2019年3月11日月曜日

不適切動画について

 インターネット上の不適切動画が社会問題化している。コンビニや外食チェーン店のアルバイトの人たちが主にアップしているという。一度口に入れたものを元に戻すとか捨てられた食材を調理するとか、見た人に嫌悪感をもよおさせずにはおかない不潔で不快な動画が流されるのだから、そんなコンビニや外食店へのマイナスイメージははかり知れないほど甚大であろう。
 
 なぜこんな動画が投稿されるのかについて専門家は、「承認欲求」と「エコーチェンバー」そして「いじめ」を原因として説明している。 
 意外と表立って論議されていないが「いじめ」の側面は大きいのではないか。動画は映る者と映す者がいるわけで、下半身を剥き出して調理器具で隠してふざけている動画など映されている人が無理矢理「やらされている」可能性も高い。コンビニの冷凍庫で寝そべっている図などもそのキライなきにしもあらずで、恵まれない処遇への鬱屈した感情を弱い者いじめで発散している、そんな構図は十分考えられる。
 承認欲求は誰にでもあるものだが、劣悪な条件で雇用されて「自尊心」を傷つけられているような環境では「他人承認欲求」――他人に自分の存在価値を認めてもらいたいという欲求が強くなってもおかしくない。「個人として自分を見てもらいたい」「自分の考えを理解してもらいたい」「自分が役立つ存在であることを認めてもらいたい」「大切に扱ってほしい」という欲求がアルバイトや非正規雇用で不満の蓄積している人に強くなるのは当然だが、自己の存在価値を他人の評価に依存しているだけでは承認欲求が満足できるレベルに達することは難しい。技術を磨いたり能力を高めて、自分自身が自分への信頼を高める「自己承認欲求」を満たすような意識をもたなければ、正常な人間関係が保てないことは理解できるであろう。動画を投稿している人たちは自己の存在価値を他人の評価に依存しすぎているのだ、「いいね!」がほしくてたまらないのだ。
 エコーチェンバーというのは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくるような閉じたコミュニティで、同じ意見の人々とのコミュニケーションを繰り返すことによって自分の意見が増幅・強化される現象をいう。動画の投稿者たちはスマホ世界にどっぷり浸かっている人たちだからSNSやUチューブを利用しているにちがいないが、こうしたサイトはプラットフォーマーの閲覧収斂システムによって「自分このみ」の情報を集中的に供給される環境に誘導されているから「エコーチェンバー現象」におちいり易い。おなじアルバイト仲間が同じような不満をぶちまけあっている、そんな情報ばかりが供給されるから自分の不満が「正当化」されていると思い募ってしまいがちである。
 承認欲求とエコーチェンバーが相乗して、結果、不適切動画を投稿してしまう。専門家達の解説は概略こんなものであろうか。
 
 そういわれてみればそんなものかと思ってしまうけれどもどうもシックリこない。どこかちがうような感じが残ってしまう。
 簡単にいえば、「仕事が面白くない」のだろうなという感じがどうしても払拭できないのだ。マニュアルにがんじがらめの仕事を押しつけられて、あまり円滑でない人間関係のなかで「時給」千円程度で「働かされて」いる。上役に不満を訴えてもその上役も「本部」の指示に従っているだけで「自由裁量」はほとんどない。自分の工夫やアイデアを生かす余地はほとんどなく、こんな環境では仕事を「喜び」としてやり遂げる可能性はゼロといっても過言ではない。
 そもそも仕事というものはそんなものだったのだろうか。そんなものでいいのだろうか。
 資本主義が進化して仕事がどんどん分業化、専門化してきたのは事実である。しかし、あからさまに「歯車」であることを、それも極々狭い範囲の「歯車」であることを強制されれば「意欲」が『摩滅』して当然ではないか。製造業の現場で「単位作業」まで分業されていたものを、ある「かたまり」の仕事を作業者にまかせる「ワークユニット化」する方向に変わってきたのも、仕事をする人間の感情をくみ上げて「やりがい」を感じてもらおうとするからである。製造業が一足早く「仕事をする人間」という視点を現場に生かす方向に転換しているのに、サービス業ではいまだに古い「ベルトコンベア方式」にこだわっているようにしか思えないのは私だけだろうか。「セブンイレブン」が24時間営業をフランチャイズに強制する姿勢を崩さないのもオーナーを「本部の支配下」に抑圧しようという『優越的地位の濫用』以外の何ものでもない。
 
 考えてみればこの30~40年ばかりの間のコンビニと百円ショップの「席巻」ぶりは空恐ろしいものがある。この二つの業態の出現によって「市場」から『消滅』していった企業あるいは広く「業種」はどれほどあるだろうか。資本主義の当然の帰結と言ってしまえばそれまでだが、それでどれほどの人が喜んでどれだけの人が泣いたかを測ってみればこの趨勢は「これで良かった」と『総括』してよいのだろうか。
 しかも、奇しくも、こうした業態は先の外食チェーンも含めて、人間を「使い捨て」にしてきた業種である。そして、いま、「人手不足時代」を迎えてこうした「業態」は「存在形態」の「見直し」を市場から迫られている。
 言わば「使い捨てられた人々」の『呪詛』がこれらの企業の経営を脅かしているのだ。
 
 「不適切動画」をアルバイトで働く人たちを『断罪』するだけで解決するように世間は考えているようだが、どっこい、それほど甘いものではない、この根は深いぞ!
 そんな『通奏低音』がどこかで唸っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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