2023年10月23日月曜日

不登校の責任は誰に

 最近ときどき思うのですが、今の学校に入って私のこれまでのキャリア――同じ学歴や職歴を再現できる可能性はどれほどあるだろうかと考えたときほとんど実現不可能ではないかと思うのです。教科書の厚さが2倍は超えていますし教科書の数も増えています。修得しなければならない知識量は倍くらいになっているのではないでしょうか(イヤもっと多いかも)。われわれ時代の高校大学の進学率と現在を比較すると断然今の方が高くなっていますからそれだけでもハードルは上がっています(10%から50%以上に進学率が上がっておれば入学可能性は単純に5分の1に減少すると考えることもできます)。私がしていたような受験参考書をコナシてラジオの受験講座を併用する程度の受験勉強ではとても希望校進学は無理でしょう。

 これほど学習量が増えたのですから1クラスの人数、1クラスの担当教員がそれぞれ少人数化、複数人化しておればそれなりの対応も取れるでしょうがまったく変更がないのですから(クラス人数が40人学級になっていますが)授業についていけない子供が増えるのは当然の結果です。それを補うものとして「学習塾」「家庭教師」「予備校」が存在しているのです。今や学校は塾(予備校、家庭教師)なしでは学習効果を十分に上げることができない状況に陥っているのです。

 

 10月発表された昨年の不登校状態にある小中学校生は29万9000人に上っています。これは920万人の総児童生徒数に対して3.25%に当たります。原因はいろいろ考えられますが学校の勉強についていけなくて「落ちこぼれ」になったことも大きな原因でしょう。ほかにも本人や保護者(両親など)の責任と呼ぶにはふさわしくない原因も少なくありません。それを東近江市の市長(小椋正清氏)さんは「不登校になる大半の責任は親にある」と言い放ったのです。「文部科学省がフリースクールの存在を認めたことにがくぜんとしている。国家の根幹を崩しかねない」とも発言しています。これは2017年に施行された「教育機会確保法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会確保等に関する法律)」にもとづいて文科省の策定した「学校や教育委員会とフリースクールなどとの連携強化等の対策プラン」を県独自のプランに落とし込んだ骨子を県下の各首長に示した会議での発言です。

 「教育機会確保法」は不登校の児童生徒の学習機会を確保・保証するために通常学校で行われている「一斉授業」だけでなくフリースクールなどの多様な学習活動の実状を踏まえて支援を行い、普通教育に相当する教育を受けていない児童生徒の意思を尊重して能力に応じた教育機会を確保して自主的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう教育水準の維持向上を図ることを目的としています。

 

 わが国の教育は明治以来「画一的なカリキュラム」と「一斉授業」を原則として「国定教科書」を全国一律に採用して行なわれてきました。こうした教育システムは、西洋先進国をモデルとして追いつけ・追い越せの教育には絶大な効果を上げました。その結果ヨーロッパ・アメリカ以外で唯一の「工業先進国」として目ざましい成長を遂げることができたのです。この成功モデルは工業化が最盛期を迎える「バブル期」まで有効に機能しました。しかし情報化時代が始まりグローバル化が世界をひとつにする時代に至って有効性が著しく低下したのです。モデルを創造する、イノベーションを引き起こす、こんな社会に「日本式学校システム」は対応できなくなったのです。さらに「膨脹した知識」を児童生徒全員にまんべんなく修得させるにも適さなくなってしまったのです。

 「落ちこぼれ」た児童生徒に普通教育をどうすれば修得させることができるかは重要な課題ですが、「吹きこぼれ」た児童生徒(学校の授業にあきたらない、高い能力と才能を持った子供たち)の才能・能力を生かす教育も今求められているのです。どちらにも適さなくなった「日本式教育システム」。これをどう改革していくかが喫緊の課題なのです。

 

 さてここで現在の教育論議でほとんど問題にされていない日本教育システムの欠陥を指摘します。

 現在わが国では「公的認可を受けた教育(公的教育)――公立と私立の学校法人」と「認可を受けていない私的な教育(私的教育)――学習塾、家庭教師、予備校」が併存している問題です。戦後これまで繰り返し「教育改革」が行われてきました。しかし一度も成功していません。それは公的教育だけを改革して私的教育を手つかずで放置してきたからです。はじめのうちはひっそりと表の公的教育の補助機関として存在していた学習塾が、気がつけばいつのまにか公的教育の領域をどんどん侵犯して今やどっちが表か分からないほどの影響力を「教育」に与えるようになっているのです。

 はじめ私的教育は公的教育を補完する関係にありました。それがいつのまにか私的教育がないと公的教育が成立しない状況に至ったのです。「落ちこぼれ」問題はこうした教育環境が生みだした必然の結果といえます。

 

 不登校問題はわが国教制度を根本から改革しないと解決できない問題です。

 「画一的なカリキュラム」、「一斉授業」、「国定教科書」の採用義務付けの三制度を考え直す必要があります。小人数学級と複数教員による指導を公立学校の基本要件にしなければなりません。私的教育機関(塾、家庭教師、予備校など)を国(及び地方行政)の教育改革の力の及ぶ制度に改革する必要があります。

 

 東近江市の市長さんは大事なことを言っているのです。「国家の根幹を崩しかねない」状況にわが国の教育制度はなっているのです。表の数字は全児童生徒の3.25%に止まっていますが実際の数字は――今の制度では学校の勉強についていけない子どもたちはその何倍も――5%いやもっと存在していると考えるのが正しいでしょう。これを無視して現在の制度を続けていくことはもう限界です。東近江市の市長さんは現状を「是」としてこのままでは日本の教育制度は崩壊してしまうと「親に責任を押し付けた」のですが、責任を問われているのは「国」です。すでに崩壊している制度を改革せずにここまで放置してきた国――制度の設計者であり維持・管理の責任者――はその責任を自覚すべきです。そして可及的速やかに「改革」を断行すべきです。

 

 東近江市の市長さん。あなたは正しいことを言ったのです。「国家の根幹を揺るがしかねない」状況にわが国の教育制度は陥っているのです。

 

 

 

 

 

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