2010年4月5日月曜日

アメリカという国について」

 アメリカ文化への憧れを幼年期に刷り込まれた私にとってJ・F・ケネディの大統領就任はその最も輝いた時期であった。そして皮肉にも彼が暗殺されることによってアメリカ文化の凋落が始まった。21世紀初頭の9・11は大きな転換点であり2008年の金融危機はアメリカ文化への不信を決定づけた。
アメリカという国は一体どうしたのだろうか、ここ数年考えつづけてきた。そして答えは思わぬ方向から届いた。池澤夏樹が「世界文学を読みほどく」のなかで提示している非常に示唆に富んだアメリカ観を知ることによって、年来の疑問に納得の道筋をつけることができた。
そこで以下にそのあらましを記してみたい。

 《あの国は全て白人の土地ではなく、本来インディアンの土地だったのです。それを奪った。(略)(アメリカ人のいう)マニフェスト・ディスティニー(明白な運命、或いは、神に与えられた使命)自体が、収奪、奪うことではないのか。(略)かって奪ったということ、それから黒人をアフリカから連れてきて束縛した上で、強制労働をさせた、それによって冨を作った、ということは、アメリカ人の心のどこかでずっと、一種の重い罪の意識のような形でずしんと残ってきたのではないだろうか。》
《自分たちだけで事を決めて、それを実行する。何故なら中央は遠いし、過去に先例がないから。(略)しかし、先例がない、過去を引照できない、つまり過去の事例を引用したうえで今を決められない。これが歴史がないということです。だから、ある意味でやりたい放題になる。》
 《アメリカという国にはなぜいまだにあれほど銃がたくさんあって、自分の判断、自分たちの判断で人を殺すことが抵抗なく行われるのか。それは、彼らには、法律と倫理、治安、セキュリティーを自前で賄わなければいけなかったという歴史があるからです。(略)そしてそれはその後、現在に至るまでずっと続いています。非常にドラスティックなことをいきなりしてしまうのです。》
 《アメリカは若い国である。ヨーロッパのように罪を知らない、まだ穢れていない。なぜならば、罪のない悔い改めた清らかな人たちだけが、メイフラワー号で渡ってきて造った国だから、アメリカはイノセントである、という信念が、最初にあるわけです。(略)倫理の基準が自分たちの中だけにしかない、先例が足りないということは否定できない。それでなおさら、共通の倫理観を作る前に先ず行動してしまう。ローカル・ルールで人を裁いてしまうという姿勢は、いまだに変わっていません、》
 《「パラノイア(偏執病)」というのは、今のアメリカを解読するための鍵の一つとして、大変大事な役割を持った言葉です。(略)事実は「イラクにはもうそんな力はない。彼らにそんな意図はない」ということを示していたのに、このパラノイアに乗って実際に戦争が始まってしまう。不思議な社会だと思います。》

 1776年に建国され僅か150年余りで世界の覇権を握った「若い穢れのないアメリカという国」。その覇権に蔭りが見え始めた今、アメリカはどこへ行こうとしているのだろうか。『文学者・池澤夏樹』は政治や経済の底にある『悩めるアメリカ』を鮮烈に教えてくれている。

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