2020年2月10日月曜日

すでに起こってしまった未来(3)

 ドラッカーの教えに従って「すでに起こってしまった未来」を見出して「日本経済の低迷」はなぜ長引いているのかを考えている。ひとつは「利子所得の消滅が消費を冷え込ませている」のではないかと考えた。次はGDPのもうひとつの構成要素「投資」の低迷原因を考えてみる。
 「信用創造の収縮」が投資の減少をもたらし日本経済を低迷させている
 2018年度の内部留保(利益剰余金)は463兆円を超えた。バブル崩壊後、特にリーマンショックを経た後の企業の投資活動は借入金に頼るのではなく内部留保を取り崩して自己資金の範囲内で行う健全経営に移行している。これは金融正常化のために不良債権処理を劇的に行った銀行の貸しはがしなどを経験した企業の防衛姿勢の表れとも言える。
 しかし別角度から見てみると、自己資金で行う投資は最大限内部留保と同額しか行えないことを意味している。戦後日本経済が急激な回復を果たしたのは間接金融による「信用創造」に負うところが大であった。信用創造がどれほどできるかをBIS(国際決済銀行)の自己資本比率8%を最大準備率として考えると自己資金の10倍から12倍まで「信用創造」(貸出)できることになる。内部留保に頼る投資(や創業資金)は内部留保と同額しか行えないのに対して銀行の融資(企業にとっては借金)が利用されると原資の10倍以上の投資や創業が行われる可能性があるのだ。
 京都には「京都企業」と呼ばれる一群の会社がある。京セラ、村田製作所、オムロンなどだがこれらの企業は戦後地元の金融機関の支援を受けて発展(創業)してきた。社内留保で投資する企業は既存企業であって、今から創業しようとしている「起業家」や長年低迷してきた中小企業がやっと作り出した成長の種子(新発見や発明)を育て上げようとするときには内部留保という「資金力」はない。「失われた20年」の間にも京セラや村田製作所になったかもしれない「成長の種子」――新規創業を目指す企業は少なからずあったにちがいない。また中小企業が心血を注いで研究開発した発明や発見の「種子」はそれ以上に多かったかもしれない。しかし資金力不足からそれを成長に結び付けることができず口惜しい思いをした会社はどれほどあっただろうか。メガバンクではなく地方の金融機関がそういう「目利き力」をノウハウとして持っていたとしても、「ゼロ金利」政策の下では5%も6%もの「高利」は取れるはずもないから、挑戦する企業にリスクを取って応えられずにきた地銀や信用金庫はすくなくないはずだ。そんな積み重ねの20年の結果、銀行の「信用創造」は収縮の一途をたどってきたのだ。
 政府は成長戦略として「地方創生」を称えてきた。安倍政権も2014年に「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定して東京一局集中を是正しようとした。しかしいくら中央が主導して地方の活性化を図ろうとしても地方に根を下した地元企業(と産業)が興らなければ実現するはずがない。活性化のための成長の種子は芽生えているのに資金がないから埋もれている地方の企業を見出せるのは中央官庁の指導の下にある地方公共団体の出先機関ではない、長年地元で企業(と産業)を見てきた「目利き力」のある地方の金融機関なのだ。
 政府はゼロ金利下で「稼ぐ力」を失い疲弊する地方金融機関を見捨てて多くの官民ファンドを設立した。
平成29年12月に発表された「官民ファンドの運営にかかわるガイドラインによる検証報告(第8回)」によると13ファンド、総資金量約4兆円(政府、民間からの出資金1兆662億円、政府保証2兆9694億円)となっている。主だったものを挙げてみると㈱産業革新機構、独立行政法人・中小企業基盤整備機構、㈱地域経済活性化支援機構など産業別、産業技術別に網羅的にファンドが設定されている。なかには地域低炭素投資促進ファンド事業―別称グリーンファイナンス推進機構、などというものもラインアップされていて、いかにも「お役所仕事」的抜かりなさがうかがえる。しかしこれだけ多数のファンドがあり、その間の連携も錯綜して利用者の立場からは混乱もきたしているのだろう、「官民ファンド総括アドバイザリー委員会」などと称するものまで設けられている。しかしこれだけ網羅的に、多量の資金を用意して設立された官民ファンドだがこれといった目立った実績の報告はいまだ伝わっていない。
 それは当然のことで、利用者の立場からすれば「敷居が高く」「実施が遅い」大きすぎる組織なのだ。地元金融機関のように付き合いもなく、持ち込む案件の理解力にも欠け、三ヶ月か四ヶ月で結果が欲しいのに半年、いや一年近く待たされることもある、大きすぎる組織では使い勝手が悪すぎる。もしこれだけの資金が地元金融機関にあれば、大体一府県に一千億円の資金量があれば、五年もあれば相当な実績があったに違いない。
 お金は経済社会の血液に例えられる。銀行は企業国・自治体などにお金という血液を送り込む心臓のような存在だといえる。「ゼロ金利政策」で地方金融機関の息の根を止めておいて統合だ、業務停止だと締め上げる中央官庁の『不定見』な行政は、金融の中央集権化を行い乱立する中小銀行の整理を行って金融の合理化を進めようとしているように思える。しかしそれは誤りだ。金融ほど「中央集権」に馴染まない機能はないのではないか。人体に「毛細血管」があるように国の隅々にまで細かく張り巡らされた地域金融機関網があってこそ、第二の「京セラ」や「オムロン」の生まれる可能性があるのだ。
 地方経済の活性化は地方金融の活性化と両輪でなければ達成できない。いま政府が行おうとしている政府と中央官庁が主導して、地方金融を切り捨てた施策では地方創生は絶対に達成不可能である。
 
 地方のことは地方に、それは金融を含めたことなのだということを為政者は全く気づいていない。
 
 

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