2022年12月19日月曜日

今年は『水平線』が推しです

  今年も読書三昧の一年でした。そして読書にとって「書斎」の重要性をつくづくと思い知らされた一年でもありました。四年前に結婚した娘の部屋を書斎に設えたのですが、他の生活空間と隔絶していて扉を閉めると読書に没頭できるのがありがたく四畳に満たない狭さも小人にはかえって程よく、友人や知人から貰ったり購った絵と時おり妻が活けてくれる生花が今はない花のない花瓶も風情となって「わたしの書斎」という統一感を保ってくれています。ミニコンポで好きな音楽を聴く時間が次への弾みとなって読書に浸ることができ、こんな環境がなければ『古今和歌集(角川ソフィア文庫)』を窪田空穂の評釈(『窪田空穂全集20、21』)を手引きに一首一首を玩味しながら半年をかけて精読することはできなかったにちがいありません。今は古今集がらみで『伊勢物語(岩波文庫ワイド版)』を同じ窪田空穂(『窪田空穂全集25』)を頼りに読んでいます。芭蕉もじっくり読むことができました。『芭蕉の風景 上・下』(小澤實著・ウェッジ社)は芭蕉が句を詠んだ場所へ行ってその句を鑑賞するという贅沢だがなんともご苦労な著述スタイルの本ですが評釈と推敲の過程も書いてあって俳句をつくっている人には実作にも役立つ内容になっています。芭蕉は何度も紀行を行なっていますが行く先々で会った俳人仲間や後援者との行き交い、連歌を巻いた有り様などを詳細に記されていて「俳句鑑賞読本」として最適の本になっています。有名な句も多くある芭蕉ですが、これまでの読み方の浅薄さを思い知らされて勉強になりました。その継続で『くずし字で「おくの細道」を楽しむ(中野三敏著・角川学芸出版)』を芭蕉の原本の写真を見ながら苦労して読んでいます。非常に癖のあるくずし方の字ですから活字文と首っ引きで読まざるをえませんが毎日見開き2頁を楽しんでいます。

 今年は漢詩も読みました。60才代はじめに「晩年の読書」を始めるに当たって漢詩は必須科目だと思って大体の漢詩人――李白、杜甫、白楽天や中国名詩選などで一通り目を通してその後もポツポツと読むことはあったのですが今回は江戸漢詩が読みたくなったのです。『江戸漢詩選 上・下(岩波文庫・揖斐高編訳)』と『頼山陽とその時代 上・下(ちくま学芸文庫・中村真一郎著)』、併せて『江戸漢詩の情景(岩波新書・揖斐高著)』も読みました。この流れは古今集を読んで日本人の背骨のようなものに接して徳川時代の基底としての俳句と漢詩を読むべきだと思ったのです。秋ごろから仏教を知りたいという意欲が起り良寛と西行、『良寛(吉本隆明・春秋社)』『良寛(水上勉自選仏教文学全集3・河出書房新社)』と『山家集(新潮日本古典集成・後藤重郎校注)』を読みながら瀬戸内寂聴の『手毬(良寛を題材にした小説)』『白道(西行の小説)』(どちらも新潮社『瀬戸内寂聴全集十七』)を補助線として読みました(山家集は来年読むつもりです)。

 

 どうして読書がこのように古典へ傾斜したかを考えてみると、齢も八十才を超えると自己のルーツに対する探求と回帰の欲望が自然と起こってくるのではないでしょうか。そしてそれはいくら能天気でも近づく「死」への無意識の怖れが作用しているにちがいありません。私は毎朝仏壇のお世話をして称名と般若心経を唱えるのを日課にしていますがそのとき息災に過ごさせていただいていることを感謝し前日に起こったこと考えたことも先祖に話しかけるのですが、そんな習慣は先祖や佛との関係が日常化していてその分ルーツへの同体化欲求が強くなっているかもしれません。丁度父の三十三回忌が年末に迫っていることも影響して父を理解するためにルーツを遡ってみたいという欲求がめばえたのでしょうか。

 こんな読書をして気づいたことは現代に近づくほど「左脳―論理的思考」機能に過剰に頼るようになって「右脳―直観的芸術的思考」機能が劣化していることです。古今集の都人の夢と現の境に揺れながら生きている様は今の我々からみるとむしろ羨望さえ感じました。

 

 さて今年の小説ですが『水平線』が第一等の推しです。上のような読書傾向が『水平線(新潮社)』という過去と現在の境界のあやふやな実験的小説を高評価したにちがいありません。滝口悠生は新たな才能で文章力も確かで過去と現在の混交を無理なく表現しています。硫黄島に出自をもつ四世代の記録を現代に生きる四世代目の兄妹と曾祖父母世代をSNSで結びつけ硫黄島の理不尽な、発見、入植、強制退去、米軍の占領期への彷徨を小説化しています。生きているはずのない――生きていれば百才近い曾祖父の友と曾祖母の娘が現代の若者――曽孫世代の兄妹に別々のルートでSNSでつながりを求めてきて伊豆諸島の一島嶼に呼び寄せるのです。日本軍の基地造成によって理不尽に強制離島させられて内地に拠点を移し、そして突然蒸発した大叔母と硫黄島の軍属となって全滅したはずの大叔父の友人とのSNSを介した接近を現実感が揺らぐ中で交流するのですが、その関係性が不自然でないかたちで表現される、はじめて経験する小説です。決して声高に反戦を訴えるのではないのですが悲惨で不幸な戦前戦中世代と平成世代の不確実性の高い生活を対比させて現代の不安を描く滝口悠生に期待大です。

 

 今年読んだ小説NO1は『水平線』ですが以下が決めづらいので羅列します。

 『天路』(リービ英雄・講談社)、『砂に埋もれる犬』(桐野夏生・新潮社)、『春のこわいもの』(川上未映子・新潮社)、『じい散歩』(藤野千夜)、『ひとりでカラカサさしてゆく』(江國香織)、『「坊ちゃん」の時代1~5』(関口夏央・谷口ジロー・双葉社)、『サウンド・ポスト』(岩城けい・筑摩書房)。

 7冊中5冊が女性ですから圧倒的に女性優位です。他にもいい小説がありますがそれも女性作家がほとんどです。一般に言えることは総じて女性作家の文章力は確かてテーマの現在性、時代的緊張感も優れています。女性の時代です。

 高齢社会ですし私自身が高齢者ですからどうしてもそのジャンルにひかれます。そんななかで旧刊でマンガでしたが『「ぼっちゃん」の時代』は明治大正の歴史的背景と文学者の相関図が詳細に描かれていて読みごたえがありました。

 

 古典と新刊の小説、社会科学系の専門書(文庫、新書を含めて)。蔵書と図書館の本。書評と読んだ本の参考図書・引用文献。こんな要素の組み合わせで本を選定して来年も読書に耽ることになるでしょう。それに耐える体力と集中力。81才、まだまだやれる。愉しみたいと願っています。

 

 

 

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