2020年1月13日月曜日

初詣

 今年の初詣は下鴨さんへ行った。去年娘が結婚式を下鴨神社でやらせてもらったお礼を兼ねてお参りすることにした。これまで初詣は若いころは地元の氏神さんの今宮さんか学業成就を願って北野の天神さんが定番だったが、結婚してからは西賀茂に住んだこともあって上賀茂神社に参るのが習慣になり桂に越してからもずっと上賀茂さんで通してきた。
 混雑を避けて四日に参ったのだがあてが外れて想像以上の人出に驚いた。本殿に干支別の社が設えてあり巳年の私と未年の妻が同じ社になっているのは新たな発見だった。五十年近く連れ添ってここまで来れたのは神様のお陰だったのだろう。このお社の集まりは「言社(ことしゃ)」といっていずれも大国主命が祀ってあり、言霊のはたらきによって呼び名が変わるとされている。子年が大国主命、丑・亥年大物主命巳・未年大国魂命午年顕国魂命卯・酉年志固男神寅・戌年大己貴神辰・申年八千矛神と呼ばれ干支別の守護神となっている。京都に永く住んでいながらまったく知らなかった下鴨さんの言社にお参りできて縁起のいい初詣ができた。
 
 神さん詣りとは別に墓参りする家も多いのではないか。我が家では元旦にまずうちのお寺に参って次に妻の実家のお墓へ行く。六条富小路にある長講堂がうちの旦那寺でここは後白河法皇開基となっており平家物語にも出てくる由緒あるお寺だ。妻の実家の墓は大谷本廟にありここへのお参りが年々堪えるようになってきた。五条通りから清水寺へ通じる参道は爪先上がりでお墓はちょうど中腹にあるのだが今年は去年よりさらにしんどい登りに感じた。墓参が終わると伏見にある妻の実家に一族郎党集まって、改めて新年の挨拶を交わして宴会となる。古民家然とした八畳二間をぶち抜いた広間に黒の漆塗りの和机と特製の長机をつなげて馴染みの仕出し屋のお節のお重と持ち寄りのちょっと上等のお酒を振舞われて上機嫌でうちに帰るとベットに直行、翌朝までぐっすり寝むることができ今年も恙無く元旦を過ごすことができた。
 
 考えてみれば神と佛をなんら憚ることなく同じように拝む日本の習わしは独特のものだろう。とりわけ一神教の国の人から見れば理解に苦しむにちがいない。しかし西欧文明発祥のギリシャも多神教だからユダヤ教やキリスト教が興るまでのヨーロッパやイスラム教が制圧するまでの中東諸国なども多分多神教だったに違いない。というよりも人類文明の始原期は意識と自然の分離・分割があいまいだったからシャーマニズムが人間社会の統治に深く関係していたはずで、そうなると自然物の霊性に憑依したり依存することで生活が円滑に営まれていただろうから必然的に多神教にならざるをえなかったと考えるのが妥当だろう。
 ユダヤ教は砂漠という過酷な自然状況のなかで生まれたから「自然と共存」というような祈りが生まれることにはならなかった。対立物としての自然を「克服する」必然性があった。大自然と対立するためには人間を超越する巨大な存在が求められたにちがいないから「唯一神」が渇望された必然があった。
 
 わが日本は島国で温暖な自然環境の中で高温多雨な梅雨期と酷暑の夏という季節のめぐりが安定的な稲作という恵みをもたらす国土を基盤として成立している。他国の侵略という恐怖もなかったから平穏に国を治める民族性が育った。シャーマニズムから派生したに違いない民族神と渡来した「新文明の仏教」も円滑に併存して多様な「信仰生活」が営まれた。ここに「亀裂」をはしらせたのが明治維新の「神道国教主義」だった。下級武士団が徳川政権から簒奪した新政府の正統性を権威づけるためには武力を超越した「宗教性」に依存するしか方途がなかった。そこで神代からの「万世一系」という天皇制に宗教性を付与して新たな「宗教」を創造し民衆の信仰生活に踏み込んで「天皇制」を正統づけて「信仰の対象」とすることが必要だった。そこで強権をもって民衆の信仰生活を収奪しようとした。「神仏分離」と「廃仏毀釈」がそれだった。徳川政権の「宗門改め」と「寺請け制度」は仏教を最大限に利用した宗教的社会制度であったがそのために仏教教団の経済力と民衆支配力は絶大だったから仏教を叩き潰しにかかったというわけだ。喜んだのは長年仏教の下に位置づけられ屈辱に耐えてきた神官や神道家たちで仏像・仏具を破壊するばかりか寺そのものを焼き払う輩もいたという。最も悲惨な攻撃を受けたのは比叡山麓の日枝山王社で延暦寺の鎮守神であったから本尊は仏像で仏具・経巻も多い寺内に諸国の神官出身者の志士からなる神威隊ら百数十人が乱入して本尊を凌辱、仏具などを破壊消却し尽くした。同様の各地で行われた廃仏毀釈の暴虐は明治二三年ころには沈静化し明治十年には真宗を中心に仏教も明治新政府の宗教政策のなかに処を得るに至る。それは何より財政基盤の脆弱な新政府が仏教教団の寄付を必要としたことと、数百年に及ぶ民衆教導の技術が国民の国家神道教育に欠かせないことを行政トップが痛感したことによる。しかし諸寺の統廃合は強力に行われ寺社からはみでた修験や呪術的な祭事、地蔵などの淫祠はことごとく禁止・廃却された。
 
 日本人は「信仰心」が薄いといわれる。しかし信仰心を培うのは細々とした「信仰生活」があるからで、明治政府の行った神仏分離と廃仏毀釈はこうした信仰生活を単純化し、葬儀と祖霊信仰に一元化するものであった。その結果、信仰心の衰滅と道義心の衰退をもたらしたのが今の日本人の宗教心となって表れているのではないか。しかし日常生活と年に何回かの神さん詣りと墓参の間にある空隙を不安定と感じる民衆は本殿の神拝作法を律義に「二礼二拍一礼」にこだわったり「神式婚礼」を順守したりしている。ところが神拝作法は神仏分離を徹底するために明治の神官が「手を合わす」のは仏式だとして新たに定めた作法だし、今の神式婚礼は大正天皇の結婚式の様式を庶民化したものだということを知れば最近はやりのパワースポットとかスピリチュアルなどと同様に商業主義にまみれた浅薄な「伝統志向」と切り捨てられる代物と言えよう。
 
 我々は2015年のISによるアフガニスタンのバーミヤン大仏破壊を蛮行と嘲笑したが、明治維新の「神仏分離・廃仏毀釈」はそれをはるかに上回る「民族的愚行」と言われても仕方のない蛮行であった。
 
 
 

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