2019年5月20日月曜日

老いのうた

 晩酌のせいか――最近は晩飯が終って一時間もするとコロンと九時ころには眠ってしまう――老いという経年劣化によるものか夜中に必ず目が覚める。小用を済ませて床に入って寝ようとするとき枕元の二三冊の歌集や句集を読むことにしている。小説は面白さに引き込まれるとかえって目が冴えるし専門書は集中力が要求されるから催眠には逆効果になってしまう。そこへいくと短歌や俳句は一首一句が区切りだからあとにひかない。再睡眠へのつなぎとしては格好である。
 もとは短歌には興味がなかった。韻文全体が苦手だったが俳句はアンソロジー――たとえば『百人百句―大岡信』などの佳句集が手許にあったので比較的なじんでいた。それが短歌好きになったのは「読者文芸」のせいだと思う。どの新聞も週に一回は読者投稿を募った「読者文壇」のような紙面が設えてある。若いうちは無視していたのが齢を取るとともに興味を引かれるようになって、特に同年輩の「老い」を題材にした歌や句に共感を覚えることが何度かあって必ず読む習慣ができ、読むうちに俳句より短歌に気に入ったものが多いことに気づき、短歌も捨てたものじゃないと思うようになった。それは多分、素人にとって十七文字より三十一文字のほうが字数が多い分思いが込められやすいせいではないか、素人は――といっても投稿者の多くは結社に入って日頃研鑽を積んでいる人たちらしいが――どうしても説明的になってしまうから文字の多い方が表現しやすいのかもしれない。と、勝手に思っているのだが、そんなことで短歌を読むようになって、読むほどにアンソロジーよりも作家の個人集に惹かれるようになった。
 
 最近読んだ『前登志夫歌集 大空の干潮(ひし)』は久々のヒットだったので幾首か楽しんで貰おうと思う。
草花の名をつぎつぎと忘れゆく老の山蹈み狭霧に酔へる(晩夏)
木枯しの夜は歌詠まむ飛び散れる木の葉にまぎれあそぶ神をり(賜 物)
紅葉のいちめんに敷ける庭に舞ふ風あり老のほむらのごとく( 〃 )
大根や白菜くれし隣人ともみぢを語り、死者の夕闇 ( 〃 )         
雄雄しかり、角ある山の鹿立てり。野生は神の賜物なれば( 〃 )
三輪山の磐座のへにこだまするおほるりの聲晝のさみどり(おほるり)
青草に睦める虹のほどけゆき山ほととぎす空を引き裂く(雹)        、
山姥(やまはは)の乳房豊けし、飲みあまし睡りしわれは蛹のごとし(蛹)
 短歌にしろ俳句にしろ、いいなぁ、面白い、と感じる第一は「表現や言葉選び」の斬新さ、面白さにある。上記の歌はそんな種類のものだ。
 (晩夏)の歌は、山歩きの好きな作者が山を登りながら路々の草花の美しさに目を奪われ、この花なんだったかな、これはなんといったかな、と以前ならスッと名前の出てきたものが物忘れの激しい昨今の老いを嘆きながら、一方でそれを楽しんでいる作者の余裕が「狭霧に酔える」という表現にうかがえて羨ましい。「あそぶ神あり」は作歌がつぎつぎと捗って嬉しい気持ちが「あそぶ神」となっているのだろうし、庭一面の真っ赤な紅葉を「老いのほむら」と「炎」に「老い」を重ねる作者の「生々しさ」に生に対する執念を感じる。「野生は神の賜物」「さなぎ(蛹)」は発想が斬新。三輪山――の歌は、「おほるりの聲晝のさみどり」とリズム感が心地よいのと「音」と「色」が鮮やか。青草の――の虹がじょじょに薄らいで消えていく様を「虹がほどける」と表現されるとツイ「うまいなぁ」と感嘆させられ、一際高く響き渡るほととぎすの鳴き声が「空を引き裂く」と静寂が一層引き立ってくる。
 
 この歌集は作者の77才から80歳にかけての歌を集めたもので老いと病に対する切実なものも多い。しかし、82歳で亡くなるまでの最晩年に至って「老い」にユーモアを感じられるのが嬉しい。つぎにその老いの歌を数首。 
 
たのしみて日々を過ぐさむ、晩年のわれをめぐれる夏花の白(朱)
こののちは長く生きたし何ひとつ語らず逝きし死者たちのために(くちばし)
戦ひに子を失ひし悲しみをみな怺へをり皺ふかき貌ら(赤き指)
もうながく都に出でぬこの翁亡き人の数に友らは入るる(雪の谷間)
寒き夜は背中合はせて座るべしをのこの友のつれなかりける( 〃 )
明け方に縮緬雑魚を抓みをり酒を断ちたる世捨人ひとり(世捨人)
人間の幸福とは何、ゆっくりと山に生きたり老いふかめつつ( 〃 )
くるしみてわれひざまづく青き日やほととぎすの聲草に沁みゆく(山ほととぎす)
 
 80才近くなってくるといちばん堪えるのは友人知人や親族が亡くなることだ。もし、さいわいにして今の医学の進歩から百才近くまで生きられたとして、親しい人がひとりも居なくなったとしたら……、こんなことを考える老人は多いにちがいない。もうながく――、はそんな寂しさをさらりと詠っている。こののちは――、は友人知人がつぎつぎと欠けていくなかで何とか生きる意味を見いだそうとしているのだろう。
 
もう少しお待ちくだされ、何ひとつ悟ることなく過ごし来つれば(大空の干潮)
 これくらいのユーモアと余裕をもって老いの生活が送れたらいいだろうなぁ、と思いつつ今日の稿を終えたい。
 
 
 
 

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