2023年2月6日月曜日

地方が地方になったわけ

  齢をとると気が短くなるといいます。注意しているのですが年々そうなっている自覚はあります。原因を考えてみると説得する根気がもうほとんどないのです、それだけの体力が残っていないのです。そして、何でこんな簡単なことが分からないのか!と爆発してしまうのです。先日も地方創生について賢らに語っているコメンテーターに「アホか!そんなことやないやろう。何のために歴史勉強したんや!」と大きな声でテレビに突っ込んで妻に呆れられたことがあったばかりです。 

 

 人類――ホモサピエンスが地球上に現れて30万年、狩猟採取の時代から農業時代に移行したのが約1万年前ですが工業が主たる産業になったのはわずか200年前にすぎません。「飢餓からの脱出」が人類最大の課題でしたが長い間「狩猟採取」がつづいたのは資料が豊富にあったことと労働が容易だったからです。農業は実際の移行期より4000年も前に発明されていたのですが農業労働が余りに苛酷だから嫌悪されたのです。しかし人口圧力――人口の増加はもはや狩猟採取では生存を維持できなくなってやむなく農業を食糧確保の手段として受け入れたのが約1万年前だったのです。それ以来地球上のほとんどの土地は「農業生産」に最適な「形」に改良されつづけました。「戦争」は生産力拡大のために「土地」と「労働力」を確保するのが主たる目的でした(ただし権力はその誇示のために戦争をする宿命をもっていますが)。

 わが国は特殊事情として「徳川幕藩体制」があります。徳川政権は国土を200以上に分割して「地方分権」を行ない藩主に「地方自治」で領地を経営させました。主産業は稲作の農業で石高で経営規模を表しました。肥沃な土地も瘦せた土地も関係なく割り当てられた領地を基本的資本として稲作高を上げる以外に藩経営の道はありませんでした。耕地の拡大(新田開発)と労働力(農民)の確保、生産方法の改良による生産量の拡大が藩経営の要諦でした。僻地を与えられた藩主は懸命に新田開発と土地改良を重ね稲作高の増大を図りました(限界集落やポツンと一軒家が存在する背景にはこうした事情があるのです)。ある意味で国内に「地方」はなく藩にとってはその領地はすべて「主たる生産地=中央」でなければならなかったのです。日本の200以上の藩がこぞって農業(稲作)生産の最適地化を図った「藩所在地=中央」の集合体が徳川幕藩体制だったのです。

 

 明治維新はそんな日本国にとって一大革命になりました。壮大な「地方分権国」であったわが国が「中央集権国家」に変貌したのです。権力と富は中央(=東京)に集約されその傾向は今も変わっていません、「中央と地方」の税配分は「6:4」で圧倒的に中央偏在のままなのです(こうした中央偏在は先進国ではわが国だけでほとんどは5:5か地方に多く配分されています)。欧米先進国が徐々にではありますが工業化・都市化を進めるなかでわが国はつい最近まで――戦後も高度成長期を過ぎるまでは「農業国」でありつづけたのです。徳川時代の農業人口比は85%を超えていましたが戦後1955年でもまだ就業者の46.9%は農業に従事していました。それが高度成長期を通じて農村から都市への大量の人口流出が起り第二次安倍内閣の2016年には農業人口は3.7%まで低下したのです。このことの意味するところはわが国はほんの50年前まで「農業国」でありつづけたということです。欧米先進国が200年かけて徐々に工業化を進めたのに比べてわが国はわずか50年間で急激に「工業国」化したのです。そこにわが国の「中央と地方」の特殊な関係の原因が潜んでいるのです。

 

 その第一は人口の集中度です(2017年)。東京圏の集中度は28.8%を示していますがこれはパリの18.2%ロンドン13.4%ニューヨーク7.4%に比べいかに異様かが分かります。勿論これにともなって富も集中しているわけでGDPの集中度は東京圏33.1%パリ30.5%ロンドン23.0%ニューヨーク10.3%になっています。ここまで人口と富が首都圏に集中しているのを放置したまま小手先の政策で「地方分権」を謳っても実現するはずもありません。

 「地方創生」を政策の中心課題と位置づけたのは2014年の第二次安倍内閣でしたが、国土の健全なる発展は歴代内閣が繰り返し掲げてきた政策でした。全国総合開発計画は1962年に第一次計画が立てられて以降10年ごとに改善され第5次まで継続、2005年に国土形成計画法に姿を変え、安倍内閣の「まち・ひと・しごと創生法」に結実するのですが実効はまったく上がらないままズルズルと今日に至っています。そもそも地方創生法の前文にあるように「少子高齢化社会への対策と、東京に極端に集中している人口密度を解消するために、地方都市を環境面、経済面などから改善すること」などという曖昧な目的を掲げている限り「地方創生」など実現できるはずがないのです。

 

 「日本国の国土デザインをどう描くのか」、まずこれを明確に国民に提示しない限り地方の目指すべき姿は共有できません。

 農業(稲作)を基幹産業とした「国土デザイン」になっている「日本」という国土に「工業国」が乗っかっているのが今のわが国です。工業(製造業)は資本の集約が成長の要諦ですから、農業に比べてはるかに狭隘な土地で成立します。その結果、東京圏、関西圏、中京圏、北九州圏に人口と富が集中しているのです。勿論地方にも工場は分散していますが集中度は大都市圏に偏っており税制が本社主義になっていますから地方は不利です。このような不利な状況に置かれている地方を活性化するためには「脱工業化」の国家デザインを国を挙げて構築する必要があるのです。

 まず「食糧自給」をどうするのか、それを国として決定するべきです。今のように自給率40%未満では食糧安全保障が達成できるレベルにはありません。品目別に詳細な「自給メニュー」を策定して地方別に振り分けこれに基づいて必要な国土を割り振る。「農業国」日本の「農地」を決定する。それ以外の土地を地方が制度設計する。予算は勿論「5:5」を基本とし徐々に地方分を増やしていって将来的には地方を6割にまで高めていくのが望ましいのではないでしょうか。製造業の産業別比率は今後低下していくでしょうから地方の伸びる可能性は大いに望めるのです。

 

 1万年かかって農業国として設計されたままの国土――現在の都道府県を残して「地方創生」は不可能でしょう。税収を中央偏重のままでは地方活性化は望むべくもありません。食糧自給を達成できないでは国民の生命を守ることは絵空事です。エネルギーを外国に依存していては国の安全保障は不安定にさらされます。21世紀にふさわしい国土を再設計する。この作業なしに「地方創生」はありえないのです。

 今こそ「政治家」の出現が待たれているのです。

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