2021年2月1日月曜日

上皇さんだけでも

  京都人には「天皇さんはちょっと東京に遊びに行ってはるんや、そのうち帰ってきやはる」という人が今でも結構います。令和の代替わりのときには「上皇さんくらい、京都に住まはったらええのに」と思った人は随分いたにちがいありません。かくいう私もその一人ですからきっと相当数の京都人が願ったことでしょう。幼いころからそう思い込んでいた私ですが長ずるに及んでこれが根本的なまちがいであることに気づきました。なぜなら今霞ヶ関を席巻している官庁群を収容できるだけの土地の余裕が京都にはなかったからです。いや大阪にも名古屋でもそれだけの土地はありません。版籍奉還で江戸を引き払った大名屋敷があちこちに「空き家」になっていた「江戸」だけが明治新政府の首都としての地理的優位性と可能性を保有していたのです。

 こんな当たり前のことをどうして相当な齢になるまで分からなかったのか今思えば不思議ですが学校で教えてもらった記憶もありません。考えてみると、こうした当たり前の理屈で分かることが分からないままに別の「常識」が幅を利かしていることが世の中には随分あるのではないでしょうか。今日はそんなことを書いてみようと思います。

 

 中国の香港弾圧が止まるところがありません。昨年制定された「香港国家安全維持法」というおよそ「近代法」の体裁をもたない『悪法』が傍若無人の「粛清」をしまくっているのです。「法令不遡及の原則」という近代法の原理原則を習った人は多いと思いますが、法律は制定された時点から発効するもので、それ以前をその法律で裁くことはできないというのが近代国家の常識なのですが、この香港の安全維持法は過去に遡って違反していた人を裁けるというのですからとんでもない法律なのです。だから日本人でこれまで中国や習近平を批判していた言論人などはうっかり香港に遊びに行ったりしたら突然警官に取っ捕まってしまうことがないともいえないわけで、戦々恐々としている人もきっとあるにちがいありません。

 ここでよく言われるのは香港の「一国二制度」が守られていないということです。1997年英国から中国に返還されたときの中英共同声明にある、香港の「高度の自由」は今後50年間保証されるという約束が無視され数々の抑圧策によって蹂躙されていると国際社会が糾弾しているのです。

 しかしこれを中国人の立場で考えてみるとまったく見方が変わってきます。香港が英国領土となったのは第一次阿片戦争の「南京条約」で譲渡されたことに淵源がありますが、その後第二次阿片戦争が続き1860年北京条約締結をもって終息しました。この二つの条約は中国にとってはおよそ承認できないほどの「不平等条約」で、香港、九龍島、外満州(対ロシア)の割譲や「苦力貿易」という中国人労働者を劣悪な条件で移民させるというほとんど「奴隷貿易」まがいの移民政策を受け入れさせるなどという内容だったのです。そもそも阿片戦争そのものが理不尽なもので、茶、陶磁器、絹などを大量に輸入していた中英貿易は英国の完全な赤字貿易で、支払い不足に陥った英国がインドで阿片を栽培させてそれを中国に密輸して貿易決済資金を調達するという今から考えれば完全な英国の「国際信義」を無視した交易状況を打破しようと「阿片禁輸」を打ち出した中国に難癖をつけて開戦に追い込んだ不条理な戦争だったのです。軍事力に圧倒的に勝る英国が勝利を収めるのは当然でその軍事力を背景に結ばれた条約が南京、北京の二つの条約だったのです。

 こんな不合理な条約を基礎とした「香港」が返還されるからといってそもそもの「香港割譲」が中国にとっては「暴力的剥奪」だったと考えているのですから「50年の高度な自由」など「糞食らえ」だと「ケツを捲る」行為に出ても何ら恥じるところがないのです。こんな事情があるからこそ英国も中国に面と向かって「約束違反」を突きつけることができないのです。

 

 もちろんいま中国が香港市民に行っている「暴虐」が許されるはずもありません。香港だけでなくチベット、ウィグル、モンゴル、台湾などへの抑圧は、内政干渉で片付けられるような生やさしい「人権問題」ではありません。しかしこと「香港」に限っては英国の「責任」も国際的な場で改めて論議されるべきだと思います。難民問題ももとをたどれば植民地支配で収奪の限りを尽くしたヨーロッパ、アメリカなど先進国の責任も重くあるわけで、富裕な先進諸国が古くて新しい『南北問題』に本気で取り組むべき時期に至っていることを認識すべきなのです。

 

 これは日本にとっても「対岸の火事」ではないのであって、日韓、日中、対東南アジア諸国との関係も「歴史問題」として認識すれば、今われわれが「常識」としている見方も根本的に変わってくるはずで、そうした「透徹した歴史の眼」が現在の日本には徹底的に欠けているのではないでしょうか。

 

 もうひとつ、習近平政権が昨年打ち出した「所得倍増計画」も中国共産党政権や世界の一部が中国に抱いている常識が可能性に期待しているほど蓋然性があるとは思えません。2035年までに経済規模を2倍に拡大し、5年以内に高所得国入りするというこの計画は、2030年ころまでにアメリカを抜いて中国が世界最大の経済大国になるという「常識」と同じほど実現性に疑問を感じます。

 中国の2019年の1人当GDPは1万ドル強で世界の69位ですがこれを高所得国ラインの2万ドルに5年間でするというのです。しかし中国の成長率はここ数年急速に減速して今では年率6%の成長を維持するのも難しい状態になっています。仮に6%成長が保たれたとしても2倍になるには10年以上(約12年)かかる計算になります。現状ではこれでも楽観的な見通しでまして5年以内などという計画はとても無理だといわざるをえません。2035年ころまでに経済規模を倍増するという計画は6%近い成長率を想定すれば12~15年で可能な数字ではありますが次に述べるような理由でそれも無理だと思います。

 2019年の世界のGDPは87兆5千億ドルでアメリカ(24.6%)と中国(16.9%)で全体の40%強を占めています。もしアメリカの比率を現状のままと仮定して中国だけが倍増したとすると中国の比率は33.8%となって米中の比率は60%近いものになってしまいます。このように偏った国別の成長はグローバル化が高度化した現在ではあり得ない姿です。30年ほど前までは世界の資源は7ケ国(G7)か20ケ国(G20)で利用することも可能な世界情勢でした――市場という規制はありましたが。しかしその後グローバル化が急進展して今やフロンティア(未開拓国)の存在しない緊密な連携でつながった国際経済体制になっています。多数の貧困国を搾取して強い国(軍事力のすぐれた)数ヵ国だけが資源を独占して成長の果実を独占するようなことが許されることはあり得ません。中国の「所得倍増計画」はまさにこうした軍事力を背景とした有無を言わせぬ強権的な資源独占と弱国の収奪を前提としなければ実現可能性のない計画と言わざるを得ないのです。

 

 問題はこんな無謀な計画を共産党独裁国家のトップが打ち出さなければならないような状況に中国があるのではないかという懼れです。中国のこれまでを概観するとき、漢民族と外夷の権力抗争の歴史を繰り返してきました。現在は漢民族支配の時代です。次なる外夷はどこから来るのか。外からか内からか。所得倍増を打ち出した中国は今そんな時代転換の時期にあるのかもしれません。

 

 『常識』にとらわれていると大きな時代のうねりを見逃してしまうことは歴史が物語っています。

 

 

 

 

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