2024年7月15日月曜日

制度疲労

  万博の子ども無料招待事業に保護者が反対する署名活動をはじめたという報道に接して驚きを隠せません。この事業は大阪府が施行するものでこれまでにも大阪府教職員組合や交野市などが反対していましたし、会場の安全性や引率する先生の問題、往復の交通手段など未解決の問題を放置したままの強権的な事業展開を問題視する識者の見解もあって今後の成行きは必ずしも大阪府の期待通りに進むか疑問視されています。

 私が驚いたのは「お上」の決めたことに一般市民が公然と反対を表明することに隔世の感を抱いたのです。我々世代、いや我々の親世代なら何も言わずにありがたく頂戴して諸々の支障はこちらが引き受けてお上の思惑通りにつつがなく実現に尽力したにちがいありません。世の中は完全に「変わった」のです。

 

 今の世の中を回している多くの制度はほとんど戦後すぐか高度成長時代につくられたものです。憲法も民法も戦後すぐに制定されましたから、市民生活にかかわる民法などは根本的な「氏姓制度」や「婚姻制度」でさえも時代にそぐわなくなってしまったのです。社会保障制度もそうです。高度成長時代につくられたものですから「賦課方式」などという今から考えたら理論的には破綻当然のシステムを採用してしまっているのです。現役世代が受給世代(高齢者)の年金を負担するこの制度は、人口増大と給料の右肩上がりを前提としなければ成立不可能な制度です。今もしこんな制度を提案したら即刻罷免されるにちがいありません。それを最高学府を出たわが国トップクラスの若手官僚と上級官僚が、そしてまだ「優秀」だった政治家までもが「真剣」に討議して法律として制度を確立してしまったのです。信じられませんが……。

 ですから今の制度の多くは「制度疲労」してしまっているのです。

 

 自衛官の昨年の採用者割合が自衛隊創設以来の最低を記録して51%になったとショッキングに報じられています。いろいろな原因が上げられていますがその論調のすべてに欠落している原因があります。「戦争のリアリティ」です。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ攻撃など国際紛争が多発する一方で中国の影響力が著しく強化されてアメリカと比肩するようになってわが国としても無視できなくなってきて、さらに北朝鮮の核開発が驚異的な進展を遂げて脅威になってきた、などの結果として「台湾有事」を煽り立てて軍事費を5か年計画で43兆円に拡大する、南方諸島の軍備配置を急拡大するなど国民に「戦争のリアリティ」を強く印象づけてきた政府の方針は、確実に国民の「緊迫感」を高めています。今の若者にとって自衛隊員は「安定した公務員」ではなく「戦争の現地に配備される」可能性の極めて高い「危険な仕事」になっているのです。私たちのリアリティは緩いものですが沖縄の人にとって戦争はいつ自分たちに降りかかってきてもおかしくない「災難」と感じているにちがいありません。それは基地のある地方の方も原発のある地区の人も程度の差はあっても同じでしょう。国民の引き受けねばならない義務ではなく「災難」と受け入れているところがわが国の特殊なところです。負担が「公平」でないからです。公平でないのは自衛官も同じです、若者で自衛官になろうとする人たちの多くは選択肢が限定的だった人たちだからです。

 1950年に保安隊が創設されてそれが警察予備隊になり自衛隊になりました。そして2007年防衛庁が防衛省に昇格しました。創設当時の保安隊に戦争は非現実的なものでした。国土の保安と「専守防衛」が任務でした。それが今や「敵基地攻撃」も「同盟国防衛」も任務なのですから「戦争のリアリティ」は皮膚感覚的なものになっています。自衛隊の不祥事が相次いでいますが「綱紀粛正」の実現性は極めて低いでしょう。なぜなら「若い自衛官」と「上級自衛官」ではリアリティに差があり過ぎるからです。完全に制度疲労しているのです、自衛隊という組織は。

 

 保護司制度も制度疲労しています。それは何年も前から関係者の間では共有されていた危機感なのですが政治も行政も無視してきました。そして「殺人事件」が起こってしまったのです。 

 保護司は昭和25年(1950)にできた制度です。「社会奉仕の精神をもつて、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もつて地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与することを、その使命とする」と規定されています。一方保護観察官は「犯罪をした人や非行のある少年に対して、通常の社会生活を送らせながら、その円滑な社会復帰のために指導・監督を行う「社会内処遇」の専門家です。また、犯罪や非行のない明るい社会を築くための「犯罪予防活動」を促進しています。保護観察官になるためには、国家公務員試験に合格し、法務省保護局又は更生保護官署(地方更生保護委員会又は保護観察所)に法務事務官として採用された後、一定の期間、更生保護行政を幅広く理解するための仕事を経験することが必要です」と定められています。

 現在保護観察官約千人、保護司約4万7千人で犯罪者の更生自立に当たっています。勿論保護司も必要な研修を受けていますが保護観察官の「国家公務員資格、法務事務官資格、更生保護行政の実務経験」との差は余りに隔絶がありすぎです。この千人と4万7千人が更生保護業務を担当しているのですからおのずと実務のほとんどが保護司の側に偏ってくるのは否めません。

 

 1950年当時、地方の実力者や資産家の社会的地位は歴然とあって地域に相当な影響力を保持していました。そんな人たちの多くが「保護司」を「お上」から委嘱されて犯罪者の更生保護に当たりました。地域のおとなでも実力者や資産家のいうことは「無言の圧力」となって受け入れざるを得ない状況がありました。それがいまだに選挙のとき「後援会の実力者」として影響力を保持しているのです。ですから犯罪者の更生に一定以上の「効果」をもたらしたことは当然だったでしょう。加えて「コツコツ真面目に働いたらいい生活」が得られるという社会経済情勢でもありました。金の卵といわれて地方の子どもたちが都市に働きに出てそれなりの「成功」をおさめることのできた時代でした。

 今や地方の実力者や資産家の影響力は昔ほどではなくなりましたし、なんといっても「真面目にコツコツ働い」ても「普通の生活」さえ手に入れることが困難になっているのです。

 民間人の「善意」を頼りにした「保護司制度」はその存立基盤がほとんど消滅して「制度疲労」しているのです。

 

 報道ではほとんど伝えられていませんが殺人を犯した観察保護者は「4号観察」に分類されていました。少年院や刑務所で入念なアセスメント(評価・分析)を受け精神面のサポートや社会復帰の環境が整備されてからではなく、「更生の専門家でない裁判官によりいきなり保護観察に付された執行猶予判決を受けた」4号観察だったのです。4号観察のリスクは素人考えでも理解できることなのに放置されたまま今日に至っています。

 殺された新庄さんは制度の、行政の「不作為の犠牲者」と呼ぶにはあまりに痛ましい犠牲でありました。

 

     

 

 

 

 

 

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