2019年1月15日火曜日

Fさんの死

 Fさんが急逝した。暮の十二月中ごろ異変を感じ近くの病院で診察を受けると白い影(肺炎の)があるから大きな病院に入ってくださいといわれ、スグに移って治療が施されたが快方に向かうことなく急劇に重篤化して正月明け早々に帰らぬ人となった。十月二十日ころ展覧会で彼の油絵を見、親しく話し込んだあとだけにまさに「突然の訃報」だった。
 通夜、告別式を終え、最近の流儀で「初七日」も済んだ後の足洗いの席で隣の長女に「Fさんは思い残すこと、なかったでしょうね」と話しかけると「そうでしょうね、私もそう思います。おホホ…」と答えたことがすべてを語っていた。彼の伴侶――私の四つ上で幼いころから姉のように遇してくれたW子ねえちゃん、縁あってFさんと結婚した彼女も「ほんまにそうやは…」とあっけらかんと同意するし、一切を取り仕切った長男も深く頷いていた。儀礼的な悲しみや涙が一切なくむしろ晴れやかささえただようこんな葬式ははじめての経験だった。
 ことほど左様にFさんの一生は見事なものだった。どんな事情があったのかは知らないが小学校へ上る前に故郷の静岡から小僧同然の形で妙心寺に入り、そのまま僧籍に進むかと思われていたのが英語教師に転じる。中学高校と教えた後大学教授となり、英国の詩人ワーズワースに関する著作と夢想国師の「夢中問答集」のT..Kirchner教授(花園大)との共訳が主な著作となった。私生活はW子ねえちゃんと結婚して二児を生し、それぞれ独立して家庭を持ち子ども(彼の孫)も立派に成長している。残された妻の老い先は恙なく送るに十分な手当てがしてあるようだからご立派なものである。リタイア後の生活はテニスと油彩で充実していたから申し分ない。インプラントの治療も完了、油彩用のオイルを大量に娘に買い込ませて「生きる気まんまん」の彼はほとんど苦しむこともなく死ぬことができたのだからまさに『大往生』と呼ぶにふさわしい人生だった。中学時代の教え子に俳優の近藤正臣が居るのがご自慢で、あまり人付き合いの得意でなかった彼が教え子たちから同窓会の案内を受けると喜々として参加していたというエピソードを聞いて彼の幸せな人生を偲びながら、なぜか幸田文の『父』にある「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」と云って死んでいった幸田露伴が思い浮かんだ。 
 
 葬儀告別式で唯一心を痛めた「事件」が骨上げのときにあった。長男(外務省関連機関勤務)のコロンビア人の妻が骨上げがはじまると悲鳴に近い小さな叫びを上げ涙ぐみながら口元を押さえた。日本人の私でさえ成人になってはじめてこの「儀式」に立ち会ったときには「なんという残酷なことを…」と激した感情を抱いたのだから、死生観の異なる彼女がカルチャーショックを受けたのも無理はない。しかし仏教的には、死んで人間界を離れ剃髪(葬儀が始まると導師がカミソリをもって髪を剃る態の儀式を行う)して仏徒となり修行を重ねて仏となる行路に旅立つという教えに従うのなら、足元から頭までの骨を拾い集め最後に喉仏を添えて「人体」を完成させる儀式は、長い修行を積む身を整えるという意味で必要な行程なのだろう。三途の川を渡る「まいない」として仏銭を棺に入れる風習が一部の地方にあるのも同じようなことになろうか。
 こうした行いを「迷信」と一笑に付す向きもあるがそれは「人間」という存在を「時空」、すなわち縦横高さの空間と時間の次元において捉えるからで、人間の命、存在を宇宙という「時間」を超越した次元で考えると、四次元の存在としての人間は前の次元から次の次元へいく僅か百年足らず――138億年の流れのなかの一瞬の在り方でしかない、そんな考え方もあっていい。なにしろ物理学の最新理論「超弦理論」では『9次元』が数学的に証明されているのだから宇宙世界が4次元で説明できないのは確からしいことになっている。また原始仏教では「十方諸仏」という考え方があり全宇宙が十の世界で構成されていてそのそれぞれに仏が存在しているとみており、さらに密教の「胎蔵界曼荼羅」では大日如来を中心とした十二区画に世界を理解している。「人類の智慧」の蓄積を受け入れれば人間を4次元の存在としてのみ理解する仕方はあながち『賢者』のものとはいえないかもしれない。
 世の中を時空の世界と考えて人間存在を僅か百年足らずの生命として捉えるから百年のうちにすべてを完成させなければならないという「せせこましい」人生観におちいり利益追求に汲々としてしまう。時間がないから「戦争」という手っ取り早い「暴力」で相手をねじ伏せようという刹那的な考えもしてしまう。そうではなくて、人間としてのあり方は「全存在」のほんの一瞬の「時間的存在」にすぎない、そうでない方がずっとずっと長いのだと思えば、ゆっくりじっくりと交わり合おうとすることもできるのではないか。
 
 なにを分かったような、と批判を受けるかもしれないが、ならば「死とは何か」をあなたはご存知なのか。次に掲げるソクラテスの言(『ソクラテスの弁明(光文社古典新訳文庫・納富信留訳)』)にあなたはどう反論するのか。
 死をおそれるということは、皆さん、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、あの恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。
 さらに身近な例を引けば、死というものが決して終わりではないこと、生が一度きりのものでないことを経験した漱石はそのことを『思い出す事など(岩波文庫・夏目漱石)』であの修善寺の大喀血前後をこう述べている。
 強いて寐返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。(略)妻の説明を聞いたとき余は死とはそれほど果敢ないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃いた生死二面の対照の、如何にも急劇でかつ没交渉なのに深く感じた。どう考えてもこの懸隔(かけへだ)った二つの現象に、同じ自分が支配されたとは納得出来なかった。よし同じ自分が咄嗟の際に二つの世界を横断したにせよ、その二つの世界が如何なる関係を有するがために、余をして忽ち甲から乙に飛び移るの自由を得せしめたかと考えると、茫然として自失せざるを得なかった。
 死生観が齢とともに変化し、宗教(私の場合は仏教だが)への「向き合い方」が徐々に日常化してくる。
 
 それはさておきFさんの死でとうとう親族の男で最年長になってしまった(妻側の姉婿は六歳年長ではあるが)。しかしFさんの死が余りに見事なものだったせいもあって死に対する見方が少し楽になった。己の欲するままに楽しんで生きれば案外死は穏やかに迎えられそうに思えてきた。ただ健康で周囲の人に恵まれることは必要だが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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