2010年11月1日月曜日

野ざらし

 野ざらしを 心に 風のしむ身哉
 道に行き倒れて白骨を野辺にさらしてもと覚悟をきめて、旅立とうとすると、ひとしお秋風が身にしみることよ―という松尾芭蕉「野ざらし紀行」の冒頭の句である。知人のNさんが急死したという警察からの突然の知らせに接したとき何故かこの句を思い出した。

 二月ほど前、Nさんは脇腹を骨折した。その数日後風邪をひいた。何日かたって「すまんがスグに来てくれないか」という悲痛な電話がかかってきた。近くの介護支援センターへ走った。素人がヘタに動かして脇腹を悪くするのを恐れたからだ。介護員さんと一緒にお宅へ伺うとマットレスからズリ落ちた状態で俯伏せになったまま倒れたNさんがいた。
 介護員さんの計らいで直ちに入院したNさんは極度の脱水状態から癒え10日位で退院した。ヘルパーさんの手助けもあって順調らしく見えたが痩せかたが尋常でなかった。胃を切除して三分の一しかなく食が細いNさんに自炊をやめて給食サービスを受けたらどうかと勧めてみたが委託した様子は無かった。
 数日後の火曜日にいつもの喫茶店へ行くと、先週末久し振りに店に現れたNさんの様子が余りにも頼りなかったと女主人のY子さんが心配げに訴えた。介護支援センターへ寄ってNさんに給食サービスを至急に受けるよう手配してほしいと依頼した。
 三日後介護員さんがNさん宅へ行くと、すでに亡くなっていたという。
もしも火曜日に訪問してくれていたら、という悔いは残る。しかしこの介護支援センターのテリトリーには対象の高齢者が12000人もいて対応している介護員は僅かに6人だということを知っているから彼らを責めることはできない。

 左京区の高級住宅街にあるお屋敷で生まれたNさんは京大を卒業後有名商社に就職したが、のちに独立して東京でシンクタンクを設立、海外企業とのコラボ事業を手掛けたこともあった。晩年は月に何本かの講演で全国を回っていたと聞いている。3人の子どもはそれぞれ立派に独立し末娘はキャリア官僚として活躍中と自慢げに語るNさんの横顔が忘れられない。その彼がどうした経緯で独居に至ったかは詳しく語らなかったが、老いても意気盛んで何時も新鮮なものの見方で驚かせたダンディーな姿が鮮明に思い浮かぶ。
 
 野ざらしを 心に 風のしむ身哉  (合掌)

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