2025年1月20日月曜日

テレビは大丈夫か

  中居問題に関するフジテレビ社長の記者会見がテレビ締め出し(撮影不可)と聞いて我が耳を疑いました。テレビ局がテレビを「報道機関」として認めないなどということが日本の全国ネットの大テレビ局社長の判断というのは正気の沙汰とは思えません。折りしも東京都知事選や先の衆議院議員選挙で「オールドメディア」とその存在意義を否定された直後というのに危機意識が微塵も感じられません。昔ある総理の退任会見で「テレビは出て行ってもらいたい」と言い放たれて毅然と席をけった当時のテレビマンの矜持のかけらもないフジテレビ社長の体たらくに絶望的な「敗者」の姿を見た思いです。

 

 それにしても今回もまた「外圧」があってはじめて事の重大さを認識するという悪弊の繰り返しでした。ジャニーズ問題がBBCの告発報道が引き金になって長年タブー視されてきたジャニー喜多川の性加害問題を日本のメディアも報道するようになり国会でも問題視されてようやく解決への道すじがつけられたように、今回もフジテレビの大株主であるアメリカ投資ファンド「ダルトン・インベストメンツ」の企業統治に対する欠陥を指摘されてようやく記者会見を開くに追い込まれたフジのあり様はわが国メディアに共通するジャーナリズム精神不在の企業体質の露呈でした。そもそもわが国には「記者クラブ」という権力の「提灯記事承り」制度があり政府や行政のニュースリリースの垂れ流しが平然と行われています。外国から情報開示の不平等・不公正を指摘されているにもかかわらず暗然と制度は存続しつづけているのです。こうした権力との癒着を決然と断ち切らないかぎり「大本営発表」の有効性は依然と存在しつづけることでしょう。

 

 しかしジャニー、松本、中居とつづくわが国エンタメ界の「性に関する暗闇」はどこまで醜悪で底深い病巣なのでしょうか。売れっ子、稼ぎ頭を「奉る」企業体質と女性の「人権」を蹂躙して権力者への「貢物」とすることを当然視する「女郎屋根性」がこの情報化時代になっても先端と言われている業界に隠然と残っているのはなんとも情けないことです。芸能事務所というシステム、「第四の権力」と言われる権力を有しているにもかかわらず情報産業は「中小企業」であるという資本と経営の「脆弱性」、大衆の情報リテラシーの未熟さ、などいろいろ原因は考えられますがひとつの見方は「未熟な人間」に「莫大なお金と権力」を持たせる危険性です。

 大谷翔平選手の通訳だった水原一平が窃盗・詐欺事件を起こしましたが普通の人間が数十億円というお金のフリーアクセスの環境に置かれたら変な気を起こしてもおかしくない一面はあると思います。それが自分のお金、自分が自由にできる権力、そしてそれに平伏す(ひれふす)取り巻き、これだけの条件がそろえば大抵の人間は正常な感覚を狂わすにちがいありません。これは人間の弱さとして認めざるを得ない側面もありそれを前提に「管理・統治システム」を築くべきなのです。最近はやりの「第三者委員会」のような組織をつくるとともに公益通報者保護制度とも連携して「組織防衛」の一組織としてビルトインするべきなのです。

 これに関連して三菱UFJ銀行の貸金庫事件は象徴的です。一般職で入行した女性が総合職に昇格ししかも支店長代理にまで上り詰めるなど稀有な例です(現在は状況が変わっていると思いますが)。それが貸金庫という「莫大なお金」にフリーアクセスになったのですから起こるべくして起こった事件です。問題は頭取が報酬減額という程度の事件とみていることです。私はこれは頭取辞任が当然と考えています。今や都市銀行は大企業と富裕層が主要顧客です。大企業は投資は豊富な内部留保(自己資金)で行いますから運転資金が主な資金需要になっており富裕層の拡大と囲い込みが戦略分野になっています。貸金庫はその重要な囲い込み手段です。公言は憚りますが富裕層には税金逃れという選択肢志向もあります(タックスヘブンへの資金移動を利用する層がどれほどいるのでしょうか)。彼らにとって貸金庫は魅力的ですからこれが信用できないとなれば銀行を選ぶ根拠が崩れます(金融機関は他にも多くあります)。自行のみならず同業他社への影響も甚大でしょう。もし頭取が引責辞任すれば「危機がチャンス」になったかもしれませんが今回の対処の仕方は致命的だと思います。

 

 それにしても今回の中居騒動はどうして「公益通報者保護制度」の側面からマスコミは論じないのでしょうか。被害者は内部の女子アナに相談したと報じられています。それが「公益通報者保護制度」に連携しなかったことが事件の隠蔽につながり問題を複雑にしたのです。フジテレビに制度がなかったわけではないようですから運用に関して当事者も周囲の人たちも、会社さえも認識不足だったのでしょう。しかしほんのすぐ前まで兵庫県知事のハラスメントと公益通報者保護問題に関して喧しく論じていたのに中居問題にこの視点を当てようとするメディアは今のところ皆無です。

 こうしたところにわが国メディアの「浅薄さ」があるのではないでしょうか。事件ごと問題ごとにブツブツと報道が途切れていてその底に流れている社会全体の傾向や志向のようなものを明らかにしようという姿勢がほとんどないのです。兵庫県の問題も中居問題もそこにあるのは「人権意識」であり「ジェンダー差別」です。それがひょっとしたらわが国最大の問題である「少子化」につながっているかもしれないなどという問題意識はまったくうかがえません。そしてそれはわが国教育制度の「知識偏重」にも、リベラルアーツ軽視にも遠因をみるのですがいかがお考えでしょうか。

 

 ジャニー、松本、中居。エンターテイメント――お笑いに「権威」は邪魔なのです。

 

 

 

 

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