2019年11月18日月曜日

喜寿の贈りもの

 
 やっと書斎が持てた。娘がくれた喜寿の年最後の贈り物だ。娘の使っていた部屋が空いて妻と娘がどうしてもそっちへ移れというのでいやいや承知した。今までの部屋は和室の六畳で仏壇と妻の洋ダンスと整理箪笥が納まった極めて狭い空間に五十余年前に社会人になってはじめて買った座り机を据えた書斎らしきつくりのものだった。朝晩布団を上げ下げするのが億劫だったが結構居心地は良かった。仏壇の古びと上質の家具と貧乏もの書きめいた和机の納まりが好みだった。妻も娘たちも他人を招じるのを好まなかったが私は平気だった。ひとつは机上の本と部屋のたたずまいに自負があった。狭いし日焼けした畳むきだしの六畳は友人たちの広い洋間のフローリングの部屋とは雲泥の差だが彼らの部屋にはなにかよそよそしさを感じた。いやそういうと少しちがうか、使い込んでいないと言ったほうがふさわしいかも知れない。木のまな板を何年も使い込んで何度も削ってきた料理人のまな板のような生活に馴染んだ道具のようなたたずまい。私の部屋がそんな上等なものとは言わないが生活の馴染みのようなものはまちがいなく有り、仏壇と道具と本の釣り合いが絶妙だった。もちろんこれは私だけの感覚で妻にも娘たちにも理解されなかったが、私にはひと様に誇れるたたずまいだったのだ。
 相当抵抗したが妻のたってのねがいを無碍にしりぞけることはできなかった。
 
 部屋うつりして十日。机は娘の使い古しだがおとなになってから買ったものだから少々落ち着き感がある。椅子はこれも五十余年使ってきたロッキングチェア。机が大きくなったので机上の本の数もこれまでよりも若干多く並べることができて、並べ方を文庫と新書を前の列に移し変えたので秩序立ってすっきり。小型のテレビと大き目の黒い年代物のラジカセを机の横に据えると部屋に馴染んでしっとりとする。西向きの二枚の掃き出しの窓は日当たりもよくロッキングチェアに揺られながらの読書はなかなか乙なものだ。なによりも独立の部屋になっているので居間とこの部屋のドアを締め切るとほとんど雑音が消えてしまうから読み書きが快適に行える。そのうえ想定外だったのはお隣さんを含めて殆どの住人が昼間は不在なので通路側に面していることもあって相当ヴォリュウムをあげてラジカセを鳴らしても苦情がこないことだ。イヤホンなしで好きなクラシックを堪能できるのはうれしい。
 お蔭で読書がはかどっていうことなしなのだが、ドアを締め切って完全に独りの空間を享受していると少々後ろめたさ――というか申し訳なさを感じる。「どこでも楽しめるのですね」という妻のことばも嫌味に聞こえる。八十才近くなって思いもかけず年来の望みであった書斎を手に入れ、毎日籠もってCDと読書を楽しみながら悦に入っている私に妻は僻まないだろうか。こんな虞を抱くとは自分に疚しいところがあるからで、齢をとっても私や娘の世話を焼くほかにテレビをみる程度の楽しみしかない妻に後ろめたいのだ。若い頃ならこうではなかったのに……。
 
 もうひとつおまけがあった。本の移動のついでにほこりをぱらぱらと掃っているなかに五千円札一枚と五百円の図書券二枚がでてきたのだ。もともと自分の物なのになにか儲かった気がするから可笑しい。早速東急ハンズで皮製のペンシルトレイとデジタルの置時計を買って机を飾るとムードがでる。図書券を手にして本の物色に書店をうろついていると新潮文庫の『O・ヘンリー傑作選Ⅰ~Ⅲ』の三分冊が目に入った。むかし英語の教科書で読んだ「賢者の贈りもの」や「さいごのひと葉」がみえる。まよわず購入。もし図書券がなかったら買わなかったにちがいないが千六百何十円が六百何十円なら高くない。決してO・ヘンリーがどうとかいうのではない。前から読みたいと思っていた作家なのだがなぜか買ってまで…とは思わなかった。そんな作家、というか作品があるものでO・ヘンリー短編集もそんな一冊だった。これでしばらく寝床で読む本に不自由しないで済む。
 
 短編なら日本の短編の名手、永井龍男に新潮文庫の『青梅雨』がある。このなかの「快晴」がいい。
 大学教授の磯崎が癌で死ぬ。会葬した友人や知人の回想から磯崎の生前の姿が浮かび上がる。教授としての給料は正妻に、小説だか随筆だかの雑文の収入を二号へ。財産分与も生前に抜かりなく行っていたのだが、思いのほかの参列者の法外な香典の配分をどうするのか。そんな厄介なお役目は勘弁してほしいと友人たちは斎場を後にする。参列者の中に香典に古びた革の靴べらを包んできた弔問客がいた、それが磯崎の頼みだったというミステリーも配した佳篇である。
 そのなかにこんな一節がある。「大都会の葬儀場に働く人々は、死者とその係累を無駄なく送迎する。応対が軽率であってはならないし、情におもねってもならない。過不足のない表情と物腰で、きわめて敏速に事務を片付けて行く。天国へ行く人のためにも、地獄へ行かなければならない人のためにも、またそれを見送る人々のためにも、航空会社以上の熟練で事務を処理して行く。/もしここの建物内に無駄があるとすれば、最上等、上等、中等と分かれた釜の周囲を装飾して、天国や極楽を思わす彫刻がなされているくらいのものだが、それとても無理にそれらを使用する必要はなかった。簡潔に故人をこの世から去らせたいと願う遺族たちのためには、無装飾の並等という釜も用意されてあった。」
 透徹した観察眼と言葉選びの巧さ、ユーモアも配した文体は今の私の齢にはぴったりの短編集だ。
 
 斎場がでてきたからではないが今週心に残ったのは、3.11の震災で娘さんを亡くされたご夫婦にやっと遺骨の一部が戻って安心されている報道だった。九年近いあいだ会いたくて会いたくて……。やっと会えて嬉しいです、とかすかに笑みを浮かべるご夫婦に不思議な感じを抱いた。娘さんが生きて帰ってきたわけではない、娘さんの一部が遺骨で帰ってきたことが嬉しいという。お骨ひとつを娘さんそのものに感じるとしたらお骨というものはそれだけ大切なものになってくる。そうだとするとアイヌや琉球人の墓を暴いて骨を持ち帰り「標本」として研究資料とした京大や東大、北大、東北大などは人として問題のある所業として非難されるべきだろう。時代だったからというのならどうして現在に至っても返還しないのか。もうひとつ最近の墓じまいや墓無しを当然とする風潮も気がかりだ。
 人間の生き死にが先祖や伝統と断絶したかたちで考えられることに、誰かが歯止めしてもういちどじっくりと考え直してみる必要があるのではないか。そんな思いにかられたご夫妻の姿だった。
 
 それにしても書斎はいいものだ。
 
 

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