2024年6月10日月曜日

やなせたかしの偉大さ

  先日同窓会(大学のクラブ創立70周年記念)がありました。宴もたけなわになってほろ酔いの同期4、5人屯して発起人を務めてくれたK氏のヴァイタリティと若さをさかなに盛り上がりあれやこれやがあって、一番は孫の小さいことやないのという私の一言に、それはあるなぁとK氏。「こないだまではこの子らが学校行くまではと思っていたけどそれがもう来年やろ。最近は成人するまではと欲が出てきてなぁ」。

 

 私同様晩年に初孫を授かったK氏は双子ちゃんということもあって娘さんの育児応援のために淀屋橋のタワーマンション最上階をスッパリと投げうって娘さん夫婦の住む枚方に転居した孫大事の好々爺です。新聞社の営業で辣腕を振るった企業戦士の彼のギラギラと脂ぎった凄みある目つきが穏やかな澄んだ眼差しに変わったのは必ずしも齢のせいばかりではなくお孫さんの力があずかって大きいにちがいありません。

 孫は可愛いと言いますが80才も近くなって授かった幼子はただ愛しいだけでなく「生命の不思議」をまざまざと覚らせてくれるのです。いのちを粗末にしては勿体ない、大事にしようとしみじみと教えてくれるのです。自分の身体とこれほど真剣に向き合ったことはこれまでありませんでした。自然の移ろいをこれ程敏感に感じたことはありませんでした。妻や娘たちの心にこれほど思いやることもありませんでした。みな孫のお陰です。彼の成長力が私の命を活きづかせてくれるのです。

 

 そんな彼が2才になるちょっと前からアンパンマンを見るとたちまちハマってしまいました。登場するキャラクターの名前も次々覚えてなぜか「バイキンマン」が一番のお気に入りに。4月の誕生日にぬいぐるみをプレゼントしてもらうとたちまち「ごっこ」をはじめました。大好物のおせんべいをあげたりジュースを飲ませてあげたり抱っこして一緒に寝たりと今まで見せたことのない遊びをしたのです。バイキンマンを「擬人化」「同体化」して世話をやくのです。自分が親やじいちゃんばあちゃんにしてもらったようにバイキンマンにしてやるのです。これまで自分は「してもらう存在」として「依存」してきた「弱者」から「してあげる存在」としてバイキンマンの「上位」に位置するようになったのでしょうか。それが如実に表れたのが母親との関係です。未分化で同体だった母親との関係が「別存在」と意識したのか、そうなると自分を最も保護してくれる存在ということに気づいて依存が自覚的に行なわれるようになったのです。後追い、ひとりぼっちにされると「泣く」、私たちがお迎えに行って面倒を見ていて母親が帰ってくると「はしゃぎ」をあらわにするのです、こんなことはこれまでまったくなかったことです。

 テレビで見ていた「触れられない」「非存在」が突然ぬいぐるみになって自分の手の中にある。彼が経験したはじめての強烈な「VR(バーチャルリアリティ)」だったでしょう。彼の世界観が一瞬にして大変革したのです。母親の存在が一変したのも多分この経験が影響しているのでしょう。2才という時期は丁度良かったと思います。保育園に通うようになって「プログラム」にそって教育を受け、心身の成長を意図的に図られて他者との関係に気づかされて、その時期にぬいぐるみを与えられて、スグに受け入れができて「ごっこ」遊びができたのです。2才になってからの目ざましい成長がさらに促進されることでしょう。

 ところがここで一大事が起ってしまいました。おじいちゃんの不用意な振る舞い――バイキンマンとおじいちゃんが「お話し」したのです。ぼくもまだお話しできないのにおじいちゃんは「バイキンマン、Hちゃん大好きだって」などとお話ししているのです。僕がバイキンマンをポイすると「痛いね、かわいそうかわいそう」とバイキンマンをだっこしてあげるのです。

 エライことをしてしまいました。どう始末をつければいいのか、おじいちゃんは困り果てています。

 

 もうひとつ予期せぬ問題も起こりました。アンパンマンシールで喜んで遊んでいるので安心していたら、剥がせないのでかんしゃくを起こして怒り出したのです。彼にとっては貼っておしまいではなかったのです、貼って剥がして又貼る、それが彼の「シール遊び」なのです。先日もお迎えにいって家に帰ると早速スケッチブックを持ち出して来てページを開いて剥がし始めました。紙に貼ったものですから容易に剝がれません。私もやってみましたがなかなか手ごわい。なんども繰り返しているうちに何とか一枚剥がれました。喜ぶこと喜ぶこと、又一枚剥がしてやると嬉しそうにしています。剥がしたものは又貼っても剥がしやすいので、貼って剥がして又貼って。やっと自分の思い通りの「シール遊び」ができたのです。根気よく遊んでいる彼を置いて休息していると「おじいちゃん!」とお呼びがかかりました。はじめてです、おじいちゃんと呼ばれたのは。ジイチャン、バアチャンと呼んでいたのがはっきりと「おじいちゃん」と呼んだのです。シール剥がしをしてくれた私は一躍「特別な存在」になったようです。

 帰って思案しました。紙だから剥がしにくい、アクリル板なら少しはましだろう。剥がしやすいシールもあるのではないか、と。おもちゃ屋に行くとなんと「シールブック」があって、剥がしやすいシールとスベスベしたコート紙がセットになっているのです。子どもはみな貼るだけでなく、貼って剥がして又貼って、というのが普通の遊び方なのでしょう。そこは本職です、キチンと対応したおもちゃが開発済みだったのです。

 でもまだ問題は残っています。ブックはキャラクターの絵が描いてあってそこへ貼るように仕向けているのですが幼い2才は好き勝手に貼ってしまいます。別に問題はありませんから見ているとシールのないキャラクターの絵を剥がそうとするのです。「これがシール、これは絵だから剥がせないよ」と教えても納得いかないのでしょう執拗に剥がしに挑戦しつづけます。とうとうかんしゃくを起こしました。なだめてなだめて何とかおさまりを付けましたが、はてさてどう決着をつけたものか。

 

 2才になって自意識が芽ばえて、おしゃべりも達者になって歩行も上達して活動範囲が広がって、興味が多岐に亘るようになって……。これからが子育ての本番です。親は大変です。私たちも応援していきます。そして彼の成長を楽しみに、まずは学校へ行くまで。そこまで健康を維持できたら次は成人ですがそうなると私は丁度百才です。気の遠くなるような話ですがまんざら可能性ゼロではありません。励んでみる価値はあります。

 

 それにしてもやなせたかしは偉大です。

 

 

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