2023年8月21日月曜日

想滴々(23.8)

  10月に金婚式を迎えるということで記念旅行をしようと17日新大阪の代理店へ行きました。15、16日台風のせいで新幹線が運休になった影響を考えて開店30分まえの10時に店に行きましたがさすがにまだ1人も並んでいません。それにしてももの凄い人の数です。お盆旅行最盛期の予期せぬ足止めですから当然のことでJRはどれほどの覚悟でこの措置をとったのでしょうか。

 もとより予定していた30分待ちですから用意の文庫本を読みはじめるとこれが面白くついつい引き込まれてしまって、店内の開店準備の音にフト目を上げるといつの間にか30人以上がグルッと店前を囲んでいました。勿論1番に呼び込まれて希望通りのパックが組めてやれやれと店を出ると丁度6番のひとが呼ばれたところで、11時5分になっていました。なにもかも予定通りで気持ちよく帰途につきました。

 自分で決めた30分といつになるか計算できない「不定」の何時間何分ではまったく受け取り方が異なることが実感できました。いい経験でした。

 

 それにしてもここ数年の異常気象の激甚化と頻発化は常軌を逸しています。国連事務総長が言うように今や「温暖化」ではなく「沸騰化」とよぶのがふさわしい変わりようです。こんな事態になっているのにまだ「成長」と「覇権争い」に耽っている世界の「賢人」たちの頭の中はどうなっているのでしょう。

 40度近い異常高温がつづくなか「熱中症警戒アラート」が毎日にように発出されています(いつのまにか発出になりましたが発令でなぜいけないのでしょうか?こっちの方が好きですね、わたしは)。「どうしても急ぐ用事などがある場合以外は、外出を控えましょう。戸外での運動は、原則、中止や延期をしましょう」と「備え」をマスコミが伝えるなかで「全国高等学校野球選手権大会」は粛々と『強行』されています、主催者(共催ですが)が「朝日新聞社」にもかかわらず。テレビでさかんに「熱中症の危険と恐ろしさ」を訴えている朝日新聞社はほんとうに日本の「クォリティペーパー」なのでしょうか。

 気象台発表の35度はすり鉢状の甲子園球場のグランドでは40度を超えているのはまちがいないでしょう。スタンドだって当然そうでしょうし、応援している人の中には選手の親御さんやおじいちゃんおばあちゃんもおられずはずで、若い選手よりも危険度は数段高いとみるべきです。朝日も高野連も事態の重大さをどのように捉えているのでしょうか。

 わが国はいつになっても「死者」がでるまで法、制度、施策、行事の「変革」に取り組めない『国民性』なのでしょうか。

 

 同じことはわたしのまわりでも起こっています。近くの公園の野球場の管理をもう20年近く務めています(鍵の開閉が主な仕事ですが)。利用者の中には少年野球や中学校の野球部もあります。にもかかわらず京都市はアラートが出ても「使用禁止」しません。市のスポーツ施設ははじめ「教育委員会指導部」のもとに置かれましたが、のち「文化市民局市民スポーツ振興室スポーツ企画課,スポーツ振興課」の管理に移って「京都市体育協会」が一元管理の委託を受けました。平成18年(2006年)に「指定管理者制度」が導入され一部を除いて「民営化」されて今日に至っています。にもかかわらず、市民の安全・安心をつかさどる京都市の公共施設であるにもかかわらず、子どもたちや市民に対する「安全措置」がまったく考慮されていないのです。ここでもまた「死者」が出るまでは「前例踏襲」という『悪弊』がまかり通っているのです。

 まことに嘆かわしい限りです。

 

 さてその野球場の管理人に関してですが、上記の通り最初は体育協会から依頼されてボランティアでした。お金のことなど頭にありませんでしたが「謝礼が出ますので……」と電話があって振込口座を伝えました。勿論「薄謝」でしたがそんなことは関係なく公共の役に立っているというささやかな満足感とまわりの人たちの「ご苦労様です」ということばが張り合いでした。それが「民営化」になって、「薄謝」が少しはましな金額になって、それでもまだ「ご無理をお願いしている」という気配りが担当者にもあって、丁度良い関係がつづきました。 それが10年たち15年過ぎるうちに、担当者も次々と変わって、いつのまにか「ボランティア」をお願いしているから「野球場の鍵の開け閉めのアルバイトのおっさん」に変わってきた、ひがみかも知れませんがそう感じるのです。

 お金は大事なものです、少しでも多い方がありがたい。しかし……。

 

 新渡戸稲造が『武士道(1899年刊行)』でこんなことを言っています。「あらゆる種類の仕事に対して報酬を与える現代の制度は、武士道の信奉者の間には行なわれなかった。金銭なく価格なくしてのみなされうる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金銀をもって支払わるべきでなかった。価値がないからではない。評価しえざるが故であった。この点において武士道の非算数的なる名誉の本能は近世経済学以上に真正なる教訓を教えたのである。けだし賃銀および俸給はその結果が具体的になる、把握しうべき、量定しうべき種類の仕事に対してのみ支払われうる。」

 規制改革の名の下に行われた「民営化」の『弊害』があらわれています、それも決して少なくありません。コロナは大学病院や公立病院の民営化のせいで病床不足やワクチン開発からの撤退がわが国の緊急事態対応の脆弱性を露にしました。国立大学と公立大学の独立行政法人化は基礎研究の軽視につながり結果的にわが国の国際競争力の劣化を招いています。

 

 齢をとってくると社会的なつながりがどんどん少なくなってくるので少々のお金よりも「居場所」があること、人さまに「認められる」ことの方が嬉しくなってきます。何でもかんでも「お金で評価する」のでは世の中「ギスギス」してきまませんか。

 「価値がないからではない。評価しえざるが故であった」という側面のあることを忘れないでいたいものです。

 

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