2023年2月13日月曜日

今の若い人は……

  歳を取っとても「今の若い人は……」という言葉を使わないように戒めてきました。しかしここにきて「今の若い奴は…」とか「今の若い人は…」を口走るようになっています。「若い奴」は岸田さんで「若い人」は荒井秘書官のことです。自衛隊の急激な軍隊化とアメリカとの隷属的な軍事同盟強化、原発の使用延長と新増設はあまりに危うすぎます。今は必要と岸田さんは考えているのでしょうが20年30年単位の、21世紀の選択と捉えたとき必ず『破綻』しているにちがいありません。荒井秘書官のLGBTQへの差別発言は歴史の見方が余りに浅すぎます。ちょっとでも文学をかじっておれば稲垣足穂という作家の存在を知っているはずですし、ギリシャ・ローマ史と近世・江戸時代史を少しでも深読みしておれば「同性愛」が決して異常でなかったことを学んだはずなのです。

 

 稲垣足穂(1900~1977)は大正末期から昭和後期にかけて活躍した作家で代表作は『一千一秒物語』ですが「少年愛」を描いた作家としてわれわれ世代には印象に残っています。今手に入るその種の本では平凡社の『少年愛文学選』が手頃ですが、これには稲垣足穂、折口信夫のほかに川端康成、堀辰雄、江戸川乱歩、中井英夫らそうそうたる作家の作品がならんでいます。ということは昭和の作家たちにとって少年愛は身近なテーマだったということを表していますし、史実としても戦国武将の稚児愛は当たり前で織田信長と森蘭丸は最も有名なカップルです。そもそも「大奥」はレズビアンの巣窟でしたし「陰間茶屋」は江戸中期、元禄時代に成立した「陰間(男娼)」が売春する居酒屋・料理屋・傾城屋の類のことで若衆宿、若衆茶屋などと呼ばれて堂々と営業されていたのです。そんな昔のことでなく旧軍隊でも同性愛はなかば公認で上級幹部の寵愛を受けて訓練を免除されたり優遇された軽輩の軍人が庇護者がいなくなってなぶり殺されたなどという物騒な話も少なくありませんでしたし自衛隊の自殺者の増加が問題になっていますがその中に同性愛のもつれから自殺した人が含まれているという噂がまことしやかにささやかれているのも事実です。

 

 最近出た本で『男色の日本史』というのがあります。著者のリュープゲイリー・Pはアメリカの歴史学者で徳川時代を専門としていますが、徳川綱吉は20人を超える男の愛人があったことを明かすとともに、多くの日本人が美少年との性的快楽に陶酔し稚児、若衆、女形、陰間たちがくり広げた華麗なる日本同性愛文化を世界に知らしめた名著として同種の資料としての引用数は群を抜いているそうです。

 

 西洋ではギリシャ・ローマ時代の同性愛が有名で、古代ギリシャの最強部隊テーバイ神聖隊「ヒエロス・ロコス」は男性の同性愛者150組で編成された「愛の300(スリーハンドレッド)」として名を馳せました。古代ローマは性愛のあらゆる分野で頽廃の花が咲いた時代といわれていますが少年愛でも見境ない撩乱の歴史が残っています。有名な皇帝ネロは皇紀ポッパエア没後16才前後であった絶世の美少年スポルスを去勢して女装させ自分の第三の妃にしたと伝えられています。

 

 そもそも現在「常識」とされている多くの倫理や社会習慣は明治維新以降のものでそれ以前わが国は比較的緩やかな規範の中で人々は生活していたのです。特に性風俗は開放的で「歌垣」という古代以来の風俗は若い男女が歌い踊りながら自由な性交渉が持たれたものでこれが長く盆踊りなどのかたちで後々までその影をとどめていました。

 今の神前結婚式はややもすれば永い歴史を持ったもののように思われていますがこれは大正天皇の結婚式を庶民が模倣したもので業者の商魂のたまものなのです。

 「両親と子ども二人で専業主婦」という「標準的」といわれている家庭のモデルは戦後社会保障制度を構想する際に用いられたものでわずか50~60年の歴史しかありません。子どものいる世帯は年々減少していますし、ひとり親世帯は平成5年から平成15年の10年間で97.7万世帯から139.9万世帯に約5割も増加しています。共働き世帯と専業主婦世帯の数も現在(2016年)では1114万世帯と687万世帯と逆転どころか専業主婦モデルは少数派になってしまっているのです。

 「頑迷な」保守派といわれている人たちは一体どんなモデルを「標準」「正常」と考えているのでしょうか。

 「異性婚」が正式で、「両親と子どもふたり」「専業主婦」が標準で、「夫婦同姓」が望ましい。こんなモデルが今後10年も「不変」でありえるでしょうか。こんなモデルで政策を立てていてわが国がうまく経営できるのでしょうか。

 

 岸田さんも荒井さんも立派な大学を出ておられるのでしょう。きっと勉強ができたにちがいありません。しかしそれは「学校の勉強」ができただけで「本当の学問」「深い学習」をやったのではないようです。学校の勉強とは「大学入試」に最適な勉強であって「多様性」と「柔軟性」には不向きな勉強になっているようです。

 こんな勉強を続けていて日本は大丈夫でしょうか。

 

 

 

 

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