2021年1月18日月曜日

老人よ、町に出よう

  もはや戦後ではない(1951年の経済白書)と煽られて高度成長に突き進んでいく日本経済の中で、当時全盛だったマルキシズムで哲学する若者のエネルギーは、安保闘争(1960年)、ベ平連(1965年)、学園紛争(1970年)と挫折を繰り返して行き場をなくしていまいました。そんなとき寺山修司の発した「書を捨てよ、町に出よう」(1971年)という言葉は若者のマグマに点火して瞬く間に評論に、演劇に、映画にと拡散したのです。あれから五十年、当時の若ものも今や後期高齢者、あの頃憧れた「アウトロー(競馬、バクチ、酒、女)」とは似ても似つかぬ「世間様のアウトロー」に成り果てています。今さら東映仁侠映画でもあるまいし、まして免許返納の身ではイージーライダーも気取れません。

 プレスリーに、ポール・アンカに、ビートルズにうつつをぬかしていた若者が年古(ふ)れば「ど演歌」に転向する「不可解」。同様に安保、ベ平連、学園紛争と「社会参加」に身を挺していた若者が、年金生活者に長ずるや一切社会と「没交渉」というのでは人生に「禍根」を、いや「汚点」を残すのではないでしょうか。 

 ではどうするか。それを考えてみようというのです。

 「若者たち(現役の人たち)」)は選挙のたびに自らの身を削って「年寄りにやさしい」政策を提案しつづけてくれています。その結果、今や彼らは食うや食わずの「窮境」に陥っているのです。年寄りはそこまで彼らに「甘え」きっていいのでしょうか。分断された日本社会を「うまし国やまと」に再生させるためにわれわれ年寄りは今こそ無い知恵をふり絞る時ではないでしょうか。

 ずっと以前から「今の若い人はかわいそうだ」と呟いできました。「給料が安すぎる」「われわれは住宅ローン、十年か十五年で家を建てた。今の若い人たちは三十五年もローンを組む。大変だ」と同情してきました。マイカーを持たない、旅行に行かない、なにが楽しいんだろう。持たないんじゃない、行かないんじゃない、持てない!行けない!のだという現実を知るべきです(彼らにとって携帯代の負担が大きすぎるのでもあるのですが)。

 

 サラリーマンの平均年収(国税庁民間給与実態統計調査より)は1998年(平成9年)の467万円をピークに減少に転じ2009年(平成21年)406万円まで落ち込みますが徐々に上昇、2019年(令和元年)には436万円まで回復しています。しかし今年はコロナ禍で大きく減少することでしょう。減少の原因はいろいろありますが非正規雇用者の増加が最も大きな要因と考えられます。2000年非正規雇用者は1273万人(全体の26%、正規雇用者3630万人)でしたが2019年には2165万人(38%、正規雇用者3494万人)にまで増加しているのです。収入面で問題なのは手取り額が大幅に減少していることです。年収700万円の手取り額は2002年(584万円)から2017年(537万円)の間に50万円も減っており500万円でも35万円減少しています。これは社会保険料――特に健康保険料と厚生年金保険料の増加によるものでなかでも高齢者の健康保険料の肩代わり分の増加の影響は無視できません。

 年収が減少しているうえに教育費の負担などで家計がひっ迫したために、我々年寄り世代は専業主婦が主流だったのが今では共働きが普通になっています。それを実感したのはコロナによる学校が休校されたときです。平日の午前中、普段ならめったに出歩く人のない時間帯ですが子どもらと連れ立って公園へ向かう若いお母さんの多かったこと、こんなに女性が働いているのかと驚きました。そのことはジェンダー面からは悪いことではないのですが若い人たちの生活が豊かになっていないことに問題があるのです。

 それに比べて年金生活者の何と安泰なことか。コロナ禍で世間は大混乱しているのに年金はビタ一文減りません。キチンキチンと銀行口座に振り込まれます。有り難いことです。それもこれも現役の若い人たちのお陰なのです。 

 ここまで世話になっている若い人たちにわれわれ年寄りにできることはないのでしょうか。

 

 コロナ自粛でお金を遣わなくなった、そんなことをいう年寄りが増えています。なかにはその分孫につぎ込んでいる人もあるようですがそれはそれで結構なことです。でも月に千円くらいの余裕ならあるのではありませんか。その千円を若い人のために寄付すると一千万人で百億円になります。七十才以上の高齢者は約三千万人。決して不可能な数字ではありません。年間で一千二百億円、二千万人が寄付すれば二千四百億円です。年寄りで若い人の力になりたい、一緒になって社会を少しでも良くしたいと思っている人は決して少なくありません。そうした願いの最も簡単で実現可能性の高い方法のひとつが『寄付』ではないでしょうか。

問題は法律です。今の法体系では誰でもいつでも簡単に寄付のできる法律になっていなのです。そこを何とかするように政治に働きかけねばなりません。

 

 医療費の窓口負担でもそうです。基礎疾患を持っている年寄りは少なくありませんが、重症でなく毎月1回薬をもらうだけで小康を保っている、そんな人が私の周りに沢山います。彼らの負担はせいぜい二千円くらい、高くても五千円までです。これが一挙に二倍になるのはきついけれでも一・五倍程度なら何とか工面がつくクラスは結構多いのではないでしょうか。それが何の相談もなく二倍になる法律が決定されそうな気配です。

 年寄りのことは年寄りでなければ分からない。そうであるのに、若い人もそう思っているのに、実際は若い人が頭の中で「つくった年寄り像」で政治も行政も動いています。どうして年寄りを「マーケティング」しないのでしょうか、調査に基づいて「生きた年寄り像」を構築しその(マクロ)データを政策立案に生かそうとしないのでしょうか。高齢者像も多様ですし考えも一様ではありません。政策決定の前に年寄りに「パブリックコメント」や「住民説明会」や「ヒアリング」をなぜ開いてくれないのでしょうか。

 

 物わかりの悪い年寄りばかりではありませんよ。若い人の力になりたい、一緒になって良い社会にしたい、そう願っている年寄りもいるということを若い人に知ってもらいたい。

 新年にあたってそう呼びかけたいのです。うちにこもってばかりいないで「老人よ、町に出よう!」、そう呼びかけたいのです。

 

 

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿