2010年11月8日月曜日

仇討ち禁止令

 明治6年(1873年)復讐禁止令が公布され敵討ちが禁止されたが全面的な禁止ではなかった。その後明治13年(1880年)の旧刑法制定に至って復讐の完全禁止が実現された。
 平成7年(1995年)刑法改正によって「尊属殺人」の規定が廃止された。殺人罪の特別類型として「犯人自身又はその生存配偶者の直系尊属を殺した場合を、死刑又は無期懲役という特段に重い刑で処罰していた」が、法の下の平等という近代憲法原則に照らせば尊属の生命をそれ以外の人の生命より価値の高いものとする規定の違憲性は明らかで、昭和48年(1973年)最高裁大法廷が違憲とした判例を立法化したものである。

 人類は長い歴史の教訓として『暴力の抑制』という『理性』を学んだ。暴力の極限である殺人でありながら復讐は長い期間許容されていたが『暴力の連鎖』を招くとして禁止され、最後まで正当化されていた尊属殺人さえも排除されて今日を迎えている。ところが昨今我国では『被害者感情』という『理性の対極』に阿(おもね)って『極刑』を当然視する考えが勢いづいている。又その一方で「裁判員制度」の導入に伴う裁判員の「死刑判決忌避」に関しては同情的である。
 人間生命についてのこうした視座の定まらない風潮に極めて危うさを感じる。

 我々は極度に分業化された今の生活を当然のこととして受け入れているが、元々は、或いは原理的には全てを我々自身の責任で行っていたものを長い時間の経過を経て各分野の専門家に代理人として依託するに至っているのである。従って「死刑を宣告し死刑台の執行ボタンをおす」のは今でも我々自身であるということを知らなければならない。それを忘れて、他人事として自分と切り離して社会の仕組みを見ているから、死刑制度を容認しながら裁判員となって死刑判決を行うことを『別もの』と捉えてしまう矛盾に気づかないでいることになる。昨今の『厳罰化の風潮』も元を糺せばこうした『無知』による『畏れのなさ』に起因しているのではなかろうか。

 人類は国家権力による殺人である戦争を未だにコントロールできずにいるが、歴史を冷静に観察してみれば近代の代表制民主々義諸国は相互に戦争することが無いという事実に気づくはずである。

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