2020年4月27日月曜日

コロナ禍後の世界

 日本はいつの間にこんな見下げ果てた国に成り下がったのか。マスクも、洗浄用のアルコールも、医療用防護服も手袋も、ICU(集中治療室)も病室も、ない。緊急事態宣言を発令されても自家用車で鎌倉へ、江ノ島へ――移動してウィルスをまき散らしても平気なみすぼらしい人間ばかりになってしまったのか。少し前まで、ヘイトの対象でしかなかった見下げ降ろして蔑んだ韓国の、なんと優れたPCR検査と潤沢な物資と治療体制か。「自粛」という卑怯な「権力」をふるいながら「手を挙げたひと」への10万円支給ですよと、ひとを値踏みするかのような下品な副総理と、非常時に右往左往して、裸の王様に侍る侏儒の世迷いごとに誑(たぶら)かされて「国民の生命と財産を守る」ことのまるでできない日本の最高為政者の体たらく。
 核兵器禁止条約に反対し、気候変動枠組条約に消極的な姿勢を取り続ける日本。二十年前までは地球温暖化防止の技術開発で世界の先頭をきってリードしていた日本、先の大戦の反省を肝に銘じて核兵器に反対し軍事力を放棄して世界平和を主導していた日本。世界2位2000年の豊かさを誇ってから20年、いまや26位にまで後退してしまった日本(1人当GDPで)。「現実主義」の名のもとに埋没してしまった世界最高の高齢国、日本。
 いつのまに日本はこんな貧しい国に成り果ててしまったのか。
 
 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)による経済的損害が増大する中、アメリカの失業保険給付の申請件数が、先月中旬からの週間で合わせて2600万件を超えたとの報道がある2020.4.23。4月20日現在感染者数75万9千人、死者数4万人はいずれも世界最悪の数字だ。なぜアメリカがこんな状態に至ったのか。豊かな国のはずのアメリカの貧富の格差は絶大で貧困率が17.8%にも達し世界の6位にあるという現実が感染に影響しているのは間違いない(貧困率最悪は南アフリカの26.6%、韓国7位17.4%、日本15位15.7%)。アメリカ経済の中心地ニューヨーク州は以外にも失業率8.5%でワースト13位、貧困率(個人1万1千ドル以下、4人家族2人子ども2万2千ドル以下、2012年)は15.9%で50州中ワースト22位という貧富の格差の激しい州なのだ。アメリカ全体の3割近い感染者数がニューヨーク州から出ている背景にはこんな事情があるのかもしれない。貧富の格差が激しく健康保険もなく不況になれば失業者があふれるアメリカ。1%が国の富を独占している現状に反乱した99%の人たちの「ウォール街を占拠せよ!」の運動は2011年9月のことだったが、トランプ大統領の出現によって格差の拡大は悪化の一途をたどっている。
 
 わが国はこんなアメリカをお手本に、アメリカの言うがままに13都道府県にアメリカの軍事基地・78施設き、トランプ大統領の商売上手に引っかかってアメリカから日本への武器輸出額(「対外有償軍事援助―FMS」)は第二次安倍政権発足当時2013年589億円から2018年度4102億円の約7倍にまで膨張している。
 終戦直後の「ブロンディ(チャック・ヤング作)」という漫画は刺激的だった。食うものさえない貧しい日本人は芝生つきの広い家と電気冷蔵庫、電気掃除機、テレビに囲まれて自動車で郊外を疾走するアメリカの物質文明に圧倒され憧れた。自由と民主主義という輝かしい思想と豊かさは敗戦国日本の「目標」となって当然であった。しかし日本の政治と官僚機構はアメリカの「猿真似」はしなかった。「資本主義の顔をした社会主義」と揶揄されながらも「日本型社会主義」と呼ばれる「福祉国家」建設を国是として「高度経済成長」を実現し「奇跡の復興」を成し遂げた。資本の集約と計画的配分で最適の資源配分を行い、賃金格差は社長の給料を社員平均給料の10倍程度に抑え込んでいた。「ゆりかごから墓場まで」を実現しようと健康保険、老齢年金、介護保険などの社会保障を充実し、失業保険と生活保護を手厚くしてセーフティネットを確立した。終身雇用と年功序列型賃金体系で生活は安定し頑張れば「あしたは良くなる」という『希望』をもって国民は生活できた。
 市場に任す領域(私的)と政府が分担する領域(公的)のバランスが絶妙に保たれて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界の称賛を浴びた。そして多くの発展途上国がわが国を「目標」とした、経済と平和のふたつの日本を。
 
 潮目が変わったのは1980年代だった。イギリスのサッチャリズムとアメリカのレーガノミックスがそれだ。
 イギリスは日本がお手本とした「ゆりかごから墓場まで」の本家の国であり社会福祉の充実した国民にとっては住みやすい国であったが、その結果「英国病」という有り難くない名で呼ばれる「低成長国」になり、国際競争力が低下した。一方アメリカはインフレと高失業率に悩まされ「低成長国」におちいっていた。サッチャーとレーガンはともに「低成長」からの脱却が共通の使命だったわけである。そこで二人のとった道は、規制の緩和と撤廃による民間活力の採用と「小さな政府」という政策だった。彼らの政策は財政赤字の拡大を招いたが、失業率とインフレ率の低下いう大きな成果を上げて「成長率」をアップさせた。ところが1987年の「ブラックマンデー」の株価大暴落でそれまでの成果が帳消しになって、やがてレーガンは1989年に、サッチャーは1990年に引退を迎える。
 
 2001年に発足した小泉政権は折悪しくバブルの崩壊(1991年3月~1993年10月)の後始末という極めて難しい政権運営を委ねられることになりアメリカの援助を仰ぐ必要に迫られた。当時のブッシュ政権は「アメリカ第一主義」のもと自らの信念や価値観の共有を求めるとともに「年次改革要望書」の形で強力な圧力を加え、周回遅れの「新自由主義」経済政策の導入を強制した。小泉政権は「郵政民営化」に象徴される急激な「民営化」と「市場第一主義」に突き進まざるを得なかった。
 
 アメリカも日本も二十一世紀の一年一年に「経済格差の拡大」と「国家分断」が進行した。新型コロナウィルス禍は日本もアメリカもそして世界も、一番「弱い人たち」を直撃するにちがいない。コロナ禍が終息して経済を立て直すそのとき、市場第一主義の「新自由主義」は大きな修正を迫られるにちがいない、「格差」を放置したままでは「国家再建」は不可能だから。
 
 中国の「国家資本主義」でもない、アメリカの「新自由主義」でもない、グローバル化がもたらした「ひとつの世界」を運営するのに最も適した「社会体制」の模索という極めて困難な問題と世界は取り組んでいかなければならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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