p57)」。
 予想されたとおりここ30年近く低成長がつづいてきた我国においては、その状態が「通常」の経済状況なのだとしているデータが大部分であったようだ。最近の無差別殺人の犯人がよく口にする「誰でも良かった、ムシャクシャしてやってしまった」などという心情は、他者との比較に圧倒されて、ステロタイプの幸福路線から落ちこぼれた「脱落感」「閉塞感」に支配された結果に他ならない。
 成熟社会に達したわが国においては「多様な価値観」を認め、それが実現できる環境を整備することが望まれているのではなかろうか。アメリカの航空隊と憲兵隊の幸福感の条は示唆に富んでいる。
 
 次の分析対象は「仕事」「余暇」「性別役割分担」である。現在では所得を得なければ生活ができないから「働かざるもの食うべからず」が当然とされ、仕事を苦痛と感じる人が多いから「余暇」の重要さが増し共働きが普通になってくれば「家事労働の役割分担」が幸せ感に影響を与えるようになっている。 
 
 第4章 働くことのよろこび、第5章 仕事のやりがいと満足度
 第6章 余暇から幸福を考える、第7章 性別役割分担と生活満足度
 「人が仕事の満足度を評価するときには、遊びやユーモアが求められて趣味との境界があいまいな仕事、そしてなによりも新しいことを先駆けて行うことが求められる仕事に従事するときにもっとも高い満足を感じるのである。/仕事をすることによって、他人が喜びを感じている姿に接して、自分も喜びないし満足を感じる/仕事の満足度は女性の方が高い、人生に前向きである、楽観的である(p97)
 「『やりがいの搾取』とは、企業が巧みな労働管理を行い、仕事を労働者にとって楽しくやりがいのあるものにして、低い賃金で満足させること(p103)労働者はその職務にふさわしいとされる感情を身につけさせられる。それにより、接客が楽しいこと、仕事にやりがいがあることが労働の一部になっていく。いわば、労働の場に自分の感情を持ち込むように求められている(p105)労働とプライベートを融合する労働管理/対人労働そのものではなく、趣味性、ゲーム性、奉仕性、サークル性、・カルト性という仕事の特徴が「やりがいの搾取」と関連する(p106)
 日本人の余暇活動の大半(6~7割)は遊興施設での楽しみに費やされている/経済の価値で評価すると、スポーツ活動よりも文化活動のほうが貢献している/趣味やスポーツに熱中しているときに充実を感じている人の比率が急速に高まっている(家族団らんの時がトップ―50%近い)/読書は日本人にとって親しみやすい余暇活動である一方で、ギャンブルやカラオケはごく少数の人しか楽しんでいない(p133)
 「既婚女性が家事と仕事の二重の役割を被っており、それが多大の負担になっている/下の世代は両立を目指すよりも専業主婦になりたいと願うようになった(p147)結婚によって生活満足度や幸福感が上昇することは多くの国で確認されている/結婚した時をピークとして、結婚後は生活満足度が低下していることを明らかにしている/女性の家計負担率が上り就労が増えるほど生活満足度が下る/配偶者の所得が高く、自分の家系負担が少なく、配偶者との情緒的関係が良好なほど、既婚女性の結婚満足度が高い(p150)」 
 本書で最も衝撃的な指摘は『やりがいの搾取』という概念である。サービス産業が増え、接客業務が仕事の主たる部分になる傾向が強いなかで、労務管理がここまで『侵食』しているという事態に空恐ろしさを覚えた。
 
 「幸福感」が個人的なものであるのだから「性格・パーソナリティ」の分析は欠かせない。
 第8章 幸せを感じるパーソナリティとは
 「ゴールドバーグはパーソナリティを「ビッグ・ファイブ」として①誠実性―仕事における勤勉さ、真面目さ②開放性―知的関心の高さ③調和性―対人関係における協調性④外交性―対人関係における積極性⑤神経症的傾向―不安の感じやすさ、を析出する(p167)対人関係においては、積極的であること(外交性)、また、物事のとらえ方に不安が少ないこと(自尊心、楽観性、神経症傾向)は、幸福感が高いことと関連がある(p169)所得がパーソナリティを規定し、パーソナリティが幸福感を規定している(p170)パーソナリティは、所得とは独立して、幸福感に重要な影響を持つことが示された。お金があろうと無かろうと幸せを感じることができる性格を人はもつことができる(p179)」
 
 以上が本書の概要である。
 国民がどのような「幸福感」を抱いているかを分析することは必要なことだろう。しかし『やりがいの搾取』でみたように、あらゆる分野でデータをある種の政治的目的や企業活動に援用されている現状は決して「善い状況」とはいえない。監視カメラが夥しい数になっている社会、情報が氾濫する社会、こんななかで「確固とした自分」をもって「自分なりの」幸福を見つけ出すことの難しさをしみじみと思いしらされた一冊であった。
 

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