2021年6月14日月曜日

知らないところで

  今期(4~6月)のドラマはなかなか面白いものがそろっていました。

 「桜の塔(テレ朝・木曜9時)」は相当どぎつかったけれどもあくなき権力闘争を繰り広げる警察官僚の赤裸な姿が戯画的に描かれていて飽きさせませんでした。「半沢直樹」と同系列といえなくもないこういうドラマは常時一定の需要層があるから今後も焼き直しが出てくるにちがいありません。「ドラゴン桜(TBS・日曜9時)」は東大受験が完全なテクニカルなものであることを微細に描き出して受験と学校教育が相反関係にあり、そのことによって学歴が完全に親の経済力に依存している現実をあからさまにしています。その結果大学が、本来そこで学ぶべき若者でないものが多く占めることによって日本の国力が徐々に侵食されてグローバル競争に惨敗している病根を表すことになるのです。なおかつこの傾向を政治は放置するだけでなく更に亢進させようとしているのですから暗澹たる気分になってしまいます。

 「半径5メートル(NHK総合・金曜10時)」は今どき珍しい明眸皓歯の芳根京子が朝ドラのときの幼さから脱して女性に変身したうるわしい姿を見るだけで楽しいのですが、SNS時代になって報道や発信の責任が厳しく問われるなかで雑誌記者の特ダネのもたらした取材対象者のその後の生き方への責任に真摯に向き合う群像描写はLGBT問題なども絡ませて見ごたえのある作品になっています。

 「イチケイのカラス(フジ・月曜9時)}は完全な「HERO」の裁判官版で、異色裁判官が司法の公正と正義を追求する姿を若い上昇志向の強いエリート裁判官・黒木華をからませてコミカルに描く手堅い作品に仕上がっています。それにしても竹野内豊の声は本当に魅力的ですね。数年前NHKで「この声をきみに」という朗読サークルを舞台にしたドラマがありましたが名作でした。大事にしたい役者さんです。「リコカツ(TBS・金曜10時)」は「逃げ恥」の逆バージョン――「逃げ恥」が契約結婚でスタートして徐々に愛情をはぐくんでいってほんとうの結婚にいたるという形式でしたが、「リコカツ」は無鉄砲な一目惚れで結婚したカップルが日常生活に表れた価値観や生活習慣のちがいで一旦離婚、離れてみて理解できた互いの魅力に気づきあらためて愛情が育っていくギコチない若者の姿にいとおしさを感じます。加えるなら結婚した北川景子の艶やかさは特筆ものです。

 

 「逃げ恥」「リコカツ」に共通するのは一見自由をほしいままにしているように見える若者が心の奥底で「形式」を望んでいる現実です。自由を持て余して形式に逃げているようにも思えますし政治的にはそれが若年層の保守化になっているのかもしれません。その原因は何かと考えると「成長神話」が崩壊して物質的な先行きの「豊かさ」が不可能になった「脱成長派」の若者像が浮かんできます。

 そうした若者像と真正面から取り組んだドラマが「コントが始まる(日テレ・土曜10時)」です。高校時代の同級生がコントユニットを組んでお笑い芸人として出世を夢見る青春群像ドラマです。われわれ世代の標準コースだった「いい大学に入って、いい会社に就職して、親子四人の持ち家家庭」などという価値観には振り向きもしないで、先行きに何の保障もない「芸人」の世界に躊躇なく飛び込んでいける「素軽さ」に危うさを感じるのは年寄りの冷や水でしょうか。芸に取り組む姿勢は真摯でアルバイトで稼ぐ生活態度は堅実そのもの、にもかかわらずもし人気が得られなければ蓄積はゼロとなってすべてが消失してしまう「浮草のような不確かさ」。にもかかわらず些細なことに喜び、笑いあえる親愛関係。回を重ねるうちに彼らに感じた「いとおしさ」、「がんばれ!」と応援したくなってくる「見守り」感。

 ここにみえる彼らの生き方にわれわれ世代は同意できる余地は全くありません。価値観もほとんど重なるところがない、そういった距離感が「いまの若い人たちは可哀そうだ」という嘆息となって表れるのですが彼らは別に同情を求める気持ちはみじんもないのです。

 

 今になっていえることは年率10%超の経済成長など一国の経済史において稀に表れることのある「特殊な瞬間」でしかないということです。ASEAN(アセアン)や韓国も日本と同じコースを後追いしてきましたが中国以外は日本ほどの高度成長は成し遂げることはできませんでした。それだけ日本の高度成長は異常だったということです。われわれ世代はその時期のど真ん中を生きてきましたし、後続の数世代も残影を見ています。しかし失われた30年――バブルのはじけた以降に生まれ、生きてきた世代は「成長」を経験したことがない世代なのです。ゼロ成長で三分の一以上が非正規であることを常態として受け入れざるを得ない時代に生きてきているのです。大学とアルバイトは不可分の関係にあり、大学教育は三年学べれば幸運で、年収三百万円前後が普通の生活水準で、先行きに高収入が望めるわけでもなく安定性も保証されていない。それが彼らの存立基盤なのです。年収五百万円、正規雇用で生涯雇用が普通だった世代とはほとんど接点がないのです。

 そんな状況で生まれ、生きてきた若い人たちの価値観なり生きる喜びがわれわれ世代に理解できるはずもなく、われわれの知らないところで「変化」が驚くほどの早さで、深さで起こっているのです。

 昨年川上未映子の『夏物語』という小説を読みました。セックス嫌いな女性が子供を産みたいと人工授精を選択しようかどうかを悩む姿を描いたものですが、われわれの理解を超えた彼女の存在はLGBTであれダイヴァーシティであれ、ほとんど普通のこととして生きているに違いありません。しかも彼らの本当の姿は既存のマスメディアの取材対象にもほとんどなっていませんし、彼らを対象とした表現は文学になるには相当の熟成期間が必要で「マンガ」が最も適切なメディアになりますから、われわれ世代に影響が及んで社会の「常識」になるまでにはかなりの「断絶」の期間が横たわっています。

 

 メディアに携わる人たちや知識人そしてわれわれ世代も触れることさえない日本のどこかで変化していることに気づかず、「常識」を振りかざすおとなの傲慢さ。それを「冷めた目」で横目に見ている若い人たち。この『断絶』はいつになったら解消できるのでしょうか。

 

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