2020年2月17日月曜日

老巧者

 「すでに起こってしまった未来」は今週は中休み。『部長の大晩年(城山三郎著)』から「老い巧者(おいこうしゃ)」の成り方を学んでみよう。
 
 この本の初読は六十才をすぎてスグの頃だったと思う。当時は彼の「壮快な老い方」に瞠目させられたが、再読して老いの愉しさとすばらしさを強く感じた。それは多分、自身が八十才近くなって老いを実感するようになり、でも健康で先行きに区切りがつかない宙ぶらりんな状態の中で何かに挑戦したいと思うようになって、その恰好の先達を見出した悦びなのだろう。
 
 本編の主人公、永田耕衣は1900年生まれで97才の長寿を享受した俳人で本名は軍二である。戦前の関西では有数の大工場を誇った高砂の三菱製紙に就職し製造部長まで勤め上げ実社会でも名を遂げた人だが、彼にとって仕事は「つまらんもの」だったらしく、自身が主宰した「琴座(リラざ)」などを活動拠点とした「俳人」としての活躍、また禅に深くかかわり書や画なども含めた芸術・趣味生活に人生の重きをおいた生き方をした人だった。だから、「いや、第二の人生という言葉も当てはまらない。退職後の人生のほうが長いだけでない。晩年まで一年一年、成長し開花し続けた耕衣。/それも、「人間、出会いは絶景」とし、「マルマル人間」たらんとする親しみやすい形での成長である。しかも、あの大震災にもひるまぬ芯の強さを保って」という評価になる。
 耕衣は趣味生活について「ものの味わいを吸いとって、これによって己が生活を豊富にする、深める、高める、且その事を楽しむという、命ある者の最も正しく普遍的な催しに外ならず」と考えていた。こうした考えと「出会いは絶景」という人との接し方だから、棟方志功や西東三鬼のような「マルマル人間」と親密な交際を重ね豊かな人生を歩んだ。「マルマル人間」を私なりに解釈すると、自分を表と裏、本音と建前につくらず、丸っぽの自分を曝けて生きている人、なのではないか。そんな彼が一度だけ自分を曲げたことがあった。戦前の大政翼賛会の時代、節を曲げずに生きると職さえも失う危機に見舞われ俳句の世界から一時身を引いた時である。時代に阿った俳句はつくらずサッと表舞台から退いた彼の胸中はどんなだっただろうか。
 
 さて彼の老いへの対し方だが七十才の時こんな風に云っている。
 「(七十才になったからといって)べつに大したことではない」(略)「大したことは、一身の晩年をいかに立体的に充実して生きつらぬくかということだけである。一切のムダを排除し、秀れた人物に接し、秀れた書をよみ、秀れた芸術を教えられ、かつ発見してゆく以外、充実の道はない」(略)人生への出場宣言とでもいった趣である。
 さらに長生きの秘訣をこんな言葉で語っている。
 「人生を弾ませ、長生を導くものこそ好奇心である。筋のいい好奇心を創造してゆきたい」(略)「文章を書くことも、自己の心身脱落(しんしんだつらく)の道である」と、すすめている。禅による自己救済と同じというニュアンスである。
 これらを総合してみると、晩年を設計する能力が必要で、いくつになっても好奇心を創造しつづけることで生きる力が継続されるようになる。人生にいったん区切りをつけて、諸々の関わりや欲望を整理して一切を晩年の充実に振り向ける。
 そんな生き方をつづけていると「欲深」になると耕衣はいう。「年をとると、生きている喜びが深くなる。深くなるというよりも、その歓びを深く求めるようになる。つまり欲が深くなる。精神的な欲がふかくなる。私にあっては、旅をすることでもなく、世間に存在を媚びることでもない。古人今人の秀れた文章を毛穴から読みとることである」。
 
 そんな彼でも九十才を超えると「死を怖れざりしはむかし老の春」という富安風生の句が気に懸かるようになる。しのびよる衰えがさすがの耕衣にも「ひるみ」をおぼえさせたのか。しかし「生物には『衰弱のエネルギー』というものがある」ともいっている。ただ衰えに隷従するのでなく、衰えに上手に馴れていくためにもエネルギーが必要だといっているのだろう。
 
 最近周りで「なんにもせんと毎日を過ごしていてええのやろか」と嘆く人が少なくない。そんな人には彼のこんな言葉をおくろう。「人間であるということが職業なんや。人間そのものの深化向上を切願する以外、何の手立てもありゃせんのや」(略)「人間死ぬまで成長変化すること。体中に情熱を燃え上がらせることや」、と。後半はなかなかむつかしいが、「人間であるということが職業なんや」という言葉は重要だ。人間を「生きる」と置き換えてもいい。ムダを省いて上手に生きる、だれでも「痛い」のはイヤだからそうならないように努力する。それだけで立派なもんだ。生きることを恥じることなど不要だ。
 
 最近「書斎」をもっていっぺんに生活が変わった。本を読むだけでなく中古のCD屋でクラシックとジャズのCDを買ってコンポで大音量で聞いたり、むかし画廊巡りして買った油絵を飾ったり、本棚の奥にホコリをかぶっていた硯と筆を取り出して「書」の真似ごとをしたり。居住空間を変えることで耕衣のいう「好奇心」が創造されたのだろうか。
 
 とにかく老いは愉しい。欲しいものはほとんど持っているし、結構な年金もいただいている。好きなことを好きな様にやって毎日をすごす。老巧者――永田耕衣という先達のあとをゆっくりと歩んでいこう。
 
 さて永田耕衣は俳人なのだから最後に彼のもっとも有名な句を書いてこの稿の筆を擱こう。
 コーヒ店永遠に在り秋の雨(耕衣)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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