2022年3月21日月曜日

軍事同盟は今必要か

  ウクライナへの「プーチンの侵略」がつづいています。一般市民は非戦闘員なのに無差別に攻撃を受け殺戮されています。理不尽です。この狂気の人にすり寄って領土の返還や商機を与えてもらおうとした人たちは今どんな気持ちでこの戦争を見ているのでしょうか。安倍さんは27回もこの人と会談を重ね協調姿勢を世界に曝しました。森さんもスポーツを通じて彼との親交を誇示、政界に影響力を保ちつづけています。「日ロ賢人会議」を設けた小泉さんは今でも彼を「賢人」と呼ぶことを恥じないでしょうか。彼の出身地サンクトぺテルブルクに工場を建てた奥田さんはこれからトヨタをどうする積りなのでしょうか。

 

 現在世界には12(14)の軍事同盟がありますが、アメリカ主導が8、イギリス主導3でロシア主導はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタ、キルギス、タジギスタンとの集団安全保障条約のみを締結しています。わが国は日米安全保障条約以外にオーストラリア、インドと準同盟国の関係にあります。プーチンがウクライナ侵略を決行した原因となっているNATOは冷戦時に旧ソ連とその連合国を仮想敵国とした軍事同盟という性格が強いものですからソ連崩壊によってその存在意義は一応消滅したはずで、存続について検討されるべきでした。その機会を逸して存続したことが今日の「プーチンの狂気」を引き起こしたとすれば悔やまれる西側の怠惰です。進行中の停戦協議がウクライナのNATO不参加を条件に可能性が出て来たのもそうした事情を反映しているのでしょう。

 

 今ある軍事同盟のほとんどはアメリカが経済的にも軍事的にも最強を誇った時代に締結されたものです。「世界の警察」を標榜し世界を支配していたころのものです。冷戦の片方の雄、ロシアは凋落の一途をたどり今や世界経済の2%にも満たない国力低下を来しました。「世界最大の核保有国」であるから『脅威』でありつづけていますが、ウクライナ侵略で明かされたのは通常兵力の劣化と兵站力の貧しさです。

 ロシアの脅威を解消する唯一の政策は「核兵器廃絶」しかありません。アメリカをはじめとした「核保有」という「既得権国」がその愚かな『我執』を世界平和のために放棄する「勇気」と「賢明」さを発揮できるかどうかです。国連の「拒否権」同様に時代遅れの「既得権」こそが世界平和の『癌』であることを彼らに気づかせ、それを放棄させる政治力を世界の賢人たちが導いてくれることに期待しています。

 

 ところでアメリカ主導の軍事同盟ですが果たして今の時代に機能するでしょうか。先にも述べましたがアメリカの経済力と軍事力が突出して世界ナンバーワンであった時期に締結された軍事同盟が、今回のウクライナ侵略のように「核兵器がつかえない」状況の通常兵器で戦争をする能力と経済力を今のアメリカは保持しているでしょうか。奇しくもトランプが喚いたように「応分の負担」を同盟国に要求しなければらないほどアメリカの国力は劣化しているのではないでしょうか。中国を脅威として対抗していこうとしている今のアメリカに、自国を防衛する以上に戦力を保持できる余裕があるでしょうか。石油という権益が消滅した途端、中東から撤退したアメリカに期待して大丈夫なのでしょうか。

 今のアメリカは「ただの金持ちの国」のひとつに成り下がっているのです。しかも99%の人たちを犠牲にした。

 

 今アメリカが軍事同盟を解消しないのは自国の『軍需産業』保護のため以外にどんなメリットがあるのでしょうか。世界最大の軍需産業はアメリカの数少ない有力な産業であり雇用に占める割合は決して少なくありません。軍需産業が消滅するとアメリカ経済は大打撃を蒙ります。とても同盟国の防衛を請け負える余裕はなくなるでしょう。

 アメリカにとって軍事同盟は必要なのですが、かといって同盟国防衛の請託に応えられるかどうかは極めて怪しいのです。軍事同盟は『幻想』なのです。

 

 プーチンのウクライナ侵略が証明したのは「ピンポイントの軍事施設攻撃」など絵空事だということです。戦争はどんな美辞麗句を並べても『人殺し』でしかないのです。正義の戦争、防衛の戦争など空疎な「修辞」にすぎないということです。権力者がどんなに力を尽くして隠蔽しようとしても「SNS」が世界のどこからでも「現実」を暴いてしまうのです。そして戦争は厖大な「お金」が必要な「愚挙」なのです。侵略したロシアの経済は多分デフォルト(壊滅)するでしょうし、破壊されたウクライナの復興に要する費用は誰が負担「できる」のでしょうか。

 

 プーチンは地下にもぐってヌクヌクと机の上でコマ(兵器と人間)を動かしていますから被害は「兵器の数量と兵隊の数」――抽象化された『数』ですが、現実は「戦争という人殺し」で殺された『人間』なのです。この機に乗じて「軍備の増強」や「核の共有」を声高に主張する人たちがいますが、彼らは自分の子供や孫は戦場に出さなくて済む権力を持っていますから平気で「他人が殺される」戦争を他国との交渉手段として保持したいのです。それは「地下のプーチン」と同じ『卑怯』な態度です。「敵基地攻撃能力」を行使して最初の一発は防げても次の数千発がわが国を狙い撃ちするかもしれない可能性は国民に明かさないのです。

 『戦争のリアリティ』は『人殺し』であるということです。決してゲームではないのです。

 

 「常備軍―軍隊」を持つ世界は「戦争状態」が『普通』なのです。そしてどんな美辞麗句で飾っても「戦争」は『人殺し』なのです。これが戦争ということばの『リアリティ』です。

(この稿の一部は2022.3.17「京都新聞・政流(共同通信・永井利治)」から引用しています

 

 

 

 

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