2022年3月14日月曜日

想滴々(2022.3)

  歳を取るにしたがって、高齢度が高まるにつれて年月の経つのが早くなってくるように思いますが、コロナ禍になった一昨年と昨年はあっという間に一年が済んでしまったと感じている人が多いのではないでしょうか。自粛で外出が憚られバス、電車に乗ることがめったにない変化のない繰り返しですから日々に区切りがなくノッペラボウな時間が流れる毎日になっててしまったせいでしょうか。

 なかでも二月は逃げる、といわれますが気がつけばもう三月です。その二月の最後の土曜日、朝公園へ行くとウグイスの初鳴きを聞きました。と言ってもホーホケキョのホーを一生けんめいに絞りだそうとしているかのようにホー、ホーと切れぎれに上がり下がりするなんとも稚い鳴き声でしたが春を感じました。次の月曜日またウグイスがきていて今度はホーッ、ホーッと少し上手になっていましたからずいぶん練習したのでしょう。梅もほころんで春はもうそこに来ているようですがコロナはいつまで居座りつづけるつもりでしょうか。

 

 最近蓑虫が鳴くということを知りました。芭蕉の句に「蓑虫の音(ね)を聞(きき)に来よ草の庵(いお)」がありますが『芭蕉の風景(小澤實著・ウェッジ社)』にこんな解説がほどこしてありました。

 ミノガ科の蛾の幼虫である。(略)『枕草子』には鬼の子であると書かれている。親の鬼は子をうとましく思い、きたない衣をかぶせ、秋風の吹くころには戻ると言って、逃げる。子はその言葉を信じて「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴いていると言うのだ。ここから秋の季語に選び出されているわけだ。科学的には蓑虫に発音の器官は無いが、詩歌の世界では鳴くものとされてきた。(略)其角編の『続虚栗(ぞくみなしぐり)』という俳諧選集に収められた際の前書は「聴閑(ちょうかん)」。「閑」という状態を「聴」いている句であるというのだ。ほんとうの静けさがなければ、蓑虫の声など聞こえない。清閑を楽しみつつも、友の訪れを促そうとしているのだろう。視覚ではなく、聴覚を刺激する句であるのが貴重である。

 何という繊細さでしょうか。「閑を聴く」という表現に溢れる「日本らしさ」はもし翻訳されるとしたらどんな外国語になるのか興味があります。俳句仲間(か弟子)に、私の住まいは粗末な庵ですが蓑虫の鳴き声も聞こえるほど清閑なたたづまいです、どうかお越しくださいという誘い、嬉しいでしょうね誘われた方は。

 

 寺田寅彦だったか「文明が進歩するとなにかと忙しなくなってゆっくり文字を読む時間が無くなってしまってエッセーや随筆などの短文なものが好まれるようになる」と言っていますが『芭蕉の風景』もそんな傾向の典型的な本です。漂泊の詩人・芭蕉の句を紹介しつつその紀行の足跡をただろうという小澤さんの何とものんびりとした贅沢な試みをつづったこの本を毎日一句かニ句、六七頁をゆっくりと読んでいますが、本文総頁680ページはいつごろ読み終わるでしょうか。上下巻各3300円は結構高価な書物ですが紀行地図、掲出句季語別索引、人名索引、文献索引、地名索引なども充実していますから決して損な買い物ではないこと請け合いです。

 

 2月26日(土)毎日新聞の書評に『岡野弘彦全歌集』の書評が持田叙子(もちだのぶこ)評で載っていました。毎日新聞の書評は丸谷才一が1990年代はじめころ、当時の編集長から毎日新聞の起死回生を託されて始めたもので今では池澤夏樹に代わっていますが見事にその責を果たした秀れた書評になって読書愛好家の絶好の案内を務めています。私も毎週この欄を読むだけに毎日新聞をコンビニで購めて愛読しています。

 その持田さんの書評に取り上げられた短歌のいくつかに強く魅かれたものがあったので引用します。

 「磔刑(たっけい)の身を反らし立つ列島弧。血しほに染めて 花さきさかる」。南北に伸びる火山列島の日本を、十字架で血を流すキリストの肉体に見立てる。東日本大震災をうけて詠んだ。北上する紅い桜前線は、災害列島に生きる日本人の受難の血潮である。

 異色の歌。誰がこんな苛酷なさくらを詠んだか。花の詩人、西行も芭蕉も歌わない境地である。理由がある。ニ十歳の春に東京大空襲があった。花ふぶきの中で多数の死体を処理した。もう決して桜を美しいと思うまいと決めた。その心が和んだのは中年になってから。吉野の桜の下で桜を憎む怨念を葬った。しかし戦いの血の色はまぶたに残る。悲壮美を歌う。

 

 こんな歌もあります。

 「耐へがたくまなこ閉づれば白百合の白くずれゆくさまぞ眼にみゆ」。花の白は究極のエロス。切なくあえぐ若い肌の色である。

 「コーンスープほのぼの甘し。亡き妻の笑みしずかなる 朝餉恋ひしき」

 

 コロナ禍で過ごして二年。身近な美しさやなに気ないひとの心づかいに気づけるようになり感謝する心がめばえました。俳句や短歌を味わうゆとりがもてるようになりました。八十才をすぎてもコロナという災厄がなければこんな歓びは知ることがなかったかもしれません。苦しんでいるひとも多くいます。でもコロナがなかったら「コロナ以前」と同じ社会の再建を当然としたにちがいありません。でも天の配剤で「豊かさ」が「物」だけでないことを教わりました。われわれよりもっと苦しんでいる人たち、弱い国があることも知りました。

 

 コロナが去ってくれたら「今まで」とはちがう新しい世の中をつくりたいと思います。

  

 

 

 

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