2019年10月14日月曜日

劣化する行政

 ブルーネットが公園の砂場に張られた。先日のゲリラ豪雨のような大雨で公園もそうとう被害があったのでその修復工事の一環なのだろう、みなそう思った。ところが一週間経っても二週間経ってもネットはそのままの状態で放置されている。「おじさん、どうなっているのですか?」、利用者のお母さんの疑問。そこで公園管理事務所に電話する。「ネコ除けネットですやん」、そんなこと分からないのか?といわんばかりの言い振り。それはないだろう、あなた方にとっては常識かも知れないけれど一般市民はネコ除けネットなど見たこともない。普通なら砂場の傍に「これはネコ除けネットです。遊ぶとき開いて終ったら叉キチンとネットで砂場を覆ってね。ネコがウンチすると汚いでしょう。気持ちよくお遊びしましょう」とかなんとか注意書きするのが親切というものだろう。多分ネコのウンチ被害のあった公園の利用者から苦情があって行政が対応したのだ。それはいいのだが、あと一歩の詰めが足りない。
 最近行政の対応は随分迅速に行き届いたものになった。さらに進んで「かゆいところに手の届く」ようになれば言うことないのだがそこまで望むのは無理か?
 
 この公園には立派な野球場があって少年野球や一般市民の野球好きで賑わっている。その野球場のカギの開け閉めを頼まれてからもう十四、五年になる。上にも書いたように最近の雨の降りようは尋常ではない。そのせいか以前はそんなに目立たなかった側溝からの雨水の溢れ方がスゴイことになってきて一雨来ると汚水が外に流れ出して近辺の住宅の迷惑になっている。これまで注意してみたことがなかった球場外周の側溝を改めて点検してみるとこれがヒドイ状態になっていた。球場から流出した砂が出入り口中心に堆積しているうえに枯葉が側溝全体を埋めていて、とくに外野側の枯れ葉の量がスゴイことになっている。数年前に民間委託になった管理会社に問い合わせてみたが一向に要領を得ず、何度かやり取りを重ねた結果、側溝の維持・管理については担当が決まっていないという。これは委託を受けた業務明細書にも記載がないから多分公園ができてから一度も掃除されていないのではないかという。公園ができて三十五年以上になっているから勿論定期点検で目だったときにはなんらかの処置はとられてきたのだろうが(そうでなければ側溝中が砂と枯葉や枯れ枝で埋め尽くされているはずだろうから)、とにかく側溝専門の維持管理者が決められないままに今日まで来ていることになる。
 それはおかしいだろうということで管理会社は専門業者に依頼するとともに日常的に維持点検することになった。業者に大雑把な現状点検をさせたところ側溝から外部の道路に敷設してある基幹の下水道管への連絡が大きな枯れ枝(幹)が塞いでいて排水不良になっていてこれを除去して原状復帰するには百万円以上の費用が必要だという。
 球場の整備や植栽の剪定などはキチンと業者に依頼して維持管理にぬかりなく努めてきているのになぜ側溝に目が届かなかったのか。机の上だけで仕事をして現場をナオザリにしがちなお役所仕事の悪弊がここにもあったのか? 
 
 お役所仕事の信じられない実体をもうひとつ。この四月から京都市の外郭団体の広報紙の編集サポーターなるものになった。その会議に二度出席してあまりの紙面のヒドサに業を煮やして「発行目的とか編集方針のようなものはないのですか?」と問い詰めると「ありません」という返答。開いた口が塞がらないというのはこのことだろう。
 社内報にしろ広報紙にしろ「発行目的」をいかに確定するかでその紙(報)の価値・効果の八十パーセントが決まるといっても過言ではない。そのうえで編集方針の適切な設定があればそれだけで広報紙の良し悪しのほとんどが決定されてしまう。勿論レイアウトや色彩の使い方などで紙面の出来映えが変わってくることはいうまでもないが。その大事な目的も編集方針もなしに180号余が発行されてきたとはどういうことか。年間四百万円以上の広報紙予算はどのようなプロセスで決定されたのか、編集会議はどのような形で行われたのか。
 外郭団体への経営状況把握や経営評価はどのように行われているのだろうか?
 
 人手不足の影響は深刻で多方面にわたっている。高度成長期の昭和40(1965~)年代初頭、人材が民間に流出して公務員の人材が急激に劣化したことがあり危機感を抱いた行政が大幅な給与改訂を行って危機を逃れたことがあった。今はそれ以来の危機である。高度成長期は農村から都市への労働力の急激な流入期にあってある意味でマスが膨れ上がっている時期で増加分の分捕り合戦であったから先行きが見通せた。しかし今回はマスが縮小するなかでの人材の取り合いになるから勝ち組と負け組みがはっきりして負け組みの被害は甚大になる。10月10日に発表されたセブン&アイHDのリストラはその格好の例で、低賃金の労働者を使い捨てしてきた事業モデルの破綻を表している。こうしたモデルは今の日本に溢れておりこれからも次々と同様の破綻が続いていくにちがいない。
 そんなかなで国と地方の行政機関に市場はどのような評価を示すのだろうか。財政逼迫の現状は大幅な賃金アップは望むべくもないからAIやロボットを活用して業務の効率化を高度に図って単純作業の人員削減を行い限られた人材を必要部署に配置する以外に方策はないであろう。しかし福祉業務のほとんどは労働集約的であるから業務の効率化には限度がある。福祉需要の急激な増大と供給サイドの投入労働量の限界をいかに調整するか、極めて困難な課題である。
 
 劣化する行政と増大する福祉需要と人手不足。切迫した状況の割には危機感が稀薄すぎる。
 我国の危機は財政ばかりでない、行政そのものの存立が危うくなっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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