2021年2月15日月曜日

森舌禍事件の見方

  彼は政治の世界で不適格な人でした。それもかなり酷い評価で日本国のトップを降りざるを得なかった人物です。その人がスポーツの世界では「余人に代えがたい存在」として君臨しているのです。何故かと言えば彼の「調整力」がどうしても必要だというのです。調整力は政治力を構成する諸機能の内の最も大きな要素の一つです。彼の調整力は政治の世界では評価されなかったのですがスポーツ界ではまだそれが通用するというのです。何という「時代遅れ」の世界なのでしょうか、スポーツ界というのは。彼の調整力は日本だけでなく世界――オリンピックの招致、開催・運営にも有用たといいます。もしオリンピックがそんな世界なのだとすれば現代社会には不要なものです。オリンピックは廃止するか大改革してヨーロッパ旧世界の特権階級から既得権を剥奪して新しい組織に生まれ変わらせるべきです。

 

 しかし今回の問題の本当の責任者は武藤敏郎五輪・パラリンピック組織委員会事務総長です。伝えられるところでは事件翌日、事の大きさに驚いた森氏が辞意を漏らしたにもかかわらず強力に翻意を促したのが武藤氏だったのです。武藤氏が問題の本質を理解していたら森氏辞任は当然の流れと受け入れて早急に善後策を講じるべく体制立て直しに意を注ぐべきだったのです。森氏のこれまでを知っておれば、こちらから彼に辞任を強いることは至難の技であることは分かっていたはずで、それが本人からその旨の申し出でがあったのですからこれ幸いと有り難く承認すべきで、それが何を血迷ったか「翻意」を促したというのですから何をか況や、です。ということは武藤氏自身が「女性蔑視問題」の重要性に気づいていなかったということになります。何とか乗り切れると軽るく見積もっていたのでしょう。

 森氏が重宝されたのは彼の調整力だということですが、それは武藤氏が担わなければならなかった職責だったのではないでしょうか。彼は大蔵・財務事務次官を務めた後日銀副総裁などを歴任、トップ官僚としての統治能力、事務処理能力と豊富な内外の人脈を見込まれて事務総長に据えられたのです。わが国で現在望み得る最もふさわしいオリンピック組織委員会の事務方トップと見込まれていたわけです。実際2013年9月に招致が決定してから数々の難局があったにもかかわらず何とか今日あらしめたのは彼の力量に負うところが大きかったはずです、我々の目には触れていませんが。森さんはいわばそうした彼を頂点とした事務方の地道な努力の仕上げとして「かつがれた」神輿に乗った『顔』にすぎなかった、というのが真相だったのではないでしょうか。勿論森さんの「にらみ」が重きを演じた事もあったに違いありませんからそういう意味では森さんは適任だったのです。

 ここまで何とか破綻を招くことなくこぎつけた最後の最後で最悪の結果を招いたのは「オリンピック精神」を真から奉じていなかった「古い日本人」――封建的な家長制度の尻尾を付けた人権意識も民主主義も借り物の旧世代(武藤氏も昭和18年生まれです)――のふたりだったのです。森氏ばかりが矢面に立たされていますが武藤氏の責任も追求されるべきです。

 

 この問題に対する政府と菅総理の姿勢にも大いに疑問がありました。10億円を負担しているからといって日本学術会議の人事に介入するのを当然のことと言い募ったにもかかわらず何兆円と公的資金を注入しているオリンピック組織委員会にはオリンピック憲章を盾にして不介入をよそおった姿勢には奇異の感を拭えませんでし。それが川渕氏を後任に指名して世論に見放され死に体になったと見るや否や、すぐさま「若い人か女性がいいのでは」と介入した菅総理のブレようは、人気凋落で世論調査に神経質になっている不安定な政権の体をあからさまにしました。こうなってみると不介入は森氏の隠然たる政界での力(バックには安倍前総理も控えている)に及び腰になっていただけではないかと勘ぐりたくなってきます。

 

 今回の「女性蔑視問題」はここ10年ほどの間に噴出した各種スポーツ団体の女性蔑視や暴力事件の延長線上にある、しかも最悪のかたちで日本スポーツ界の「病巣」を明らかにしてしまった感があります。女子柔道強化選手への暴力問題、女子レスリングのパワハラ問題、プロボクシング会長問題、相撲界の暴力致死事件、ほかにもいろいろありましたし日大アメリカンフットボール部の関学戦で起こった違反タックル事件も記憶に新しいところです。これらの問題の根底にあるのはみな同じで、「暴力容認」「女性蔑視」などのかたちをとった勝利至上主義の「人権蔑視」「民主主義否定」の姿勢です。

 

 ではどうすればわが国にはびこるスポーツに対する「あやまち」をただすことができるのでしょうか。突飛なことを言うようですが「日本経済の低成長」を真剣に見つめ直すことから始まるように思います。長年わが国では「男性中心」の経済運営が行われてきました。優秀な人たちがいましたから世界の最先端を走って一時は世界第2位の経済成長を達成することができました。しかし「失われた20年」を経ても「ゼロ成長」の時代がつづいています。もう男性だけの『発想』ではアイディアが「しぼり尽くされた」のではないでしょうか。これからは――デジタル後進国、ワクチン後進国、など30年前には想像もできなかった惨状を呈している日本経済社会を再生するためには、これまでまったく活用されずにきた「女性の力」を全面的に利用するのがいちばんの近道なのではないでしょうか。年功序列の縦割り組織に阻まれて充分に力を発揮できないできた「若い力」もこの際思い切って解放することが必要でしょう。「先進国気取り」で馬鹿にしてきた「開発途上国の力」もこれからは重要になってくるにちがいありません。「女性、若い力、途上国の力」、この三つを活かすことが「ゼロ成長」から脱却するための「残された道」だと思うのです。

 男社会で年功序列のタテ社会にできている「今のわが国の組織」を解体して「フラットで柔軟性に富んだ」社会制度に変えることが前提です。

 

 もうひとつ、劣化した「官僚組織」の再編成も必須の条件です。国の運営に官僚は必要不可欠ですが今の「内閣人事局制度」は一日も早く解体するべきです。理念は優れていたのですがわが国には適さないシステムでした。その結果「忖度」が横行して官僚のもっている能力が削がれて、上ばかりを見る出世主義がはびこって「若い官僚」の意欲と能力を死滅させてしまいました。

 官僚組織の再編成も非常に重要なステップです。

 

 そして今しも東日本に再び大きな地震があったのです。復興を忘れて「コロナ五輪」と言い換えた菅総理、あなたはまだ『自助』を言い募りますか。

 

 

 

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