2019年11月26日火曜日

経済と政治への素朴な疑問

 私の周囲にはいわゆる〝経済の専門家〟と目される人が少なくない。元銀行マンや証券マン、また大学で経済学・経営学を学んで社会人となって企業で働いてきたタイプなどいろいろだが皆一家言を持っている。そんな彼らに最近の株高について納得のいく説明を求めるのだが一向に埒が明かない。そこで無謀だが素人の私が自分なりに疑問を解明しようと試みることにした。
 
 今年8月末(8月26日20,261円)に2万円を割り込みそうになった後一本調子で上り続け、9月5日21,000円台回復、以降9月19日に22,000円台、11月5日には23,251円をつけている。なぜここまで株価が上るのだろうか?経済のファンダメンタルズ(基礎条件)は米中の貿易戦争のあおりを食って貿易量が急激に減少し経常収支が悪化しているうえに、日韓関係が最悪の状況にあって韓国からの旅行インバウンドが半減するなどによって12月期の大企業の収益は軒並み大幅な〝減益予想〟になっている。こうした直近の経済指標の悪化ばかりでなく外人投資家の日本株からの逃避現象が長期的傾向として定着しているのだ。東証一部の内国株の1日平均売買高が2013年の34億4800万株を頂点に、2014年から2016年は25億株から24億株と高位安定していたのが2017年19億8800万株と急減すると2018年は16億6200万株とぎりぎり15億株(市場安定の下限売買株数とされている)をキープしたが今年ここまでの平均は13億8300万株にまで低下し日によっては10億株を割り込む日も少なくない。これは外国人投資家が昨年中期以降売り越しに転じた影響と市場関係者は分析しているが外国人にとって日本株の魅力が失われていることの証である。
 なぜ魅力がないのか?国民経済の成長率は1%内外で世界の成長率3%台後半、先進国平均の2%台と比べて相当劣っているし、民間平均給与は平成18年440万円でこれは1997年の467万円より1割近く減少しているわけでこれでは国民総支出の6割以上を占める消費が増えるはずもなく、10月の消費税の10%へのアップも加わって経済が好転する可能性は殆ど望めない。消費の活性化が短期的にはほとんど期待できない現状は労働分配率(企業の稼ぎに占める賃金の割合)が一時70%を超えていたものが2018年には60.1%まで低下してることからも明らかだ。アメリカはGAFAなどのスーパースター企業の比率が年々上昇してきたことから労働分配率の低下が説明できるが、わが国の場合は内部留保のやみくもな積み上げ志向を是正する以外に解決策は見出せない。
 
 日本経済の近年の趨勢、外国人投資家の日本株の評価、いずれをみても株価上昇の原因が見出せない中の今年8月末以降の異常な株価上昇をどう判断するか。有力な市場関係者の分析は「株式市場の巨鯨――GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」の存在を指摘する。東証一部の1日の売買代金はおよそ2~3兆円だがGPIFの運用資産額は160兆円を有しているからGPIFが市場に影響力を及ぼそうとすれば決して不可能なことではない。これまでもGPIF相場をささやかれたことは何度もあった。しかもそれは選挙前であったり議員不祥事で政権人気にかげりがでかかったとき、というような政治がらみが疑われるときが少なくなかった。今回の2万円割り寸前から1ヶ月少々での急激な回復は、消費税10%アップに伴う景気悪化を株価上昇で打ち消そうとする「政権の思惑」が透けてみえるが、真実は?
 
 閑話休題。共通一次に代わる大学入学試験の「大学入学共通テスト」の最大の改革点であった「英語民間試験導入」が見送りになった。グローバル化の即戦力を大学に要求する企業の強い働きかけに対応して「読む」「聞く」以外に「話す」「書く」を含めた総合的な英語力を入学試験の合格判定要素に採用しようとした文科省が、既存の大学にはそれを判定する(一斉テストに対応して短期間に)能力が備わっていないと判断して『民間委託』に踏み切った措置を、政治と市民社会が見直しさせたことになる。しかし文科省の判断は考えてみれば大学側にとって失礼極まるものではないか。民間の予備校や学習塾にはあってわが国の最高教育機関にはその能力がないというのだから、ある意味ではわが国の教育制度(のある部分)が未熟であると、それを管理監督している主官庁が主張するのだからこんなおかしいことはない。これに怒りを覚えた?大学の大学『東大』が叛旗を翻したのだが安倍首相の最側近の「横やり」に腰くだけしてしまったのはなんとも情けない悲喜劇であった。
 さらにもうひとつの改革点であった国語と数学への「記述式の導入」もどうやら中止になる公算が強くなって、これで大学入試への『民間導入』は完全見直しになってしまった(「記述式」の採点は競争入札で通信教育・出版などを手がけるベネッセコーポレーションが落札していた)。
 今回の「民間導入」のいきさつについては不透明・不明朗で審議会の議事録にもその間の事情が「公文書」として記録・保管されていないらしい。
 
 「民間導入」ときいて多くの人は少子化に伴う教育関連産業先細りの『救済』であろうとスグに思いついたにちがいない。もしそうでないなら十分な時間をかけて現場も含めた「初等・中等学校」と「大学」、有識者、文科省そして教育関連産業の代表者が、それに父兄の代表も加えて、慎重に討議されるべきものだったのだ。それほど、大学入試への民間導入はわが国150年の教育制度への大改革であった、はずなのだ。予備校にしても学習塾にしても教育制度にとっては『徒花(あだばな)』であって決して「正規の」教育機関ではない。「必要悪」としての存在がいつの間にか正規の学校をも牛耳るような存在になって、文科省もうやむやのうちに『公認』してしまっていたのだ。
 
 正規の学校制度改革に「100年の大計」を打ち出せずにいる政治と官僚機構が、AIやロボットが社会に大変革をもたらすにちがいないこれからの十数年の行く末を、企業の巨大な力に阿(おもね)って「遣り過ごそう」とする『弥縫策』が「民間導入」だったのではないか?
 
 国民主権のわが国の経営を担う政治と官僚機構が、いつのまにか「国民そっちのけ」で権力維持のために、企業のために―――ということは「国民」の方を向かないで政治と行政を行うようになっている。それが「株高」であり大学入試への「民間導入」なのではないか。
 
 素人の素朴な疑問はこんな結論に至ってしまった。
 
 
 
 

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