2021年1月11日月曜日

無法者

  ちょっと皆さん、まってくださいよ、なにか勘違いしていませんか。無法者と特権階級はまったくちがいます。法律や約束を守らい『奴ら』を特権階級とかエリートとは言わないのです。国民には夜八時以後の会食を禁止しておきながら自分らにはそんなルールは適用しない、そんな政治家どもはエリートでも特権階級でもないのです、単なる「無法者」「ならず者」というのです。ネット上で若い人たちが彼らを特権階級と表現しているのをそのままマスコミがテレビで使うから、彼らも勘違いして「あぁ、俺たちは特権階級なんだ」とフンゾリ返ってしまうわけで、良識あるマスコミなら、言論人なら、「キミたちそれは違いますよ、法律を守らい奴らは『無法者』というのが正しい日本語なのですよ」とたしなめ諭すべきなのです。最近のマスコミは劣化していると以前から心ある人たちが言いつづけていますからひょっとしたらマスコミ人もエリートと無法者の正しい使い方を知らないのでしょうか。

 

 しかし若者が真実(ほんとう)の「特権階級」を知らないのも無理ないかもしれません。日本の最高権力者が、森友問題や加計学園問題・桜を見る会問題で百何回も嘘をついたり、友人知人の「誼(よしみ)」を通じて国家財産を特価で払い下げたり資格のない法人に学校の認可を与えたりする『無法』がまかり通るのを見ているわけですから、エラクなれば法律を犯してもいいのだ、それが「特権階級」というのだと「学習」するのも当然かもしれません。

 

 彼ら無法者の言い分は「われわれは選挙で信認を受けたのだから数の力でなにを押し通してもいいのだ」というのです。しかし彼らも学校で――それも極め付きの最高学府で「民主主義の根本は反対する人たちの意見も汲み取ってできるだけ多く国民が幸福になるような国家運営をすることである」と学んでいるはずなのです。先の衆議院議員選挙でも284の議席を獲得した政権党の自民党ですが181議席の野党票もあるのですから国民の約四割は自民党の政権運営に全面的に賛成しているのではないのです。野党に投票した国民の意見を丁寧に吸収して日本全体を住みよい社会にするという「心がけ」が政権運営の「根本精神」のはずが、「自助・共助・公助」とまず自分でできることを懸命にやりなさい、次はみんなの力を結集しなさい、国に頼るのは最後の砦ですと国民に「言い放つ」最高権力者がわが国のトップなのですから、コロナで零細企業が倒産することになんの「心の痛み」もないのでしょう。ひとり親でアルバイトを三つも四つも掛け持ちして子どもを育てていた女性が、コロナで雇止めになって収入のみちが断たれて住むところさえ危うい状態に陥っていてもまだ「自助」を言い募るのでしょうか。

 

 欧米には「ノブレスオブリージュ(貴族の義務)」ということばがあります。フランス語で「高貴さは(義務を)強制する」と読み、財産、権力、社会的地位を有する者はそれを保持するためには義務が伴うことを意味しています。特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという倫理観で、最近では富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の規範となるように振舞うべきだ」という社会的責任として用いられる場合が多いようです。イギリスでは第一次世界大戦のとき貴族階級の戦士が率先して最前線に立つこともあって貴族や王族の子弟にも戦死者が多くでており、第二次世界大戦ではエリザベス二世がイギリス軍に従軍しています。アメリカではセレブや名士がボランティア活動に積極的に参加したり寄付することはよく知られています。

 

 戦地から遠く離れた国会議事堂の地下のシェルターに鎮座してフィリピンやガダルカナルの最前線にいる若者に「特攻隊となって玉砕せよ」と命令していた輩、芋粥をすすって痩せさらばえた国民に竹槍で原爆に立ち向かえと号令した奴ら。新型コロナウィルス感染症という「目に見えない敵」の来襲する「戦場」で竹槍――十分な補償もせずに五万円や六万円の涙金――で企業活動中止を「自粛」という「同調圧力」で「強制」する連中は戦前の高級将校と全く同じ構図を描いていることに気づいていません。

 あれから八十年もたっているのにわが国権力者の思考方法が『竹槍精神』から一歩も進歩していないことに驚きを禁じえないのです。

 

 若い人たちにもう一度念を押しておきます。法律を破ったり約束を守らない人は『無法者』『ならず者』というのですよ、決して『特権階級――エリート』とは呼ばないのです。大事なことですからまちがわないように。                    

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