2023年10月9日月曜日

ジャニーズ問題、ひとつの見方 

  日テレは10月4日夕方のニュース番組で、ジャニーズ問題に関する社内調査結果を公表し、ジャニーズ事務所に対する様々な忖度があったことを認めました。1999年文春がジャニー氏の性加害を報じた際には「芸能マター」として捉えて「報道局」は無視を決め込み、04年最高裁の判決はジャニー氏側の性加害報道が同氏の名誉棄損に当たらないと棄却した判決であったので積極的な性加害の認定と捉えることに慎重になり「報道局」マターとするに至らなかったのは、性加害に対する認識が現在ほど重要な社会問題であるという認識が欠如していた結果であり深く反省するところであると総括しました。

 

 ジャーナリズム(報道)の主要な役割は「権力の監視」にあり、真実の尊重、正確性などとともに

政府その他の権力の排除を「報道倫理」としています(「ジャーナリストの義務に関するボルドー宣言」)。これはわが国の戦前・戦中の報道姿勢が政治権力に阿(おもね)り「大本営発表」を垂れ流し国民を戦争へと誘導したことを深く反省することに基づく戦後報道機関の「報道の根本方針」に合致するものです。

 「ジャニーズ」は「芸能界」の『権力』として『君臨』していました。「芸能班」が報道機関としての自覚があったなら「反権力」が「倫理」の基底になければおかしかったのですが彼らに「ジャーナリスト」という認識は皆無でした。そして「報道局」も政治でない芸能に『権力』が存在するジャーナリズムとしての基本的認識が欠如していたのです。

 なぜ「報道局」に「権力の監視」という意識が欠落していたのか。それはわが国独自の「記者クラブ」制度があります。国政府や地方公共団体のそれぞれの主要機関に有力メディアの「記者クラブ」が存在し、主要機関のニュースレリーズをほとんど裏どりなしに報道する慣習があります。海外メディアはこれを批判的に見ており警告も発していますが廃止を検討する機運はいまだに起こっていません。

 こんな『癒着』制度が温存されていて『権力の監視』が正常に機能すると見るのはわが国だけでしょう。

 

 ジャニーズ問題はジャーナリズム――各種メディア、報道機関が「権力の監視」という基本機能を果たせなかった結果でありジャニーズが『権力』であるという認識を持てなかった結果である、というのがひとつの見方です。そこにわが国ジャーナリズムの「脆弱性」、現在の状況を「新たな戦前」の現出ならしめた根本的な問題があるのです。

 ジャニー氏という個人、ジャニーズという一企業の権力さえ監視できなかったわが国のジャーナリズムに政治という大権力の監視ができるのでしょうか。

 

 話は飛躍しますが今年の小説のトップ5にまちがいなく入るであろう多和田葉子の『白鶴亮翅(はっかくりょうし)』(朝日新聞出版)に衝撃的な文章がありました。

 大日本帝国と呼ばれた国では、262万人から312万人もの死者が出たと書いてある。(略)アメリカ合衆国の死者を見ると、41万人。(略)ところがソビエト連邦を見ると、死者の数はなんと2180万人から2800万人と書いてある。/全人口に対する死者の比率は(略)ポーランドでは全人口の二割がが戦争の犠牲になったことになっている。五人に一人が死んでいるのだ。(略)沖縄はポーランドを上回る割合で四人に一人が死んでいる。

 

 これは第二次世界大戦での戦没者に関する記述です。ソ連の1941年の人口は約2億人ですから人口の1割以上が先の戦争で死んでいることになります。ですから現ロシアの人たちにとって先の戦争に対する思いはわれわれ日本人とは異なった意味で重大な影響を今に残していることが想像できます。われわれは原爆で広島、長崎を爆撃したアメリカに対して寛容すぎます。焼夷弾で非戦闘地域を焼き尽くしたアメリカの戦争に、じゅうたん爆撃で非戦闘員を殺戮したアメリカの戦争に寛容すぎます。戦争に関係した人たちが高齢化して人口に占める割合が減少して、アメリカと戦争したことさえ知らない人口が7割以上になったことが影響しているのかもしれません。しかし沖縄の人たちは4人に1人が犠牲になられたのですから本土の人たちとは比較にならない深さ、痛さで戦争の影響が残っているにちがいありません。その沖縄にアメリカ軍の基地の7割以上を負担させているのですから、先の戦争の歴史と記憶は「上書き」されて「新しい戦前」意識が高揚しても不思議はありません。普天間基地の辺野古移設に対して7割以上の人が反対するのも当然なのです。「日米の合意」をいくら言い募っても沖縄の人の民意を無視した「合意」などなんの説得力も持たないのです。

 ロシアは戦後の冷戦時代アメリカと世界を二分する勢力を誇りました。先の戦争からの復活で戦争への恨みが希釈されたかもしれません。しかし社会主義は資本主義に敗れました。ロシアのGDPはアメリカの1割りにも満たない世界8位の弱小国に成り下がっています。こうなれば第二次世界大戦に対する遺恨が再び湧き上がるのも無理もないのです。しかも二度の世界大戦で戦場になったことのない、僅か41万人の死者(人口比0.3%)しか出さなかったアメリカがぬくぬくと繁栄を享受して世界を支配しているのです。

 われわれから見ればプーチンの戦争は不合理な暴虐にうつります。しかしこのわれわれのものの見方、感情が世界共通なものと捉えると現在の世界情勢を正確に理解することはできなくなります。今や世界の半分近い国々が「アメリカの支配」を受け入れなくなっているのです。自由と民主主義のない専制国家のロシアや中国をどうして容認するのかというわれわれの「疑問」は世界共通でなくなりつつあるのです。

 

 『白鶴亮翅』という小説が現在のメディアが伝えてくれない「忘れられた真実」を教えてくれました。プーチンの戦争が理解できないでいたわれわれにかすかな理解の道を開いてくれたのです。「権力の監視」の多様性を教えてくれたのです。われわれはアメリカ一辺倒で80年過ごしてきました。その見方で「権力の監視」をつづけてきました。しかし10人にひとり、5人にひとり、4人にひとりの同胞を先の戦争で亡くした人たちも世界にはいるのだという「考え方、ものの見方」で「権力の監視」をすることが必要な時期にさしかかっているのです。

 

 

 

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