2023年9月11日月曜日

一粒の米

  幼いころご飯をこぼすと「ちゃんと拾ろうて食べなさい、お米粗末にしたら目つぶれるえ」と叱られたものです。「お米はお百姓さんが八十八のお仕事を苦労して作らはったんよ、大事に大事にお百姓さんが作らはったから7つの神さんまで入ったはるんよ」とも教えられました。今なら落ちたものを食べようものなら、不衛生と反対に叱られるにちがいありません。もうひとつ、食べものをおもちゃにしてはいけませんとも教えられました。白米の炊き立てご飯は「銀シャリ」と呼ばれておいしいものの第一等でした。

 最近そのお米の価値が大幅に低下しています。というか食料全体の相対的価値がいちじるしく低下しているのです。びっくりしたのは「かき氷」が1200円も1500円もしていることです、いや2500円というのさえあります。私のうちの「コシヒカリ」は5kgで2300円くらいですから年寄り2人の約2週間分の主食費が「かき氷」1杯と等しいというのですからこれは問題です、ものの価値が混乱しているのです。

 

 ひとつ言えることは昔とは比較にならないほど「商品」が増えたことです。極端にいえば鍋釜と当座の着るものさえあれば裏路地の長屋住まいなら可能だったのに比べて、今はテレビ冷蔵庫電子レンジは最低必要ですしスマホは必需品になりました。昔は食費の家計費に占める割合は最大65%(明治から1910年ころまで)の時期もありましたし戦前でも50%近く占めていました。終戦直後の食糧難時代は一時65%を超えることもありましたが2000年以降は平均22%台で推移しています。コロナの影響を受けた2020年は25%を超えましたが。

 スマホは5万円でも若い人の望む機種ではなくもっと高額な10万円以上が主力のようですし、情報通信費は12万円を超え消費に占める割合は4%以上になっています(2019年)。ドラム式洗濯機は1台12万円から30万円が相場のようです。

 生活に必要な商品構成が昔に比べて多様化し相対的に食費の割合が低下せざるを得なかった側面があります。そしてそれぞれの商品の値段(価格)は「市場」で決まるようになっており、そうした「あり方」を我々は当然のこととして受け入れています。「市場の見えざる手」によってそれぞれがふさわしい価格に収まるようになっていると無意識に信じています。

 ほんとうにそうでしょうか。

 

 ここ50年にわたって私たちは、スーパーマーケットや大企業がその糸を操ることを許してしまった。やがて多くのファーマーは低価格商品の生産者に成り代わり、交渉力をほとんどもたなくなった。私たちはいま、史上最も安価な食糧を生産しつつ、それが引き起こした生態系の大惨事に対処することに四苦八苦している。現在の食糧システムでは、市民、農場、生態系の健全さを一顧だにしない大企業に、ほぼすべての権力と利益が吸い取られている。政治家たちはこのシステムの構造的問題に対応する代わりに、規模が小さくて不十分な補助金(エンバイロメント・ペイメント)を提供し、最悪の影響にだけ継ぎ当てして現状のシステムを保とうとする。(『羊飼いの想い』ジェイムズ・リーバンクス著濱野大道訳早川書房

 農産物の価格決定権が生産者(農家)にないのです。市場の自由な競争で決まっているのではなく巨大資本のスーパーマーケットや大企業が価格を決めてその価格で仕方なく生産者は農産物を市場に提供せざるを得ないのが現状の「農産物市場」なのです。

 こうした「不合理」な市場は国内に限りません、世界市場も「強いもの勝ち」になっています。今は不合理に虐げられている人たちの数が世界人口の10%程度(注1)で収まっていますから格差は我慢できる限界に収まっていますが(世界規模の叛乱が起こっていないという意味で)、世界人口が100億人を超える2050年にはこの比率が、世界情勢の安定性からみて危険水域を超える可能性は決して少なくないのです。2050年になっても現在の「市場の自由競争で価格が決まる」制度――「強いもの勝ち」のままだったら、国際的な「国家間の格差」が今のままだったら、世界の分断は危険水域を超えて「世界戦争」を覚悟しなければならないほど緊迫化するにちがいありません。

(注1)国際貧困ラインの1日1.90ドル以下で生活している人口は2015年7億3600万人存在しています。2015年の世界人口は73億人ですから比率は約10%になります。

 

 今年の最低賃金は全国平均ではじめて1000円(時給)を超えました。しかしこれによって生産性の低い小企業や飲食店、コンビニなど非正規雇用で成り立っている企業は苦境に立たされるという論議があります。こうした論調を聞くたびに「最低賃金」という考え方に疑問を感じるのです。

 現在の労働環境からひとりの月間労働時間は大体160時間です(月平均労働日数20日、1日労働時間8時間として)。これに最低賃金の1000円を乗じると16万円(1ヶ月)です。これではとても生活できないのではないでしょうか。それにもかかわらず審議会の委員さんたちはさも「大事」を成し遂げたかのように胸を張っているのです。

 

 これも「市場の自由な競争」で経済が動いている弊害です。「強いものが勝つ」市場では弱いものは、生産性の低い、大企業から強いられる「安い価格」で仕事を請け負わなければならないからです。縦の関係は自動車産業なら世界企業の製造会社が価格決定権を握っていますが下請け企業――1次下請けから最低層の零細企業まで何段階もの格差層が形成されていて強者支配の構図が出来上がっています。横の関係は最先端の情報産業から農業漁業産業までの生産性の格差構造が市場の強弱を反映して強いものが弱いものを支配する構造ができているのです。

 世界視点でながめれば資本・資金力の強い国からやっと農業国レベルに達した国が競争するのですから「市場の自由な競争」システムのもとでは弱者の勝てる可能性はまったくありません。100億人時代の世界経済が今のままだったら「限りある」食糧は――100億人に行き渡るだけの農産物を生産することは多分不可能ですから――強い国が買い占めて弱い国の人たちは飢餓に追い込まれているにちがいありません。

 

 「市場の自由な競争」を許している限り気候変動の「沸騰化」を防ぐことも、資源配分の不平等による「国家間の格差拡大」も防ぐことは不可能です。強いもの勝ちがまかり通っている限り100億人の世界平和は実現不可能です。

 一粒の米の価値が不当に評価されている限り「格差」は限りなく拡大していくのです。

 

 

 

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