書をはじめて二年になります。本当を言えば「書」などと言える代物ではないのですがとにかく筆をもってひらがなと漢字を毎日書くようになったのですから「八十の手習い」にはちがいありません。「手習い」という言葉はよくできていて文字通りひたすら手を動かしてお手本を「なぞる」「習う」の繰り返しの中で「コツ」を身に着けるのです。私の場合は我流ですから先生はいませんのでがむしゃらにお手本をまねて二年間書きつづけてきて、最近になってタテの一の棒が一番難しいのが分かってきました。トメのタテ棒を半紙一杯に何本も書いて満足いくのがなくて、また紙を取り替えてタテ棒を書く。こんな修行のようなことをするとは思ってもいなかったのですが二年間経って学校やお習字教室の第一過程でやらされるタテ一のトメの練習をして、それが退屈でなく苦痛でもなく何とか上手く書きたいの一心で十分十五分と工夫するのですから「手習い」というものは奥深いと思います。
これまで何度も挑戦して一度も「やってやろう」という気にならなかった「書」が今度うまくいったのは「お手本」が良かったからだと思います。『くずし字で「百人一首」を楽しむ(中野三敏著角川学芸出版)』と『三体千字文(飯田秋光書高橋書店)』をお手本にしているのですが百人一首をくずし字で読めるようになりたい、読み説けるようになる、くずし字を書きたいの三つを目標にかな文字の手習いをする。これが見事にはまったのです。解読の難しいくずし字を読めるようになりたいという念願が書くことで驚くほど身に着くようになって、百人一首そのものも何度も読み返すうちに和歌の勘所に道すじがついて古今和歌集や山家集などの興味へつながって古文を学ぶ入口になりました。
『千字文』は中国六世紀梁の武帝が兵士に漢字を覚えさせるために部下の周興嗣に作らせた教則本で体裁は漢詩になっていて一字の重複もなく漢字千字を網羅した驚くべき書物なのです。それを「三体」――楷書、行書、草書の三つの漢字の形でお手本があるのが『三体千字文』です。私は漢字は楷書が一番難しいと思っていて行・草と一緒に楷書を練習すれば慣れるのではないかと考えてこのお手本を選んだのですが飯田秋光さんの字が好きな字ということもあって最初の30字も書かないうちに漢字の面白さに引き込まれました。行と草は勢いで書いていると何となくカッコウがつくので気持ちよく、その流れで楷書を書くと「字」の形がつかめるような感覚を得ました。そんな繰り返しをつづけるうちに楷書にも馴染めるようになってきました。このごろは大きな紙に漢字を力いっぱい書いてみたいという意欲が湧いています。
翻って昨今の「SNS全盛時代」はお手本のない時代です。お手本に頼って生きてきた我々世代は底知れない『不安』を感じています。あの空間で流通している情報は「権威の裏づけのない」「無責任な(匿名性)」ものです。しかも流通量だけは厖大なのに閲覧できる情報は限りなく「狭く」「少ない」のです。そのうえ巨大営利企業が流通を管理しているのです。私たちはこれまで「新聞社(雑誌社)」という権威に選択された情報を相当広範囲に提供されてきました。媒体が紙でしたから貯蔵可能で繰り返し閲覧できました。そのうち電波媒体ができてラジオ・テレビが出現、速報性のある情報が無料で提供されるようになりましたが「テレビ(ラジオ)局」という権威が情報選択を行なっていました。電波情報はタレ流しでしたが紙媒体と補完関係にありましたから情報確認は保証されていました。
SNS時代になって新聞購読者は激減し雑誌は廃刊が相次ぎました。1世紀近くつづいたラジオ・テレビの電波メディア主体の世論形成時代は令和になってSNSが主たる情報源という大衆が若者層を中心に拡大しつづけています。アメリカのトランプ大統領が象徴的な存在ですが「選挙の予測」を行なう「オールドメディア(旧来の新聞やテレビをそう呼びます)」の予測が事ごとに外れるようになって、オールドメディアは「エスタブリッシュメント(既得権を持った支配層)」に偏ったメディアで一般大衆の意見を反映していないという見方が一般的になりSNSの情報に最も影響を受けて投票を行なう人たちが主流になりつつあります。
お手本のない不安は誰でも持っています。そうなると自分の好きな情報、自分と同じ考えをする人の情報で自分の選択を補強して自信をつけようとするようになります。それでも不安は残ります。そんなとき自分を代弁してくれる強烈な個性を持ったカリスマを無意識に求めるようになります。トランプさんは白人でありながら黒人やヒスパニックに職を奪われたラストベルトの人たちを代弁して「MAGA(メイクアメリカグレイトアゲイン)」と叫んだのです。そしてアメリカの主たる新聞やテレビ局の予想をくつがえして大統領に上りつめたのです。
SNSの影響はアメリカに限らずフランスでもマクロンさんの政治権力を地に落としめましたし東京都知事選挙では石丸現象を、兵庫県知事選では斎藤さんの再選を演出しました。先の衆議院選挙では自民党を過半数割れに追い込むと同時に国民民主党を3倍の大躍進に導きました。民主主義国といわれる先進国のほとんどが少数与党の不安定政権に追い込まれています。お隣の韓国では尹大統領の「非常戒厳」という信じられない事態まで引き起こしたのです。
「不確かな(権威の裏づけのない)」「無責任な(匿名性)」な情報を個人が信条やイデオロギーではなくその時々の「空気」で選択した結果ですからいつまた別の方向に向かうか制御不能な状況が「今」なのです。「今、ここ、私」はいつでも「漂流」するのです。
宗教――特にキリスト教のプロテスタンティズムという精神的紐帯を失った資本主義国民主主義国は「金」と「選挙」だけが「お手本」に成り代わってしまっています。どちらも不確かなもので結ばれている「西側先進国」が遅れてきた国の「お手本」になることはありません。BRIKSをはじめ開発途上国の多くはアメリカの「ロシア封鎖」に協力しないのです。
世界の「反アメリカ(西側先進国)」を示す指標の一つが各国の外貨準備高に占めるドルの割合が8割超から6割を切ったことです。トランプさんが大統領になればこの比率はますます低下するにちがいありません。SNS時代にふさわしい「新しい価値観」はいつどの国が提示するのでしょうか。
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