2022年7月4日月曜日

歴史はくりかえす

  何とも陳腐で手垢にまみれたタイトルですが昨今の世界情勢を見ているとそうとしか表現できないではありませんか。NATOに日米韓首脳会談、日米豪印のクアッド(QUAD)、IPEF(インド太平洋経済枠組み)等々中国とロシアを仮想敵国と見たブロック経済協定や安全保障同盟が次から次と林立する情勢はまるで第二次世界大戦前の我が国――日本を取り巻くABCD包囲網(米英蘭中等)をはじめとした日本締め出し先進国同盟と二重写しになるではありませんか。

 明治維新以来不平等条約改正を志向した「富国強兵」策は着々と実効を上げ、日清・日ロ戦争に勝利を収めてアジアで初めての「一等国」に昇りつめました。圧倒的優位を誇っていた間は手を差し伸べていた欧米先進国は「追い付け追い越せ」の和魂洋才で驚異的な成長を遂げた日本に脅威を感じると、一変「既得権益」保持に切り替え日本排斥に転じたのです。産業革命で東西の均衡を破った西欧諸国は以降帝国主義、植民地主義で世界の資源と市場を独占したため、後発の日本はガッチリと固められた先進国の既得権益地図を破ることはできませんでした。やむなく我が国は朝鮮併合、台湾統治、満州国建設と武力による植民地進出で資源と市場の確保に出ざるを得なくなったのです。この情勢は今ロシアがウクライナへ軍事進出している姿とまるで同じではないですか。当時わが国は「大東亜共栄圏の創設」という美名を掲げていました。今プーチンは「レコンキスタ(失地回復)」を『正義の回復』として侵略を正当化しています。それは帝政ロシア時代の版図か社会主義時代のソビエト連邦を意味しているのか理解できませんが。

 

 ただここで我々が注意しなければならないのは今回のプーチンの狂気にBRICSなどの後発・後進国や小国が理解を示していることです。そこにABCD包囲網で既得権益圏への「割り込み」を封じられた我が国と同じ構図が見えるのです。

 

 ロシアや中国の最近の動向を安定した「世界秩序」の破壊行為とする見方が我々の間に定着しています。しかし「安定した」というのは誰のための安定なのでしょうか。BRICSや世界の低開発国・小国からすれば日本を含む「先進国クラブ」にとっての「安定」とみえるのではないでしょうか。後発・後進国にとってはかって我が国が感じたように「岩盤既得権益」が「安定した世界秩序」となっているにちがいありません。

 2021年の世界のGDPに占めるG7の割合は約44%になっています。これにEU(加盟28ヶ国)の英・仏・独・伊以外の国を加えると約50%にも達しているのです。世界の国・地域は190ヶ国以上ありますから僅か30の国が世界の資源の半分を独占しているのですから、これを「安定した世界秩序」といわれたのではそこに含まれていない「それ以外の国」にとっては『不条理』と捉えても不思議はありません。「それ以外の国」――はアジア、アフリカ、中近東、南米の国々でそれらの多くは欧米先進国の植民地として長く占領・搾取されていた国々です。

 それらの国々は戦後解放され「国民国家」として独立した『未成熟』な国です。政治的にも経済的にも先進諸国とは到底比較になりません。にもかかわらず『自由で平等な』「市場競争」を強いられるのです。国際的な大資本に地方の零細企業が太刀打ちできるはずもありません。大資本の傘下に収められて「安価な労働力」と「資源」の供給国とならざるを得ず、やがてそこに厖大な人口を抱えた「需要国」として「市場」に組み入れられていくのです。

 これが「安定した世界秩序」の実態です。

 BRICSをはじめとした後進国の1人当りGDPはほとんどが「1万ドル」前後です。いわゆる「中所得国の罠」に陥って先進国並みの「豊かな国――2万ドル以上」になるために喘いでいるのです。しかし「自由で平等な」市場競争で世界経済が運営されている間は決して「先進国クラブ」の壁を破ることができないでしょう。

 BRICSの首脳はこうした世界経済の矛盾に気づいています。だからプーチンの狂気に一方的な「批判」を加えることに躊躇するのです。ところがSNSの普及は世界のすみずみまで「豊かな国」のすがたを伝えます。「豊かさ」が「幸福の指標」だという考え方を『標準化』してしまいます。

 

 最大の脅威は「インド」です。2030年には中国を抜いて世界一の人口を抱える国に成長します。インドの1人当りGDPは2200ドルにも達していません。15億人の人口を1万ドルにするだけでも厖大な資源が必要です。そのためには今「先進国クラブ」が独占している資源配分の相当部分をインドに「配分換え」しないとインドの経済成長を実現することはできないのです。今のままの「自由で平等」な市場競争に資源配分を委ねている限りはそれは不可能でしょう。

 プーチンの狂気は決して許されるものではありません。しかし世界の経済秩序が「自由で平等な市場競争」で保たれる限りは、第二第三のプーチンが出現しないという保証はないのです。

 

 我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史から学ばないということだ。これはヘーゲルのことばです。プーチンの狂気を戦前の日本の姿と重ね合わすことができないでいる我々はへーゲルの箴言をなぞっていることにならないでしょうか。そして「経済成長」が永遠につづくことを前提とした、「成長」を「幸福の指標」とする神話にもソロソロ疑問を感じる冷静さを持つべき時期になっているのではないでしょうか。

 

 参院選の空疎なバラマキ論戦を見ていてこんな感慨を抱きました。

 

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