2024年6月24日月曜日

政治家、政治屋、自己責任

  自民党裏金事件の二階派元会計責任者の初公判で「パーティー券の売り上げが多額だと……」という発言がありました。その他についてはテレビなどで周知でしょうから省きますが私がどうしても捨てておけないのは『売上げ』という「語」なのです。ことは「政治」に関わる問題です、そこに「売上げ」という言葉は余りにふさわしくないと感じるのです。「売上げ」は商売の世界の言葉です。その言葉を何のためらいもなく政治組織の会計責任者が使うのですから日常的で身についているのでしょう、しかも「裁判」という場で。彼は自分の犯罪を糾されているのですから言葉遣いには細心の注意を払っているはずです。その場で平然と使うのですからこの言葉は彼の普通の言葉なのです、ということは彼にとって「政治」は「商売」だったのでしょう。彼の所属していた政治組織は「政治家」のではなく「政治屋」たちの組織と彼は感じていたのです。政治信条であったり政治施策であったり、よしんば政治権力であったとしてもそれは「政治家」の仕事です。しかし彼の所属していた組織で彼が担当していたのは「政治屋商売」の「売上げ」だったのです。

 

 裏金問題に関してもうひとつ放っておけない問題があります。それは「パーティー券を買ったことが表沙汰になっては困る」という支援者側の考え方――論理です。こうした寄付する側とされる側の事情が「20万円」か「5万円」かという線引きにつながっているのです。

 政治にはどこまで行っても「保守」と「リベラル(革新)」の対立はあります。既得権を守ろうとする側――現在の政治体制の方が都合がいいと考える立場とそれに反対する立場――現体制では損をしている側、恵まれない立場に置かれている人たちの対立です。そのどちらに属していても「自分の政治的立場」を明かにすることに『恥じる』という感覚は私にはありません。多分多くの人はそうなのではないでしょうか。

 もし「都合が悪い」という人がいたらその人は寄付することで何か「いいこと」があるからでしょう。普通のやり方では手に入らない「いいこと」を寄付で「無理やり」、「ズルいやり方」で、「法を曲げて」手に入れられるから寄付した、だから「名前」が表に出ては困るのです。

 もうひとつ考えられるのは寄付する政治家(?)の評判が良くないのでそんな人に自分が寄付したことが知れたら世間の人に「恥ずかしい」「馬鹿にされる」、だから表沙汰にしたくないという場合です。これはあり得ることです。世の中は「しがらみ」だらけですからよんどころない「つき合い」で寄付を頼まれることは無いことではありません。縁も所縁も、好きでも嫌いでもない、いやむしろ嫌いだし考え方も相当違う、そんな人に寄付した場合は絶対に名前を出したくないでしょうね。何なら領収書も欲しくない。そんな例もあるでしょうが、しかしそんなケースはめったにないものです。

 としたら寄付して名前を出したくないのは、違法に利益誘導を図るか寄付する政治家の評判が悪いかのどちらかです。パーティー券の購入者名を明かにしたくない政治屋さんは、自分の評判が悪いことを自覚しているか大口の寄付者(社)に利益誘導しようとしているのです。

 一般市民はパーティー券問題をこんな風に考えていますが政治屋さんはどうなのでしょうか。

 

 政治資金ではないのですが以前から違和感を覚えていることばがあります、「仲間」ということばです。政治家が政治信条(党)を同じくする人を呼ぶとき、何年か前から「仲間」と呼ぶようになったのです。それ以前は「同志」だったものがいつの間にか「仲間」に変わったのです。そしてそこには単なる「ことば遣い」の問題ではなく根本的な変更があるように感じているのです。

 自由民権運動を経てわが国に政党政治が勃興したころ「政党人」は政治家たらんとして矜持と熱情をもって活動しました。それは戦後も同様で、敗戦の壊滅状態を一日も早く復興せんとして保守と革新がしのぎを削ったのです。そこには「同志的結合」があり「政治的理想」を研鑽し合う厳しさがありました。彼らが「仲間」と呼び合うことはありませんでした。

 同志と仲間について言辞的に詳細を説くことはしませんが、今の政治家は「同志」と呼ぶことに「気恥ずかしさ」を感じているのではないでしょうか。もうそんな時代ではない、AIを活用し「国民福祉」の向上をデータにもとづいて実現可能性を高める、保革を超越した政治課題への取り組みである、などと。政治も経済も芸術も同じ「仲間」と創り上げていくものである、そんな政治意識を抱いているのではないでしょうか。「仲間意識」と「同志的結合」、ここには根本的な「政治意識」の違いがあるように思うのですがどうでしょうか。

 

 現在の政治家が『虎と翼』の時代にいたらどんな政治活動をするでしょうか。わが国で女性で初めて法曹界に生きた三淵嘉子をモデルにしたNHK朝ドラは、今戦後の家庭裁判所設立時代の彼女たちの苦難を描いています。終戦時町に溢れていた「戦災孤児」たちをどのように救済するか。ひょっとしたら今の政治家たちは「自己責任」を彼らに圧しつけるかもしれません。ひとり親家庭で何件も非正規雇用のアルバイトを掛けもって、それでも月収15万円で子ども食堂やフードバンクの支援でなんとか生きついでいる世帯が何十万世帯もあるのに社会保障費はOECD38ヶ国中17位でGDP比23.1%に止まっています。子育て支援は不十分で大学は返済型の奨学金が大半で国として「子どもの能力」を生かし切れていません。これでグローバル競争に勝てるとはとても思えないのに政治は企業優先志向を改めようとしません。

 

 「パーティー券の販売」という言葉を平気で口にする「政治屋」さんたち。こんな政治でわが国が良くなるはずがありません。

 

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