2024年6月3日月曜日

町の本屋さん

  最近町の本屋さんを応援しようという動きがあちこちで起こっています。直木賞作家今村翔吾さんの「今村翔吾のまつり旅」と銘打って全国の書店を応援する活動はマスコミが注目していますし経産省も地域の書店に対する新たな支援を検討するPT(プロジュクトチーム)を立ち上げました。また斎藤経産大臣が幹事長を務める「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟(書店議連)」もあります。こうした動きの多くは、地域の「知の宝庫」として文化の発信と普及に果たしてきた役割、を街の本屋さんの存続理由としています。「ウェブ、図書館、本屋の三つが持ち味を生かしながら共存するのがベスト」と斎藤さんも言っています。こうした町の本屋さんの役割や存在理由は今でも有効なのでしょうか。

 

 書店の閉店が相次ぐ背景には、活字離れやインターネット通販、電子書籍の広がりのほか地方の人口と賑わいの減少などがありますが、書店の大きな収益源であった雑誌の衰退も大きく影響しており、そもそも書店を取り巻く産業構造そのものに根本的な問題点が存在しているのではないでしょうか。書店は売り上げの8割を出版社や取次会社に払い粗利益は2割程度とされています。その上クレジットカードや電子決済の利用が増え店側の手数料負担が重くなっていますし、近年の光熱費や人件費の高騰も経営悪化に追い打ちをかけています。更に本の仕入れがままならない事情もあります。日本では出版社から本を仕入れて卸す仲介業者「取次会社」が介在していて書店の規模によって配本数を決める「ランク配本」の仕組みがあり中小の書店は人気の本を望むように取り扱うことができなくなっています。また図書館が本を書店から購入するとき、ラベル張りやコーティングなどの装備費用が書店負担になっていたりその分の値引きを求める自治体が一定数あるのも事実です。ネット書店による送料無料化や過剰なポイント付与など不公正な競争環境の深刻化も書店経営を圧迫する要因です。

 

 書店を支援すると言いながら、書店は文化の担い手だと言いながら、欧州などで実施されている出版物に対する軽減税率の適用や非課税にすることは政治は考えていません。韓国のように店舗でイベントを開催する書店に助成する制度も未整備です。図書館の書籍購入を地元書店にするよう義務付ければそれだけでも町の本屋さんの売上げは安定するでしょうが、昨今の財政事情では図書館の予算は減る一方ですからそれも先細りしてしまいそうです。「図書館は住民に必要な情報を提供し知る権利を保障する場所で、お金をかける必要があるものだと理解してもらいたい。図書館に活気を取り戻すために読書文化そのものを守らなくてはならない(日本図書館協会岡部幸祐事務局長)」という理念は財政悪化の前に二次三次の予算項目に追いやられています。学校の教科書需要は町の本屋さんの大きな収入源だったはずですが今はどうなっているのでしょうか。

 

 こうした事情を踏まえたうえで「町の本屋さん」をどのように支援すればいいのでしょうか。掛け声だけは勇ましいのですがマスコミで正論を言っているコメンタイターや知識人自身がネット書店で本を購入しているのが現状でしょう。そもそも私たちのイメージしている「町の本屋さん」というのはどんな本屋さんなのでしょう。

 私の子ども時分――今から70年ほど前、「知の源泉」はほとんど「学校」が独占していました。先生(教師)は尊敬の対象でしたし町の名士でもありました。知識は学校と本から与えれられ娯楽の一番は映画でした。紙芝居は子どものエンタメとしてまだ残っていましたし、「貸本屋」が隆盛でマンガは貸本屋が供給源でした。中学生になると大衆娯楽小説を読むようになり貸本屋で借りて山手樹一郎や五味康祐、柴田錬三郎、黒岩重吾、梶山季之など貪るように読んだものです。講談全集は大人の会話に参加するための基礎知識でした。町の本屋さんは小学館の「学年雑誌」を毎月配本してもらうくらいで盆と正月に親と一緒に行って図鑑や少年少女世界文学全集(の1冊か2冊)を買ってもらうのが楽しみでした。親が戦前購入していた日本文学全集や世界文学全集の何冊かを読んだ覚えがあります。それより私が楽しんでいたのはクラシックのレコードでビクターやグラムフォンのSP盤を手回しの蓄音機で聴いていました。父が道楽で電蓄を持っていたので時々父にかけてもらうのが嬉しかった記憶があります。図書館は学校にしかなく(多分どこかに公立図書館はあったのでしょうが今ほど身近な存在ではありませんでした)蔵書数は多くありませんでしたが小説のほとんどは学校から借りて読んでいました。相対的に(自分の小遣いとの比較から)本は高いものだったと記憶しています。

 

 それから10年ほどして大学時代から社会人時代が町の本屋さんにもっともお世話になった時期でした。週に2、3回は本屋に通って専門書や文学書を渉猟しました。目当ての本だけでなくそこで出合った本に面白いものがあって本屋に行くのがひとつの娯楽でした。安月給でしたから図書費に余裕がなく高い専門書は会社の図書室に購入してもらっていました(良い時代でした)。

 

 それから30年、時代は一変しました。インターネットが普及してPCとスマホの全盛期が到来、町の本屋さんを取り巻く環境は厳しくなりました。娯楽の多様化が進み「読書(紙の本)」の占める領域は激減しました。電子書籍という競争相手も出現しLINEやU-TUBEも読書の領域を侵犯するアイテムです。大型書店の出現は町の本屋さの競争相手と呼ぶにはあまりにデカすぎます。昔の町の本屋さんがフラッと入る暇つぶしと教養と娯楽の場所だったとしたら大型書店は豊富な本揃えとタダ読み勝手放題、コーヒールーム併設で買った本をゆっくり楽しむ空間になっていますから本好きにとってはテーマパークのようなものです。

 

 私が贔屓にしている町の本屋さんは文具も扱っていて、子どもコーナーは子どもの本と文房具がワンストップで買える設定になっていて休日親子連れでやってきて、親が自分の本をあさっている間子どもは自分の本や文具を決めて親を呼んで買ってもらう、そんな情景をよく見ます。童話の読み聞かせも月に何回かあって盛況のようです。高校の前にあるので受験用図書は充実しています。文庫本主体の小説コーナーとは別に新刊小説も置いてありますが趣味、実益の雑誌が豊富で大人の多くはこのコーナーに集まっています。ふたりの店員さんと2、3人のアルバイトさんがローテーションで店を切り回しています。もう20年近く書籍と文具はここで購入していますので店員さんとは顔なじみで結構無理も聞いてもらっています。本の取り寄せに十日ほどかかりることもありますが別に不満はありません。

 

 支援のかたち――どんな町の本屋さんを残そうとしているのか、それは本屋さんと街の住人が一緒になって作り上げていくもののように思います。お役所仕事のPTや書店議連の政治家の圧しつけの支援策では新しい「町の本屋さん」は生れてこないと、確信をもって言えます。政治や行政は潤沢な予算を用意するだけで十分ですしそこまでに止めておいてほしい願っています。

 

 

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿