2022年12月12日月曜日

なりたい総理となったら総理

  正に「天の配剤」というべき日本のワールドカップでした。敗れたのは残念でしたがこれほど有意義な『敗戦』はありません。これで日本はまた一段と高い世界レベルに達することでしょう。

 外国でプレーする選手が19人もいる今回のチームが善戦するであろうことは予想出来ました。ドイツ戦がまるで勝てないような、引き分けの勝ち点1で十分だなどという「専門家」のご意見に首を傾げていました。結果はご存じの通り2勝1敗、ドイツ、スペインに勝利して1stステージを突破しベスト18へ、そして決勝ラウンド、クロアチアに敗戦して日本のワールドカップ2022は終わったのです。しかしクロアチア戦、1―1で決着がつかず延長戦も前後半30分ドローでPK戦へ。ここまでの試合展開は日本チームの実力が世界レベルに完全に到達していることを証明しています。前回準優勝チームが相手です、堂々と胸を張って言えるでしょう。しかしPK戦で両チームの歴史の違いがはっきりしました。100年の歴史(1930年開始)を誇るFIFAワールドカップですがわが国プロリーグは僅か30年(1991年設立)の歴史です。この間クロアチアはヨーロッパサッカー界で数々の試練をくぐってきたにちがいありません。歴史は「痛み」の積みかさねで重みが生まれます。PKのボールを前にしてクロアチアの選手は100年の間に繰り返されてきた多くの先輩選手たちの痛い経験の歴史が無意識のうちにあったはずです。失敗も暗黙知として備わっていたでしょう。一方のわが国の選手たちにとって決勝リーグのPK戦は初めての経験です、自分のひと蹴りが歴史の一歩を刻むのです。この彼我の差はあまりに大きすぎます。日本の選手がガチガチになって当然でした。とりわけゴールキーパーの権田選手にとっては耐え難い緊張であったことでしょう。

 貴重な敗戦です。もう世界の一線で勝負できるだけの戦力を我が日本は備えています。これからは世界レベルでの経験を積み重ねて「歴史」を紡いでいくしかないのです。2026年の日本チームはまた一歩新しいステージに上っていることはまちがいないでしょう。

 

 政治ジャーナリストの伊藤惇夫さんが「総理にはなりたい総理となったら総理の二種類がある」というのを聞いたことがあります。元総理の中曽根康弘さんの言葉だそうですが「なったら」の方は総理になったらあれをやりたい、これもやりたいという「政治家タイプ」、「なりたい」の方はとにかく総理になりたいだけの「権力者タイプ」をいうのだそうです。

 岸田さんが総理になって1年が過ぎました。就任当時「新しい資本主義」を掲げてこれぞ「なったら総理」と期待を抱かせたのですが今に至るや典型的な「なりたい総理」の馬脚があらわでガッカリです。宏池会出身ですからリベラルな政策中心主義の清新な総理の登場と思わせたのですが実際は『鵺(ぬえ)』の如き「実体不在の得体の知れない食わせ物」で、ひたすら『延命』を願うだけの「右傾保守の守旧政治政策」を総ざらえした「自民党保守系右派政策在庫一掃内閣」に堕しています。「憲法改正」「反撃能力保有の自衛隊戦力大拡大」、無原則の「原発運転の大長期化」、そして旧統一教会「解体法案」の『骨抜き』化。統一教会法の骨抜きは公明党の「反撃能力保有」受けいれとの取引による『野合』であり、これによってこれまで公明党の存在理由であった「自民党右傾化チェック機能」が消滅してしまいましたから今後の自公連立政権はひたすら右傾化の一途をたどるにちがいありません。

 

 今の政治家に「戦争」を経験した国会議員はいません。最高齢は衆議院二階俊博83才、参議院山崎正昭80才です。敗戦時二階さんで6才ですから記憶もおぼろでしょう。ということは今「反撃能力」を議論している政治家の「戦争」は映像などの2次経験と資料によって構成された「観念としての戦争」でしかないのです。だから戦争についての具体的な「詰め」が非常に甘いのです。

 たとえば反撃能力の「シビリアンコントロール」はどうなるのでしょうか。最初の一発のボタンは誰が、どのタイミングで押すのでしょうか。

 反撃能力の攻撃ポイントをどのように探知するのでしょうか。それはタイミンブ的に反撃を可能とするのでしょうか。

 原発を攻撃されたときの対応と被害状況は完全に想定されているでしょうか。

 相手国の攻撃による被害状況はどの程度、どの段階まで想定されているのでしょうか。

 死者はどの程度、どの段階まで想定されているのでしょうか。

 被害者の補償はどの範囲まで、どの程度の額まで法制化されているでしょうか。自衛隊員、軍属以外の一般国民も当然補償対象になっているのでしょうね。

 

 ちょっと考えただけでもこれだけの「準備」が必要ですがこれまでのところ国会でこれらを論議された形跡はありません。本気で戦争するのなら最低でもこの程度の具体的な準備はするべきです。被害に遇うのは一般国民です、戦場へ行くのも一般国民です。国会で紙の上で「数字合わせ」と「銭勘定」している議員さんでも官僚でもないのです。

 無責任に、自分の親や祖父さんたちがどれだけ虐げられたか、死んでしまったのかも忘れてしまって、戦争へひた走る「若い人たち(決して子どもではない立派な大人の)」を「たしなめない」でウクライナ戦争に「浮かれ」て5兆円の軍備増強にもろ手を挙げて賛成している「老人たち」よ、あの辛酸の記憶を思いだそうよ!

 

 「常備軍があるうちは平和は戦間期の休戦状態に過ぎない」といういましめを今こそ思いだすべきです。

 

 

 

 

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