2020年4月13日月曜日

なぜ家賃を払わなければならないのか

 緊急事態宣言が出て「休業と補償」が本格化するかと期待したが一向に進展がない。8割接触を削減すれば感染は急激に終息するから是非ご協力をと安倍総理はお願いしたがサラリーマンの出勤風景は普段とあまり変わっていない。当然のことだと思う。自粛を要請されても補償が伴わないのでは休業しようにも手立てがない。経営者とすれば、まず社員の生活を守りたい、そのうえで事業継続を図りたいと願っているにちがいない。ところが政府の個人への支援は手続きが煩雑なうえに困っている人みなに行き渡るものでなく金額も不十分過ぎる。事業支援は国はまったくする気がないようだし地方も東京以外はお金がないからしたくてもできないのが実状だ。緊急事態宣言は7都府県が対象だがそれ以外の地方の中小企業でもこのままいけばどれほど倒産するか見当もつかないほど深刻な事態になっている。
 一体国は、いや安倍総理は国民を救う気があるのだろうか。「国民の生命と財産を守るのが私の使命です」と事あるごとに口にしているのに。
 
 庶民の気持ちはどうだろうか。街の小さな居酒屋のおやじさんが店をしばらく閉めようかと考えた。店員と言ったところで自分と女房だけだからなんとか食っていけるだろう、二ケ月や三ヶ月なら。仕入れ先には不義理するがお互い様だ。問題は家賃だ。こんな小さな店でも毎月10万近い賃料を払わねばならない。これが痛い。カラ家賃だけはなんとかならないか。なんとかしてくれたらいつでも自粛できるんだが。
 こんな考えの人は決してすくなくないだろう、日本人はいい人が多いから。
 
 でもちょっとおかしくないか。製造業もサ-ビス業も休業して収入が無くなるのに不動産業だけは普段通りの賃料収入があるというのは。そういう仕組みだから、といってしまえばそれまでだが、国民みなが国難に臨んで身を削って協力し合おうとしているなかで、それはないのではないか。
 家賃保証を国がするという方法も考えられるが、それでも不公平感はぬぐえない。ここはやっぱり家賃なしか、半額か、少なくとも支払い延期かくらいはしてくれなくては、納得がいかない。
 しかし家主さんにも事情がある。ローン支払いが毎月あるから家賃が切れて返済が滞ると銀行が承知してくれない。銀行が待ってくれるのなら考えてもいいよ。そんな家主がいるかもしれない。
 
 ということは結局銀行が大元になるということか。
 新型コロナウイルスの感染を防ぐために個人の所得補償や事業継続のための政策をあれこれ思案してきたが、政府も地方公共団体も解決策を種々検討してきたが、ここまで当事者の切羽つまったところまで考えを及ぼしたコメントは聞いていない。政府も製造業もサービス業も、もちろん国民も、国難に臨んで懸命に頭を絞っているが、銀行も巻き込んで対策に当たらねば万全の策は立てられないということを、ここで改めて認識する必要がある。銀行も黙っていたわけではなかろうが、バブルの時もリーマンショックのときもあれだけ国のお世話になったのだから――ということは一般国民の世話になったのだから、この期に及んで私は関係ありませんと言えた義理ではないのだから、この際思い切った協力をお願いしたいものである。
 
 しかし現場を知るということは本当に大事なことで、先日も理髪店で知ったのだが、店先にシャンプーのボトルに入った洗浄アルコールが置いてあったので、どうしてときくと、アルコールは売っているんだけれど(業務用の大きなものが)容器がないから一般には売り出せないのだという。容器を製造しているのが中国で貿易がストップしているから届かないのだという。また、なぜ美容がよくて理容が自粛を言われるのかと聞くと、顔剃りで密接するかららしい。ならマスクして絶対に話をしないようにすればいいのではないか。しかし、お役人はそこまで真剣に床屋のことなど考えないだろうからこんな工夫が浮かぶはずもないか。
 
 あれだけ、法律を好き勝手に解釈したり毎年赤字予算を組んでなんら虞を抱くそぶりも見せなかった安倍総理がここに至って、法律にないことに怯んだり、赤字国債発行に尻込みしたり。まったく肝の座っていないことに呆れ果てた。「国民の生命と財産を守るのが私の使命」という口癖はおためごかしだったのか。
 
 気分を変えて。近所にこんなに桜があったのかと驚いた。毎朝の散歩の道すがら見馴れている公園の桜と学校の校門の桜は今年も見事に咲き誇っていたが、その学校の一本裏道にあるお宅の桜が発見だった。ほどほどの広さのお庭の道沿いに屋根より高く、多分八九メートルはある、主の丹精で下梢のむだ枝を削がれたすがたのよい樹形は、桜の咲き様がすっきりと品よく映えて鄙びた感を漂わせている。この宅には少し離れたところに色映えのよさそうな紅葉木もあって春秋に風情を愉しんでいる主のこころがしのばれた。大通りを越えてバス停一駅ほど先にある小さなお宮さんの参道にトンネルをなして植えてある両側六七本の染井吉野も控えめだけれどそれなりに見るものを満足させてくれた。今どきめずらしく地道むきだし――砂利も敷いてない道脇はわずかに盛土してあって若草が疎らに萌えていて緑と桜の色映えがちょうどよい案配に感じられた。土曜日の昼前ということもあったのか幼い女の子二人と若い夫婦が小さなレジャーシートいっぱいに寄り添ってお弁当を広げていたが、毎年こんな住宅街の小さなお宮さんで花見してはいないだろう、外出自粛の今年だからこその風景だ。昨年農業用水にそって爛漫と咲き誇っていた名物の桜を用水路整備のために無残に伐採されてしまったが、そのあとに背の低い生垣と疎らに細い桜の若木が植えられたのが、一年たった今年、その生垣の新芽が真っ赤に色づいて桜がポツンポツンと花をつけた。若木だから花数も多くなくかすかなすがたの桜がべニカナメモチの真紅の新芽と好コントラストになって、これはこれなりに美しいものだと新発見になった。少し年を経れば大通りのナンジャモンジャとともにこの地区の見ものになるにちがいない。
 桜ばかりでなく古風な黄色のレンギョウや名前のように白々としたユキヤナギも盛りで、藤もすこし早いが芽ぶきはじめてまさに春たけなわの地元の美しさを味合わせてくれたのもコロナ禍の外出自粛のお陰であろうか。
 
 年寄りの運動不足が言われているが早朝――どうせ目覚めは早いのだから人通りの少ない早朝に、大股で速足の散歩を十五分もすれば汗ばんでちょうどいい運動になる。ラジオ体操も一緒にすれば十分すぎる運動量になる。陽の昇りきる前の青空は美しいですぞ!
 
 
 
 
 

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