2024年7月22日月曜日

もちつもたれつ

  今ほど「勘違い」の横行している時代は曽てなかったのではないでしょうか、最近しみじみ思います。直近でいえば職員の自殺さえ出た兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ事件ですが彼は完全に勘違いしています。知事が兵庫県の「最高権力者」であると、少なくとも兵庫県庁という組織では「絶対者」であると勘違いしているのです。たしかに兵庫県庁では一番上に位置していますがそれは「組織図」の上のことで知事というのは「役割り」であってそれは区役所の窓口で県民に接する「役割り」の職員と何ら違いはありません。ただある事案で選択肢が複数あって最終決裁を知事に委ねられたとき「強制力」が与えられているだけで、それは「支配力」ではないし、まして「人格を否定する」『暴力』などであるはずもないのです。そもそも公務員は憲法(15条)で「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定められているように「奉仕者」であることを彼は理解しているのでしょうか。彼はしばしば「県民の負託を受けている」と強弁してかたくなに「辞任」を拒否していますが、彼は県民の僅か2割の支持しか受けていないのです(投票率41.1%得票率46.9%)。県庁の職員や支持母体の自民党や維新の議員団からの辞任要求は彼を選ばなかった8割の県民を代弁していると見ることもできるのです。

 昔、美濃部達吉という憲法学者は「主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治する」という有名な「天皇機関説」を唱えましたが、天皇でさえ国家の最高機関という「役割り」を担う存在であり、憲法の制約を受けると論じたのです。知事が県庁という組織の中の「一つの役割り」であることなど自明のことであり、天皇が憲法の制約を受けるように知事も諸種の法規はもとより兵庫県独自の法であったり手続きの制約を受けるのは当然のことで、今回の騒動でも先ずは「内部通報者保護制度」で知事はじめ兵庫県庁の上級職員は自死した内部通報者を保護すべきだったのですが、それがまったく機能しなかった兵庫県庁の統治機構は根本的な改革が必要です。

 

 しかし斎藤知事のような「勘違い」はわが国の至る処に存在しているのが現状で、それは行政官庁、企業に限らず「国会議員」にもそんな輩がうようよいます。国会議員と秘書の関係は、自民党の裏金問題で明らかになったように「支配―被支配」の関係であり、とりわけ北海道選出の自民党長谷川岳参議院議員の北海道庁職員に対するパワハラは想像を絶する「勘違い」です。先ず襟を正すべきは国会議員諸氏でしょう。

 

 半世紀ほど前に国民的演歌歌手がシャレで言った「お客様は神様です」という言葉が誤解されて「カスハラ」が大問題になっています。ウィキペディアによると「従業員より優位な立場にある顧客らによる理不尽な要求やクレーム。小売りやサービス業、医療・介護などの現場で多いとされる」とありますが、この表現自体に勘違いがあります。「従業員より優位な立場にある顧客」というのは誰が決めたのでしょうか。杓子定規なことを言えば「市場における供給者(売り手)と需要者(買い手)は対等」であるはずです。私のような年寄りは終戦直後の「物資不足時代」を経験していますから、都会から農村へ「ヤミ食糧」の買い出しに行って、高価な着物や金製品や宝石を差し出して食料を分けてもらう交渉をしても「売りジブリ」にあい、まったく「不釣り合い」な「交換」に泣かされたことをありありと覚えています。そんな経験を踏んで昭和の市場や商店街では売り手と買い手は対等に、会話を楽しみながら売り買いしました。大量生産、大量消費の時代になってスーパー、コンビニが小売り店の主体になり、飲食業においても個人商店から全国チェーンの大資本店が優勢になるにしたがって、売り手買い手の関係が「人間味のない」ものになり「お客様は神様です」の時代になったのです。

 お客(買い手)が「上位者」で店員さん(売り手)は絶対服従の「下位者」という位置づけの「勘違い」はいつ、どこからはじまったのでしょうか。こんな「勘違い」がまかり通るようになったのは何故でしょうか。私見ですが、売り手側が大企業化することで組織のヒエラルキーが「権力構造化」して現場の社員が本社社員の「下位」に位置づけられ、とくにアルバイト店員さんが「消耗品化」されたことが原因なのではないでしょうか。しかし今や「人手不足時代」です。これまでのような人事システムでは飲食業も小売業も成立しないでしょうし医療・介護職も同様です。カスハラがなくなるのもそう遠いことではないでしょう。

 

 勘違いの最たるものは「自民党長期政権」です。2012年の安倍政権から現在の岸田政権までの13年で国会議員は何でも許される絶対者のような勘違いが定着してしまいました、とくに安倍派議員は。領収書のない金銭のやり取りなどあり得ないのに(公的な関係で)国会議員は「特権階級」だから年間1億円を超える機密費でも「不見転(みずてん)」でやり取りが行われてきたのです。あまつさえパーティー券の売り上げを「私」する「裏金問題」さえも平然と20年以上許されてきたのです。

 しかし最も罪深いのは3割に満たない支持率であるにもかかわらず「一部のための奉仕者」として「戦後の日本のかたち」を国会を無視して内閣主導で行なったことです(直近の2021年衆議院議員選挙では投票率55.9%、得票率約49%ですから支持率は約27%)。まず経済面では供給側(企業)を異常に優遇する政策を採用し、法人税を半減、貸出金利をゼロにするために国債と株式を日銀に買いまくらせ市場にジャブジャブお札をばらまいて「異常な円安」に導きました。結果大企業は空前の好業績を上げ株高を演出しました。500兆円を超える内部留保を貯め込んだ大企業と一部の富裕層は株高の利益を享受しましたが、一般国民は実質賃金23ヶ月減少と「異常な物価高」に苦しんでいます。

 国防政策は「専守防衛」が日本国の「かたち」でした。それを内閣の勝手な憲法解釈で「敵基地攻撃」も「同盟国防衛」も可能な体制に変更してしまったのです。

 利益を享受したのは「一部の人たち」――企業、富裕層、アメリカ、防衛産業でありその「ツケ」は一般国民(消費者)が支払わされているのです。

 

 公務員は「全体の奉仕者」なのですから一般市民も企業も、豊かな人もそうでない人も「もちつもたれつ」する社会にわが国を変えてほしいと願っています。

 

 

 

 

 

 

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