2021年6月21日月曜日

クイズ脳

  公園のぺんぺん草が異常繁殖していてね…、今はやっているんですよぺんぺん草…。こんな会話を花屋さんと交わすようになるなんて一年前には考えもしなかったことです。いつもの様に仏花を買いに行った帰り「コロナでお花が安くなっているんですよ、どうですか」と声をかけられ、なんの気なしに一輪もらったのが今では習慣になっています。自粛で出かけることがなくなって小遣いが減らなくなって、一輪くらいならと値段もきかずに手にとったトルコ桔梗が意外に安く、そのうち二輪になり三輪になりして今では奥さんのお手前が少しは分かるようになり、彼女の腕前は相当なものだと尊敬の念を抱くようになって……。コロナの思わぬプレゼントでした。

 

 コロナの影響はめったにいい事はなく、自粛疲れで気持ちに余裕がなくなってイライラが募りちょっとしたことで感情が爆発することも珍しくありません。サンモニ(「サンデーモーニング」TBS日曜8時)の、最近の韓国軟化傾向についての青木理さんの「韓国には韓国の理屈があって」発言の炎上もそんな一例と言っていいでしょう。韓国徴用工問題について原告の訴えを退けた判決に象徴されるように最近の韓国政府要人の発言は一年前とはうって変わって強気な好戦的発言が影を潜め日韓関係修復をうかがわせる内容が目立つようになってきました。青木さんは、1965年に締結された「日韓基本条約」は当時の国際情勢と韓国の政治状況を考慮すると決して韓国国民の総意が集約されたものではない一面がある、従って韓国国民にはそれなりの「理屈」があって、一方的に「国際条約」だからと彼らの要求を杓子定規に退けるのもどうかと発言したのです。当時は米ソ冷戦状態が最悪の時期にあり、ソ連の共産勢力を食い止めるためには日韓関係が正常化して日米韓で共産勢力に対峙しなければソ連が強力に援護する北朝鮮が韓国を取り込んでしまいかねない情勢にありました。そこでアメリカが圧力をかけ日韓の平和的な相互条約を早期妥結するよう働きかけたのです。軍事政権の朴正煕大統領はアメリカの圧力もあり、朝鮮戦争後の国家再建の早期実現という国内事情もあって国内世論を押し切って妥結に及んだのです。慰安婦や徴用工への賠償についてわが国は個別支払いを提案したようですが、朴大統領は一括国家賠償として受け入れ国が責任をもって当事者に配分すると約束して「日韓基本条約」は締結されたのです。

 こうした事情を考えると、南北問題に追い詰められていた韓国はアメリアの支援に頼らなければ危機脱出が不可能でしたから、時間的な逼迫状態もあって内容的に不満があっても妥協しなければならなかったという「うらみ」が根強くあり今になってみるとそのうらみが湧き出ても仕方ないという「理屈」になるわけです。韓国国民にとって日韓基本条約は「おしつけの不平等条約」という認識が根深くあるのです。

 

 不平等条約についてはわが国も明治維新大変苦労しました。阿片戦争で、長い歴史のなかで模範としてきた大国・中国がなすところなく英国に蹂躙された姿を間近に見ていた徳川幕閣は、どうしようもない彼我の戦力差に涙をのんで、「不平等条約」を列強各国と締結せざるを得なかったのです。条約改正が実現したのは明治44年ですからおよそ半世紀という時間を費やしてようやく平等を得ることができたのです。当時のわが国と列強各国との戦力・国力の差と1965年ころの韓国とアメリカ、日本との差は比較しようもありませんが不平等を承知で受け入れざるを得なかった意味では、日韓ともに同じ苦汁を飲まされたわけです。

 国家間だけでなく、オリンピック開催権にまつわるIOCと開催国――2020のわが国――との契約も途方もない不平等契約、IOC有利の片務契約です。一民間組織のトップがわが国の最高権力者に対して「彼の意見は個人的意見にすぎない、中止を求めても開催できる」と暴言したのです。これほどの侮辱を甘受しなければならないほどの「不平等契約」なのですから、われわれは彼らの侮辱に対してもっと怒るべきではないでしょうか、たとえIOCという強者であっても。

 

 これだけ「不平等条約(契約)」の苦しみを身に染みて知っている日本国民が、韓国の「理屈」に理解を示すのはある意味で当然ともいえます。少なくとも歴史を正しく学んだ人たちにとっては「国際条約」だからと突っぱねる姿勢をとるのに「ためらい」を感じるのは自然な感情ではないかと思うのです。50年以上にわたってイギリスに、アメリカに、ロシアに「条約改正」を訴えて、訴えても訴えても鼻であしらわれた「悔しさ」を味わった明治の元勲たちを思い返せば、韓国国民に理解を示す青木さんはむしろ誠実な人なのではないでしょうか。

 

 最近「クイズ脳」ということをよく考えます。お笑い芸人のロザン宇治原さんやカズレーザーさんが難問をズバリと回答する姿に若い人はカッコいいと感じているようですが一方でさかなクンや笑い飯の哲夫さんのように魚類や仏教について詳しい知識を持っている芸人さんもいます。でも人気は宇治原さんやカズレーザーさんの方が断然のようで一つことをコツコツと追い求めるよりも幅広い知識をもって「なんでも知っている」と称賛される姿に憧れを抱くのでしょう。

 でも考えてみてください、世界一の「クイズ王」はAI(人口知能)になるのではありませんか。それはちがう、人間だから憧れるんだというかもしれません。しかし宇治原さんは「AI」の知識量を目指して日夜研鑽に努めていると思いますよ。

 今仕事がどんどんAIに奪われています。ホテルのフロントも駅構内のコンセルジュもAIが勤めるようになってきました。メガバンクも航空業界も何千人という人員削減を打ち出し業務のAI化を進めています。知識を唯だ大量に詰め込むAI型の教育から得られる知識技能が生かされる仕事はいずれ人間のやる仕事からは無くなるにちがいありません。

 最近は学校で「知識を吸収する」といいますが昔は「学問する」と言ったものです。知識と学問のどこがちがうのかは非常に難しい問題ですが、学んだものが自分の「考え方」になるかどうかが学問であるかどうかの基本的な基準ではないかと思います。

 歴史を学んで、明治の不平等条約交渉を知って、時の国力や権力の差で相手に不利な条約や契約を圧しつけるのは平等、公正の原則からまちがったことだという考え方をもつようになって知識が学問になると思うのです。

 

 「クイズ脳」よりもひとつのことをコツコツと楽しみながら学びつづけることが、学校教育の基本になるような日が来てほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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