2023年6月12日月曜日

漱石の感謝心

  連休の間、二週間も肺炎で寝込んで本を読む気力も湧かなかった反動で今猛烈に読書意欲が嵩じています。何を読もうかと本棚に向かったとき、まず漱石の『思い出す事など(岩波文庫)』に手が伸びたのは考えてみれば当然だったのかもしれません。この本は有名な「修善寺の大患」を漱石自身が後日振り返ってその時々を思い出すままに綴った随筆なのですが、持病の胃潰瘍が悪化して大吐血して半時間ほど死線の向こう側へ行っていたと言われている、その前後の「闘病記」で、数ある闘病記の中で正岡子規の『病牀六尺』と双璧を成す名作です。

 思いがけず年寄りにとってもっとも危険といわれている「肺炎」に罹って、これまでほとんど切迫感のなかった「死」というものが案外日常と隣りあわせにあることに気づいて、だけどかかりつけのクリニックの医師の適格な診断、治療と偶然に扶けられて――診察日がカレンダー通りだったお陰で2日と6日に治療が受けられた幸運が大事に至らなかった最大の原因だったことがほんとうに「ありがたく」て、感謝の気持ちと人間最後は「運」と「人のつながり」なのだという諦念のようなものを抱いている今の私に『思い出す事など』は自然な選択でした。

 

 三読目になると今までとは異なった箇所にも感興を覚えて、たとえば23章(p78~81)は心に響きました。

 余は好意の干乾(ひから)びた社会に存在する自分を(はなは)だぎごちなく感じた。

 人が自分に対して相応の義務を尽くしてくれるのは無論ありがたい。けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、人間を相手に取った言葉でも何でもない。従って義務の結果に浴する自分は、ありがたいと思いながらも、義務を果たした先方に向かって、感謝の念を起こしにくい。それが好意となると、相手の所作(しょさ)が一挙一動(ことごと)く自分を目的にして働いてくるので、(いき)(もの)の自分にその一挙一動が(ことごと)く応える。()()に互いを(つな)ぐ暖い糸があって、器械(きかい)(てき)な世を(たの)()しく思わせる。電車に乗って一区を瞬く間に走るよりも、人の背に負われて浅瀬を越した方が情が深い。

 義務さえ素直(すなお)には尽くしてくれる人のない世の中に、また自分の義務さえ(ろく)に尽しもしない世の中に、こんな贅沢(ぜいたく)を並べるのは過分である。そうとは知りながら余は好意の干乾びた社会に存在する自分を切にぎごちなく感じた。(以下略)

 医師は職業である。看護婦も職業である。(略)けれども彼らの義務の(うち)に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から()かして見たら、彼らの所作がどれほど(たっ)とくなるか分らない。病人は彼らのもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独りで嬉しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。(以下略)

 本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に(たっと)かったと、生涯に何度思えるか、勘定すればいくばくもない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中(まんなか)に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片の記憶と変化してしまいそうなのを切に恐れている。――好意の干乾びた社会に存在する自分を甚だぎごちなく感ずるからである。

 

 大病を患った人が快癒したあかつきに担当医(病院)に多額のお礼をしたり、そうでなければそれを寄付したりするのにこれまで奇異の念を抱いていました。しかし今度、かかりつけ医のいとも簡単な――日常の診察の単なる延長と思わせるような検査・診断と治療によって入院もせずに僅か十日で肺炎が治ったことが、後になって考えてみて、医師の技術の確かさと幸運のお陰であったことを認識して、心から感謝せずにいられませんでした。連休の期間中も変異があったら電話してください、留守番電話ですが急を要すると判断したら即時対応しますからと言い添えてもらったことがどんなに心丈夫だったことか。それが漱石の言う、其所に互いを繋ぐ暖い糸があって器械的な世を頼母しく思わせる、に通ずる感情をもたらしてくれました。感謝を形にしたいという気持ちが自然に湧き上がりました。

 老いて、「老・病・死」が身近になるにつれて「少病少悩」を自然と受け入れて暮らすようになって、それでありながら今度のように意想外の事態に陥ると周章狼狽する自分が情けなくなってしまいます。漱石のような生き死にの境ではありませんでしたがお医者さんの有り難味をしみじみと感じました。

 そして新渡戸稲造だったかが述べているように、教育と医療は市場化になじまないものである、と改めて思いました。労働の対価ではなく「お礼」を差し上げる行為であると新渡戸さんは言っていたように覚えています。

 

 同じ章で若者の置かれている状況に同情をよせている文があり、まるで現在を見ているのではないかと感心したので記しておきます。

 今の青年は、筆を()っても、口を()いても、身を動かしても、悉く「自我の主張」を根本義にしている。それほど世の中は切り詰められたのである。それほど世の中は今の青年を虐待しているのである。(略)「自我の主張」を敢えてして(はばか)る所なきまでに押し詰めたものは今の世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主張」の裏には、首を(くく)ったり 身を投げたりすると同程度に悲惨な煩悶(はんもん)が含まれている。(以下略)

 

(備考)『思い出す事など』は1910(明治43)年10月から東京朝日新聞に掲載されました。「修善寺の大患」はその年の8月のことです。漱石は見舞いや心配をしてくれた多くの人たちに一いち会って話をする代わりに紙上を借りてこの文を草すると記しています。

 

 

 

 

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