2022年7月11日月曜日

民主主義の原則を知らない国会議員

  マイナンバーカードの普及率で地方交付金減額。この記事に接したとき「日本はいつになったら中央支配が終わるのだろうか」と暗澹たる気分に襲われました。西欧先進国モデルやアメリカ方式をお手本に追い付け追い越せの時代は「中央先導方式」は有効でしたが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とアメリカを中心に世界の国が日本を学ぶようになって以降はお手本が無くなり「先進国に学ぶ」我が国の成長システムが機能しなくなってしまったのです。それと同時に中央が描いた計画に地方が従っていくという「中央支配のシステム」にも矛盾が生じて効率性が著しく低下し、多様性の時代と相まって「地方創生」が叫ばれるようになったのがこの時期です。

 マイナンバー制度が定着しないのは制度自体が国民に信頼されていないからです。加えてKDDIの通信事故みみられるようにハード面に脆弱性があり、行政からの個人情報漏洩が後を絶たずデジタル化が中央地方とも非常に遅れている現状があります。こうした状況があるにもかかわらずマイナンバーカード普及の遅れの責任を地方に負わせて、制度の趣旨とまったく関係ない「地方交付金」制度で中央が地方を締め付けようというのですから「理不尽」極まるのです。お上意識がいまだに抜けきらず「地方は政府と中央のいうことをきいておればいいのだ」といわんばかりの振る舞いが絶えないのですから、「地方創生」はいつになっても実現できないにちがいありません。

 

 驚いたのは麻生自民党副総裁の「弱い子がいじめられる」発言です。強い奴はいじめられないのだ、と続くこの発言はウクライナ戦争を「牽強付会(けんきょうふかい…自分の都合のいいように強引に理屈をこじつけること)」して我が国の軍備増強を正当化しようとした発言なのでしょうが、この発言には見過ごせない問題が潜んでいます。まず麻生さんは戦争を「子どもの喧嘩」程度の軽いものと認識しているということです。あるいはお好きな劇画「ゴルゴ13」の描く世界情勢の「戦争」とみているのかもしれません。しかし実際の戦争は勝つ方も負ける方も「死者」が必ず出るのであって兵器の進歩した現在、核兵器で「敵基地攻撃」でもすれば一挙に何万人という死者、負傷者がでるのです。戦争や軍備増強は「子どの喧嘩」や「劇画のストーリー」になぞらられるような軽々しいものでないことを麻生さんは肝に銘じるべきです。

 

 自民党が一から政治を勉強し直さねばならないのが山際大臣の「野党の話は聞かない」発言です。青森での選挙の応援演説でなんとか自陣営の候補者を有利に導こうとして、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない。本当に生活を良くしたいと思うなら自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」と放言してしまったのです。当然批判が噴出して官房長官の説諭を受け、誤解を招いたとして謝罪はしましたが発言撤回はしていません。ということは選挙違反になるかもしれないから、投票を迷っている無党派層の反感をおそれて、一応謝罪して反感を和らげようとしたのでしょうが、自身は発言が「民主主義の原則」に反対する発言であるとは考えていないのでしょう。そして彼が発言撤回しないのを許している自民党の議員の皆さん全部がそうなのだということを意味しているのです。

 二大政党制を前提とした小選挙区比例代表並立制が導入されてから僅かな得票率の差が獲得議席数のアンバランスな配分となって現れるようになり「勝った方の独り勝ち」な議席数となって勝った方の独善的な政治運営が行われる傾向が強くなってきました。そこへ「内閣人事局制度」が設置されて内閣の官僚支配が顕著になって政治状況が一変、「自民党一強独裁」になったのです。55年体制には欠点もあり批判もされましたが、反対党の少数意見にも配慮が行われ政権党の意見――多数意見だけでなく少数意見も政策に反映されました。民主主義は今より正常に機能したのです。ところが小選挙区制は勝った方――政権党の意見だけが政治に反映される傾向が強くなり、強者の意見――企業や富裕層、高齢者の意見ばかりが政策に反映されるようになったのです。

 しかし民主主義の要諦は「多数決制度」の欠陥である反対意見――少数意見を切り捨てずに広く取り込んで国民の『分断』を防ぐことにあります。それによって独裁者の偏狭で恣意的な政治に優る多様性に富んだ遍く国民を幸福に導く「民主主義の優位性」を保証することができ政治的安定性につながるのです。

 先の衆議院議員選挙で自民党は得票率48%、投票率53%を考慮すると僅かに25%の国民の支持しか得ていないのです。一人の暴君が支配する独裁制ではありませんが25%の支持層の支援を確実にする選挙至上主義に徹して、25%の支持層の意見を重視した政策に偏重した政治運営を行っています。その結果、アベノミクスの強引な推進にもかかわらず成長力は衰え賃金は伸びず財政規律は緩む一方で、とうとう円安、株安、資源高という最悪の経済情勢に至ったのです。

 

 少数意見――といっても国民の75%の意見ですから多様です。女性の意見、LGBTの意見、伝統的家制度に反対する意見(たとえば夫婦別姓だったり専業主婦で親子4人のモデル家族像からはみ出た人たちなど)、東京一極集中に反対する地方の意見(人口比議員配分制度で国会議員を選べなくなった)などなど現在の自民党政権では無視されつづけている国民層の意見です。「失われた30年」は国民の25%の自民党支持層の意見を偏重し、75%の「少数意見」を無視した結果といっても決して間違っていないのです。

 野党の意見を聞かないという山際大臣の考え方は、民主主義の原則――多数決制度の運用は少数意見を無視しない、少数意見をくみ上げて国民を『分断』しないように配慮する――をまったく無視しているのです。そして山際大臣に発言撤回させないで済ましている自民党の人たちも民主主義の原則に背いているのです。

 

 参議院議員選挙が「国のかたち」を問う本質に根ざした選挙であったか、民主主義の原則に則った選挙であったか。大いに疑問を感じる選挙だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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