2024年11月25日月曜日

税金払って一人前

  昨今の「103万年の壁」論議を聞いていていつも違和感を感じます。二つあって一つは「納税」に関して、もう一つは「103万円の壁」そのものについてです。そしてなにより何故いまなのか、どうして2020年令和2年の税制改正時に問題にしなかったのか、政治家もマスコミもという感を強く抱くのです。令和2年の税制改正で国はとんでもない「インチキ」をしたのです。

 小学校で「国民の三大義務」を習いました。教育(憲法第26条2項保護する子女に普通教育を受けさせる義務)、勤労(憲法第27条1項勤労の権利と義務)、納税(憲法第30条納税の義務)の3つです。今の論議はこの「国民の義務」という考え方に根本から異議を唱えているように感じるのです。

 

 「103万円の壁」は既にご存じの通り「基礎控除48万円」と「給与所得控除55万円」を足した合計控除額のことです。この金額が妥当かどうかを検討する前にもう一度復習すると「基礎控除」は最低限度の生活費という意味合いで「給与所得控除」は個人事業者の必要経費に相当するものです。言ってみれば基礎控除は生命維持に必要な最低限の食費とみてよくそれを国は月額4万円と算定しているのです。それに対してサラリーマン(ガール)の必要経費は年額55万円ですから月額5万円足らずです。通勤費は会社から出るとしても背広などの衣服や諸経費が月額5万円たらずで妥当かどうかは悩ましいところです。

 ここで問題にしたいのは2020年令和2年の税制改正で基礎控除が38万円から48万円に増額されたのに反して給与所得控除が65万円から55万円に減額されたことです。これはとんでもないインチキです。前回の税制改正は2,015年(平成27年)に行なわれてそれぞれ38万円と65万円に設定されていたのを2020年に今の金額に変更されたのです。基礎控除が増額されたのはこの5年間に物価の変動があったからそれを調整するためだったと推察するのですがそれならサラリーマンの必要経費(給与所得控除)が10万円減ると考える理由が理解できません。少なくとも5年間変動がないと見るのが妥当でしょう。それを基礎と所得で10万円を入れ替えて「103万円の壁」は変えずに税の減収を防いだと考えざるを得ません。どうしてこんな税調のインチキを議員さんたちは許したのでしょうか、玉木さんまで。

 

 わが国所得税制の一大特徴は「源泉徴収」という徴税方法にあります。世界の徴税方法は「申告納税制度」が主流で源泉徴収をしている国はドイツ、インド、韓国などごくわずかです。もしわが国が申告納税だったら国と地方でどれほどの費用が掛かるか資料がありませんから定かには言えませんが厖大な額になるであろうことは想像できます。国民が源泉徴収――給料支給時に概算の税金が「天引き」される――を受け入れているのは国が納得のいく妥当な「最低生活費と経費」を計算してくれるであろうと「信頼」しているからです。その国が――政府税調がこんなインチキをするのでは国民の信頼を大きく裏切る行為に他なりません。

 「103万円の壁」を国民が問題にするのは「所得税の計算の仕方」に疑問を持っているからです。103万円で税金が掛かる今の計算方法がおかしい、「最低生活費と経費」はもっと多いはずだ、そう思っているのです。そもそもの設定金額に対する疑問、税制改正の期間の物価変動の見積りが低すぎる、源泉徴収で国や地方自治体が受けているメリットを国民に還元するという姿勢が見られない、などを考慮すれば「控除額の総額」は103万円ではないはずだ、もっと多いはずだ、そう考えているのです。実際この10年でサラリーマンを取り巻く環境は大きく変化しました。情報化時代の進展、リスキリングの必要性などいずれも「自己投資」が求められます。そんな変化を国は考慮しているとは思えないのです。

 「源泉徴収」という徴税方法を当たり前と考えずに国民の理解と納得が「前提」であることを真摯に考えるなら、政府も地方自治体も「103万円の壁」の妥当性についてもっと真剣に考えるべきです。そして現在の税制の基本となっている「夫婦と子供2人、妻は専業主婦」というモデルを再検討すべきです。

 

 さて次は政府も地方自治体も声高に主張する「7~8兆円」ともいう「税の減収」という問題です。この問題は納税義務者が「平等」に税を「負担」しているかどうかという視点から考える必要があります。経済を国内経済に限れば個人と企業、政府(国と地方自治体)の3つの主体で構成されます。個人は労働、消費、納税を、企業は生産、投資、納税をします。これに対して政府は国と国民を守る(国防)、行政サービスの提供、税による所得の再分配を行ないます。

 現在の税収の8割を所得税、法人税、消費税が構成しています。2022年度でみると65.2兆円の31%が所得税、20%が法人税、消費税が32%を占めています。ぱっと見ておおかしいと思いませんか。そうなんです、企業の負担(法人税)が少な過ぎるのです。これは法人税がこの40年で約半減した結果です。昭和末頃の税率は43.3%でした。その頃の税収に占める法人税の割合は35%近くもありました。それが平成の30年間に7回にわたって減税され現在では税率は23.2%にまで引き下げられています。その結果が20%の割合まで低下したのです。「減税でグローバル競争に勝って企業が成長すればその利益がトリクルダウンされて国民も潤う」というアベノミクスで減税が加速されましたが、この間GDPは横ばいで成長できず給料も据え置かれて企業の内部留保(企業の純利益の残高)だけが600兆円まで積み上がっているのです。

 

 最初3%でスタートした消費税は現在10%にまで「増税」されました。現在の「103万円の壁」論議の底には消費税の国民への過負担感が影響しています。国は所得税に比べて消費税の安定性を主張して社会保障の財源として減税は不可能だ(望ましくない)として減税に応じる気配がありません。「103万円の壁」による税の減収を穴埋めするとしたら法人税の増税以外に国民の納得のいく方法はないのです。

 

 アベノミクスの結果「過剰な円安」を招いて異常な物価高騰を招き生産にも消費にも悪影響を与えています。その結果「手取り額」で買える消費の実質額が減少したので「手取りを増やす」という国民民主党の訴えが国民の支持を得たのです。しかしこの問題は単に「103万円の壁」を解消するだけで解決するものではなく、国の税制の在り方、所得税の仕組み、など全体としての「税体制変革」を考えなければならない問題なのです。

 

 「税金納めて一人前や」、若いころ大人たちに散々言われたものです。

 

2024年11月18日月曜日

基軸通貨国の責任

  トランプさんが次期大統領に決まった次の日の昼のニュースショウで大の大人が――それも政治評論家だとか知識人といわれる連中が「石破さんがトランプさんの気に入られるには……」と大真面目にあれやこれややり取りしているのを見てこの人たちは本気なのだろうかと、呆れ果ててしまいました。「気に入られる」という言葉は「下のものが上の人に……」というニュアンスがあります。グレイトアメリカの大統領は極東の島国・日本の総理より当然格上ということをこの人たちはなんのためらいもなく「前提」としているのです、それも多分無意識に。加えて彼らが持ち出す「モデル」は安倍前総理なのです。安倍さんはトランプさんと仲が良かった、丁重な扱いを受けていた、世界で最も頻繁に首脳会談を行ったなどと両者の蜜月ぶりを引き合いに出して石破さんがそうなるためにはどうすれば良いか、ゴルフをしなさいの何のかのとアドバイスする連中の姿は噴飯ものでした。

 安倍さんがトランプさんとそんなに仲が良かったのに、では日米関係がどれだけ改善されたのかと振り返って見れば、大量の兵器を売り付けられただけで他にこれといってわが国にとって有利な見返りは何一つなかったのではありませんか。安倍さんはプーチンさんとも27回も会談していますが日ソ関係は北方4島返還も頓挫したまままったく進展は見られませんでした。

 この局のこの番組だけかと思っていたのですがどの局もどの番組でも同工異曲の「気に入られ方教室」を臆面もなくくり広げるのですからわが国のマスコミ――テレビ放送はどうなっているのでしょうか。

 トランプさんがどうでて来るか予測不能であることを殊更に取り上げて、関税を引き上げて国内産業保護になるだとか、軍事同盟の費用負担の公平化を打ち出してくるから「思いやり予算」を大幅増額しなければならないとか、防衛予算のGDP比2%では低すぎるから3%4%に拡大を突きつけてくるに違いないとか、この機に乗じた「軍事大国化」を当然視する論調を展開する「専門家」さんたちの『卑屈』な「属国意識」が情けなく腹立たしくてなりませんでした。

 

 対等な関係の独立国同士の「日米関係のあり方」の「正論」を堂々と戦わせばいいのです。そもそも「正論」を持っていないから相手の出方に対処する策で応じるしかないのです。

 

 今のアメリカは、特にトランプさんは「基軸通貨国としての責任」を忘れているのではないかという危惧を抱きます。「自国第一主義」を掲げて高率の関税で自国産業を保護すると公言して憚りませんがそんなわがままを言うなら、ドルが今持っている基軸通貨という「特権的地位」を捨ててユーロや円や元と同じ通貨になってください。

 第二次世界大戦の前後までは英国のポンドが基軸通貨の役割を担っていましたが戦争を機に英国経済が衰退してドルが基軸通貨に選ばれたのです。そのための裏づけとしてアメリカは金1オンス=35ドルと定め金との兌換を保証し、各国通貨はドルとの交換比率を固定することで安定性を維持する「金ドル本位制度」を世界は採用したのです(ブレトンウッズ体制の確立)。この体制は1971年のニクソンショックによって「金・ドル交換停止」となり事実上崩壊するのですが、にもかかわらず今日までドルが基軸通貨として流通してきたのは各国のドルに対する信認と利便性が他の通貨より勝ってきたからです。

 ドルに対する信認は、戦後80年間アメリカがその軍事力、経済力、政治力を用いて世界経済の発展と平和に貢献してきたからです。いわばアメリカは「世界を主導する責任」があるのです。この「信認」はアメリカと各国の無形の「信頼関係」により成立しているのです。ですからアメリカの指導者は世界の信認に応える義務があります。

 

 アメリカが経済大国として繁栄してきたのは豊富な資源と有能な人材があったからです。しかしそれと同等に「基軸通貨国としてのメリット」もありました。アメリカの国債がドル建ての資産として海外各国から準備資産や運用資産として大量に購入されるというメリットです。それは俗な言い方をすれば「ドルを好きなだけ刷ることができる」ことです。トランプさんは多くの公約をしましたが「双子の赤字」を抱えたアメリカ経済のもとでは国債に頼らざるをえません。しかしトランプさんが進めようとしている「グレイトアメリカ」は世界の国々の「信頼」に応える姿ではありません。世界の国々が互いに信頼し合って「自由貿易」をすることが世界経済発展のベターな政策だと主導してきたアメリカだから信頼してきたのです。その自由貿易を支える基礎となるのが「法の支配」を受け入れ「自由」を尊重する「民主主義」だとアメリカが主導してきたのです。トランプさんのやってきたこと、これからやろうとしていることは、「自由貿易」と「民主主義」に反することばかりです。

 コロナ後アメリカは急激な「利上げ」を実施しました。自国のインフレを抑制するためです。この影響を受けて「円安」が一挙に進行してわが国経済は多大な損害を被りました。しかしもっと被害を受けたのはアメリカから多額の借金をしている発展途上国です。借入返済額が膨脹し負担が過大になって国の経済が破綻に瀕した国もあるのです。

 世界の外貨準備に占めるドル比率は最高時80%を超えていましたがこの20年間で70%から60%に低下しています。今もロシアと中国の間の貿易決済にドルは使用されていませんし北朝鮮も同様でしょう。中国の一帯一路政策の参加国は元を決済通貨にしています。EUはEU間貿易の決済は当然ユーロが使われます。BRICSは新通貨の創設を検討しています。21世紀になってから「経済制裁」は広汎に行なわれてきましたから強制的に「ドル圏からの追放」が行われたことになります。

 「ドル基軸通貨」体制は刻々と綻びを拡げているのです。

 

 60年を超えた「日米安保体制」は東アジアの平和と安定の要です。しかし両国の関係はこの60年間に微妙に変わってきました。冷戦下の「防共」の砦としてのスタート時の立場から中ロと対立するアメリカの最前線基地という役割に変わってきているのです。もちろん「核の傘」の恩恵(?)は認めますがアメリカへのわが国の「基地提供」がなくなればアメリカの世界戦略は根本的な変更を迫られるはずです。もしトランプさんが理不尽な、法外な要求をするようならわが国は「ケツをまくる」行為に出てもいいのではありませんか。威勢のいいことを言う割に「卑屈な属国意識」の強い人たちに、冷静な世界情勢の分析とケツをまくるくらいの「腹をククル」覚悟はあるのでしょうか。

 

 トランプさんに気に入られようと汲々とするのではなく、アメリカのよき友として「助言」できる関係になりたいと願っています。

 

 

 

2024年11月11日月曜日

あほかかしこか

  昔からそうだったのですが娘たちが50才近くなって妻といっしょに「お父さんはあほかかしこか分からんわ」と口にすることが多くなってきました。言い訳すると最初は子どもたちに学校の勉強を鵜呑みにする危うさを気づかせるためにわざと常識に反する意見やモノの見方を教えていたのですが、齢を取るにしたがって世間一般のモノの見方考え方と異なることが多くなってきて、最近は本心から異論をいう傾向が強くなっています。そこで最近の「あほかかしこか」分からん話を聞いていただこうと思いました。 

 

 免許を返納してもうすぐ5年になります。もともと運転は得意でなかったのが78才になる前頃から反射神経の衰えと視野の狭さが顕著になってきて特に雨天と薄暮の運転が危うくなってきたので決心しました。今になって良い選択だったと思います。心配した不便さもそれほどでなく慣れてしまえばバスと歩きもそれなりに面白いものです。3系統あるバスの時刻に偏りがあって結局1時間に3本ほどになるのですが贅沢はいえません、行きはそれに合わせれば3本でも十分で帰りも20分くらいの待ち時間は何の不都合もありません。幸い敬老パスもありますので便利にさせてもらっています。

 バスになって気づいたことがあります。駅前のロータリーでのバスと歩行者の関係です。横断歩道を歩行者が通る時、たとえ一人であっても歩行者優先でバスが止まるのです。これはおかしい、そう感じるのです。少なくともバスには10人以上、多いときには30人くらいは乗っています。電車が到着した後などは断続的に3人4人また2人と歩行者がつづいて1分近く停車することも少なくありません。結局こうした積み重ねが「バスは遅れるもの」になっているのです。歩行者優先の原則に異存はありません。しかしこの原則も時によりけりで朝の出勤時間ギリギリの時などのこの待ち時間はサラリーマンのイライラのもとになっているにちがいありません。

 1人2人と10人~30人なら「多数の利益」を尊重したほうが理に適っているのではないでしょうか。駅前のロータリーでは「バス優先」であってもいいのではないか。わたしのあほな考えの「1」です。

 

 京都に「嵐電」という電車があります。四条大宮から嵐山へ行く電車ですが電車道が一般道路を走るところがあって三条通りは西大路から太秦までほとんどが一般道路になっています。西大路三条の通過時には信号があって電車も信号待ちします。交差点のスグ手前に駅があるので電車が青になるのをまって進行するのか電車に合わせて信号が青になるのか知りませんがとにかく電車が信号待ちするのです。

 こんな嵐電を知っている私にとって「開かずの踏切」の「解決策」として「なぜ電車が待たないのか」不思議でならないのです。最悪の場合「54分」も開かず状態になるのですから待たされる側の不満は尋常ならざるものがあるでしょう。JRと何本もの私鉄が通過するのを人も車もジッと、イライラしながら待つのですから「殺生やなぁ」と関西人ならぼやくこと必至です。地下に潜るにしても上を通すにしても「費用」は「地方自治体」負担になっているので実現が見通せないまま今日に至っているのです。

 電車が「一時停止」すれば明日にでも解決するのではないか。2分か3分か、1時間に2回でいいから電車が止まれば開かずの時間(待ち時間)」は15分か20分に短縮できますから相当の改善になります。今どきAI時代ですから時刻表の改訂作業と調整にそう手間は取らないはずです。

 あほやなぁ!と呆れ果てられましたが私は真剣なのです。

 

 マイナ健康保険証がいよいよ12月から全面実用化になります。ところが利用率は7月現在11.13%に低迷したままです。そこで紙の保険証との併用を当分認める方向で調整が続いています。現状ではそうならざるを得ないでしょうし個人だけでなく病院側も対策未完のところも少なくありません。利用者側とすればなんといっても「紛失」の危険性が払拭できません。自動車運転免許証と一緒じゃないかという向きもありますがそうじゃないのです、免許証より数段マイナカードの重さが違うのです。免許証なら再発行してもらえばいい、それまでの間運転を我慢すればいいだけだけどマイナカードは「自分が無くなってしまう」ような感覚なのです。銀行との紐付けのしてある場合は「不正利用」されてしまわないか。いろいろの不安をお役所は説明してくれません。なにより役所の「情報管理」体制への不信感がぬぐえません。お役所のシステム不良で使用不可になることはないのかという「不信感」も根強くあります。役所の考えでは今後運転免許証もマイナカードに一本化したいようですからますます「マイナカード」の「重み」は増していきます。不安、不信は募る一方です。

 そこでわたしに「あほな」解決方法があります。「マイナンバー」を紙の保険証や運転免許証の「発行ナンバー」にするのです。いまはそれぞれに「健康保険証番号」「運転免許証番号」を付与発行しているのを「マイナンバー」を流用・統一すればいい、というのが私の考えです。

 そもそも国の考えは「国民の単一ナンバーによる管理」にあるのですからカードにこだわる必要性はないのではありませんか。もちろんそれなりのシステムは構築しなければなりませんがそれはカードの場合も同様です。この方式なら紛失しても「1つの機能」だけで済みますから不安も少なくて済みます。適用機能の追加も抵抗少なく行えるのではないでしょうか。

 

 あほなことを縷々(るる)つづりました。呆れられたでしょう。でも80才を超えたころから世間の常識があほらしいと思うことが多くなってきたのです。執着するもの――競馬も酒も性欲もあれもこれもどうでもよくなってきて、というより体力も気力も衰えてきて欲を継続する能力が減退したのです。

 身軽になって気楽になって……。齢を取るのも悪くないものです。

  

 

2024年11月4日月曜日

中道右派の時代

  今回の選挙の意味は何であったのか。それは裏金に象徴される振り切った「安倍なるもの」への平衡力としての「中道右派」への「揺りもどし」であったと思います。「失われた30年」からの脱却が国民の悲願となって「強力な指導者」が待望され、この気運に乗じた「安倍一強」の8年はわが国の政治状況を限りなく右傾化してしまいました。自民党の得票率(衆議院議員選挙の投票率平均60%弱、自民党の得票率35%とすると)を考えると国民のせいぜい3割に満たない支持しか得ていないにもかかわらず「反安倍的」なものをほとんど無視して「国のかたち」を変えてしまったのです。それが今回の選挙前の国の政治的情勢でした。したがって「安倍なるもの」への不満のマグマは頂点に達していました。そこへ「裏金問題」が浮上したのですからこれが「発火点」となって「安倍なるもの」に対する「平衡力(釣り合いをとろうとする力)」が起動する環境は完全に整っていたのです。かといって国民は安定志向ですから一挙に「リベラル」へ揺り戻すことは望んでいませんでした。「中道」――それもどちらかといえば「中道右派」で様子を見よう、そんな選挙ではなかったか、と思います。

 維新は「亜自民党」ですから選択肢には入りません。「国民民主党(以下国民)」がもっとも条件に合致していると考えられたのでしょう。次いでリベラル色の強い「枝野立憲民主党(以下立民)」ではなく穏健で中道的な「野田立憲民主党」が選ばれたのです。

 

 今回の選挙について雑感をニ三述べてみます。まず納得のいかなかったことは、高市氏の「非公認候補の応援」です。そもそも今回の選挙は裏金問題に対する「国民の審判」にありました。自民党は「自浄作用」として悪質と判断したわずかな党員を「非公認」にしました。にもかかわらず高市氏は彼らを堂々と「応援」したのです。これは明らかに「反党行為」です。ところが自民党執行部はこれを「黙認」しあまつさえ2000万円を支給したのですから国民が怒るのも当然です。党は政党支部への党勢拡大費と言い訳しましたがそんな理屈が通るはずもありません。透けて見える「見せかけ『非公認』」は国民感情を逆なでしました。それが自公で218議席という惨敗を招いたのです。

 公明の退潮も同一線上にあります。非公認候補の推薦、支持を行なったのですから国民がそっぽを向くのも当然です。自民の暴走を矯正するストッパー役であったはずの存在が、結局安保法制の改変にも賛成したのですから党のイメージが汚染された感は否めません。

 激減した旧安倍派議員が石破体制に意趣返しすると息巻いていますが筋違いも甚だしいのではないでしょうか。裏金問題の張本人で今回の惨敗の責任の本当の張本人なのですから陳謝して当然で「逆恨み」するなど彼らの倫理観はどうなっているのでしょうか(もともと倫理観など持ち合わせていない連中でしたか)。

 

 今回の選挙結果の論評を聞いていて完全に抜け落ちている視点があります。ノーベル平和賞が「被団協」に与えられたことです。受賞後の記者会見で被団協・代表委員田中熙巳さんが石破さんの核共有論に対して「論外!政治のトップが必要だと言っていること自体が怒り心頭!」と石破さんの論文を厳しく批判した報道は、党内野党を標榜し国民目線を装っていた石破さんが実は以前から持論として「核容認」であったことをあからさまにしました。石破さんの米シンクタンク「ハドソン研究所」に寄稿した論文の概要は次のようなものです。核のシェア、持ち込みを具体的に検討しなければならないと提言し、北朝鮮とロシアの軍事同盟の強化は北朝鮮の核・ミサイル能力増強につながりそこへ中国の核戦力が加われば米国の東アジアにおける抑止力が機能しなくなる。それを補うためには核戦略の見直しが必要であり、核共有・持ち込みを含めた日米安保条約の現在の片務的非対称のものから「普通の国同士の軍事同盟」に格上げしなければならい。被団協の田中さんが「論外!怒り心頭!」と怒りをぶつけたのも当然なのです。

 ノーベル平和賞は極めて政治的な側面を持っています。時々の世界情勢を考慮して平和が冒(おか)される危険性が高まっていると判断すればそれを是正する考え方や政治的方向性に賞を与えることで「警鐘」を鳴らしつづけてきました。今回もロシアがウクライナ戦争において核の使用をチラつかせて戦況を有利に導こうとしていることや北朝鮮のあからさまな核戦力開発への暴走に対して危機感を抱いて、被団協の「核タブー」化への世界的規範の醸成に努めてきた長年の運動に対して改めて意識を向けるべく受賞を決定したのです。

 「世界唯一の被爆国」を常套句とする我が国の政治家たち。安倍さんも菅さんも岸田さんも事あるごとに口にしてきました。しかしその言葉とは裏腹に核の傘を容認しさらに安保法制の改変も断行したのです。これは自民党長期政権を支えた「3割弱」の支持層以外の国民の考えを完全に無視した暴挙であったのですが、しかし3割の岩盤支持層の人たちの中にも「行き過ぎ」ではと懸念する人もあったかもしれません。そうした従来の自民党政権とは反対の立場を表明していた石破さんが安倍さんでさえ表だって認めていなかった「核持ち込み」も「アメリカとの核の共有」も具体的に検討を開始する人であることを知ったのですから「拒否反応」は半端なものではなかったのではないかと思うのです。

 

 裏金に対する国民の怒りは想像以上に強く深いものでした。しかし「核容認論――核共有、持ち込み許容」に対する「拒否反応」もそれと同じくらい「反自民」に作用したのではないでしょうか。マスコミが取り上げないから表面にはでていませんが。

 

 マスコミは「中道右派」という表現をまったくしていません。しかしわが国の政治趨勢はこれまでの「右傾化」一辺倒から「中道右派」へゆるやかに移行していくに違いありません。同様に石破さんの「核容認論」に対する「拒否反応」も表面化していくことでしょう。

 わが国は今重大な転換点に立っているのです。