2019年3月4日月曜日

 震災孤児

 椀かかへ匙使ひゐる子供らはかくも無表情孤児何千人(河野裕子『葦舟』より)。
 
 昨年暮れあたりから専門書などのかたい本に読み疲れたとき歌集を読んでいる。京都新聞が毎週水曜日、永田和宏の「象徴のうた―平成という時代」を連載していてそのいつかに「君とゆく道の果たての(とほ)(しろ)く 夕暮れてなほ光あるらし」という美智子皇后の御歌が載っていて深く感動したことがあって、短歌っていいものだなぁと感じて以来歌集を借りては読んでいるというわけだ。これまでどちらかといえば俳句に親しんでいたのだが、どちらも日本独特の定型短詩であるから今ごろの齢になるとピッタリとくるのだろうか。先輩のKさんに永田和宏の細君が河野裕子であることを教えてもらって早速読んだなかに冒頭の歌があった。 
 マスコミもなぜかまったく触れてこなかった震災孤児。復興庁によると「震災孤児」は1778人とある(平成27年10月現在、両親とも失くした孤児241人、片親を亡くした孤児1537人)。ときどきマスコミが報じる現地の姿はまだ50%の復旧さえしていないように映る。2月28日の京都新聞に被害地の沿岸部には次々と防潮堤が造られていて、10メートルを超える壁をパレスチナの分離壁に例える記事があった。小さな写真に写った人間が圧倒的な壁の前にアリのように撮られているのを見て絶望的な寂寥感におそわれた。
 孤児の問題もそうだが被害者、被害地は完全に国から見離されている。東電の責任はほとんど果たされていない。それにもかかわらず「復興五輪」を謳われた2020東京オリ・パラは開催を一年に控えて、復興をそっちのけにして空しく盛り上がっている。そればかりか2025大阪万博まで加わって「土建王国日本」は高度経済成長時代を夢見るかのように浮かれに浮かれている。そんな風潮に侵されていた私にズブリと現実を突きつけたのが「椀かかへ匙使ひゐる子供らはかくも無表情孤児何千人」であった。
 
 詩(うた)は詩人の霊感の表出であるという。たった三十一文字に凝縮された詩的真実は一瞬にして読むものに現実の本質を暴く力をもっている。
 永田と河野が歌人夫婦で、河野が乳癌を患って病苦に苛まれながら短歌づくりをつづける姿のすさまじさは歌のうえにあから様にあらわれている。それは夫の永田の歌も同様であって、歌作という過程を経て剥き出しでない「紡がれたことば」であるにもかかわらず、愛しみと憎しみがキンと伝わってくる。歌人夫婦の辛さは残酷だが「あとがき」に河野はこうつづっている。「五十年ほど歌を作ってきてほんとうに良かったと、この頃しみじみ思う。歌が無ければ、たぶんわたしは病気に負けてしまって、呆然と日々を暮らすしかなかった」。2010年8月、帰らぬ人となった河野裕子の一首はこれからのち、いつまでも東北大震災を詠う代表的な短歌として残っていくにちがいない。
 
 しかし、ひとはどうしてこんなにも『無様(ぶさま)』なのだろう。どう考えてもオリンピックよりも万博よりも『震災復興』だろう。なのにそれを忘れてリーダーの巧妙な『煽動』に乗せられてオリンピックだ万博だと浮かれてしまう。こんなことになれば復興に使われるはずの資材や労働力がそっちに流れてしまって復興(九州も広島も…)がはかどらなくなるに違いないことは分かりきったことなのに、五輪も万博もズルズルと引きずられるように開催に向ってしまう。昨年夏の豪雨災害で屋根瓦を吹き飛ばされた近所の家の復旧は今頃になってようやくブルーシートがはがされるようになった。これも無関係であるはずがない。
 
 三浦雅士が『孤独の発明』で興味ある言説を書いている。
 バルガス・リョサが、広大なインカ帝国がわずか数百人のスペイン人に滅ぼされたのは、インカに個人という概念が存在しなかったからであり、したがって皇帝が殺された軍隊はただ茫然自失し何を為すべきか知らなかったのだ、と述べている。皇帝の命令すなわち外部の命令が、将兵それぞれのうちに内部化されていなかった、自らが自らに命令できなかったからだというわけだ。少なくともインカの軍隊においては各自の判断で臨機応変に動くという個人の概念は存在しなかった、と。(略)私は古代人も現代人もほとんど違わないと考えている。(略)バルガス・リョサの説に説得力があるのは、古代インカの将兵と同じような人間が現代にも少なからず存在するからである。
 この言を認めるとすれば、われわれは『考える力』を失くしてしまってリーダーの命令のままに動かされているだけ、ということになる。そんなことはない、と気負ってみてもリーダーの思うままに操られている現実はあまりにも明確だ。決して「最善」でないことは分かっているけれども、「他よりマシだから」と言い訳しながらもう8年も同じリーダーを戴いて国の運営を任せている。最近の情勢はまたぞろ総裁任期が一期延されそうな気配もただよっている。
 
 荒川洋治は「文学は実学である」と言っている。河野の短歌が私にグサリときたように、今は進歩や成長をはやしたてる「理屈」よりも「直観」の時代なのかもしれない。理論づけはあとからでいい、とにかく「おかしい!」と感じたら「反対」を向くようにする、みんなが「いい」と言っていることには「眉にツバ」をつけてみる。
 まず直観、そのあとひとりで(みんなで)勉強しまくって、それが正しいかどうかを検証する。そんな「賢さ」を磨かねば「お手本」のない時代は生きていけない。
 河野裕子の教えである。
 
 
 
 
 

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