2020年4月20日月曜日

古井由吉と桜

 今年ほどしみじみと桜を見たことはない、昨日の雨と風で散らされた桜の樹を見上げながらそう思った。おまけに今年の桜は咲き振りが豪華で花もちも長かった、三月の中ごろから咲き始めて入学式にも花を保っていたから厄災に見舞われた幼い新入生たちに束の間の喜びを与えてくれた。今年はコロナ禍の外出自粛で円山の枝垂れでも御所の近衛の桜でもない近所の名もない桜だったが、早朝の散歩の澄み渡った青空をバックに見る桜はピンクにしろ白にしろ、桜ってこんなに艶やかだったのかと改めて感じさせてくれた。桜ばかりでなくレンギョウも雪柳も鮮やかで、コロナに沈むわれわれに自然がプレゼントしてくれた安らぎだったのかもしれない。
 
 そう言えば古井由吉の小説にこんな一節があった。「この春ほどに花をつくづくと眺めたことはない。/昔、故人がふっと洩らした、その声が耳に返った。秋の末に亡くなっている。しかしそんなことを今生の感慨のようにつぶやいたのは、あれこれ思い合わせるに、亡くなった年のことではなくて、それより三年も前の晩春のことだった。今年ほど草木が目に染みたこともないというようなことを日記に書き置いた文士もある。いかにも終末の予感、これが見納めになるかというような心にも読めるが、その文士の住まうあたりをふくめて広範な区域が空襲により、草も木も焼き尽くされたのは、それからたしか十年あまりも先のことになる(『ゆらぐ玉の緒(以下玉の緒と略す)』「孤帆一片」より)。」
 今年二月の中ごろに亡くなった作家は老いと死と病を深く表現した。今のわが国の小説家で彼ほど「言葉」に執着したひとはなかった。ひとつの表現にとことん言葉探しするとともにそのことばをどう重ね合わせればもっとも効果的で、伝えたい実体にあっているかを突き詰めに突き詰めた作家だった。まだ八十二歳だったから惜しい限りであるが大病を何度も患っていたからボロボロだったのかもしれない。それにしては亡くなる直前まで健筆をふるっていたから、死ぬまで文学を追及していたのだ。畏敬の念をもって死を悼む。
 
 そんな彼の作品から老病死にまつわる幾つかを読んでみよう。
 七十のなかばまではその間の逝去者がひとりふたりはいたものだが、八十の坂にかかる頃から、訃音も絶えている。ひとまずは休息か(玉の緒「ゆらぐ玉の緒」)。
 明日の天気はどうあれ、朝ごとに、一夜のとにかく明けたのを何にしてもありがたがるようにはいづれなるな、と風の過ぎる音を耳で追って眠った(玉の緒「時の刻み」)。
 不思議なことに七十半ばを超すと友人知人の訃音が途絶え、親戚関係では親の年代がすっかり片づいて自分が最年長世代になってくる。そのころになると、何事もなく健やかに朝を迎えたことを仏壇に手を合わせながら感謝するようになる。
 
 年を取るに従って運動不足が禍して睡眠が思うようにとれなくなる。
 床に就けば、その夜はたちまち眠りに落ちて、夢も見ず寝覚めもせず、よほどの昏睡だったようで、気がつくと正午をまわっていた。あらたまった気分もしなかったが、ひさしぶりに若い眠りだった。/よくも老体がついでに往ってしまわなかったものだ、と呆れもした(玉の緒「ゆらぐ玉の緒」)。
 この住まいも表の騒音からすっかりは遮断されてはいない。それなのに寝入り際に内外の静まりがなにやら質感を帯びて、水のように耳から流れこんで、そのまま眠りにつながる。早く床に就くので夜半に寝覚めることもあるが、ひきつづき熟睡感につつまれて、耳を澄ませばいっそう深い静まりが耳に染みてくる(玉の緒「孤帆一片」)。
 夜中に目覚めて一切の騒音がなく、無音の中に自分が溶け込んでいくような感覚に襲われる時がある。一種の浮遊感が伴うこともあり夢と現の境目があやふやになって、よくも老体がついでに往ってしまわなかったものだ、という表現にはリアリティがある。
 
 まるで(まど)(わし)にひきまわされたようだったが、しかし焦りも乱れもなく、心身は白く静まっていた。何にしてもこの春に半月も天井ばかり眺めて暮らしたのだから、空間の狂いがぶりかえすことはあるだろう、そう言えばひとしなみにくっきりと目に映るので見当がつかないようだ、しかしなまじあわてないのでずるずる迷っているのかもしれない、とそんなことを他人事に考えながら、病中から予後の習いで背をまっすぐに伸ばして、足をゆったりと運んでいた。道に迷った姿とは、端から見えなかったにちがいない(玉の緒「ゆらぐ玉の緒」)。 
 半月もすると杖は携えているが片手に浮かせて振っているばかりのことが多くなり、両手が振れたほうが歩きやすいものだと感心させられた。並木路を片道歩いてはベンチに腰をおろす。息を入れながら樹々の繁りに目をあずけていると、呆然とするほどに心地よい。時間のうながしからようやく免れているようで、これこそ衰弱の恍惚か。/紛れもない病人である。あの年寄り、ああしていつまでいられることか、と眺めて通り過ぎる人もあるだろう(玉の緒「その日暮らし」)。
 病院通いが生活の一部になって入退院を繰り返すひとも多く、そうでなくても体力の衰えは「健常者」とは異次元の領域に追い込まれる。
 
 当然のことながら早い遅いはあっても夫婦のどちらかが先に往ってしまう。次の一文は理想的な「別れ」のかたちだが、その底にひそむ哀切の感がつらい。
 故人はその時まで平生と、どんなに様子が変わらなかったか、夫人はそのことばかりを縷々と、楽しそうに、ときおりは訴えるように話した。不安な兆しは何ひとつ、さっぱりなかった、と強調した。それだもので、主人が物を言わなくなってしまった時には呆気にとられたけれど、おかげで普段の気持ちのまま別れることができました、とおかしそうに言った。いえ、別れそこねたみたいで、今でも主人がその辺からぬっと入ってきて、わたし、そちらもみずに話しかけているのですよ、返事も聞こえているのです、もともと言葉数のすくない人ですから、とさらにおかしそうにして、こんな話をするとたいそう哀しんでいるように聞こえて嫌ですね、と笑った。でも、別れそこねて困るような年でもなし、と(『楽天記』より)。
 
 すぐれた文学者の透徹した「ことば」は老いを直視させる力を与えてくれる。
 
 
 
 
 
 

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