2011年2月7日月曜日

資本と経営の分離

 大相撲の八百長事件が騒動となって喧しい。しかしそれらの批判や議論は『大相撲が現在の興行形態で格闘技として成立している』ことを前提として語られている。本当にそうだろうか。世界一過酷な格闘技・相撲が、一場所に15日間連続して試合(取組み)が行われ年間6場所も興行が組まれている過密なスケジュールで『真実の格闘技』が実現できるのか。格闘球技ラグビーは1試合で消耗される体力の問題を理由としてオリンピック種目から除外されているではないか。

 現在の年6場所一場所15日連続興行が始まったのは意外に新しく1958年(昭和33年)である。江戸時代は晴天十日間興行であったが1909年(明治42年)に両国国技館が開館され晴雨不問の10日間連続興行が可能になる。1923年11日興行に変更され1949年(昭和24年)から15日興行が始まった。
 場所数は東京と大阪に分離していた協会が1927年(昭和2年)大日本相撲協会に統合され年4場所制になる。1933年の脱退事件、終戦直後の混乱などで変則興行が続いた後1950年(昭和25年)ようやく15日連続興行で3場所開催が行える環境が整う。栃若時代の到来は相撲人気を高めテレビの普及と相俟って1957年5場所に、1958年には現在の6場所制に増加して定着した。
 屋根付き国技館、相撲協会の統一、テレビの出現など相撲人気を盛り上げる種々の要因があって現在に至っているが、競技条件の変更に伴う競技者(力士)の身体能力に関する科学的検査が行われたということは寡聞にして知らない。現在でも幕下以下の取組みが一場所7日間であるのは体力的に15日連続競技に耐えられないことも原因のひとつではないのか。

 大相撲の屋台骨を揺るがす由々しき事態に至った今、興行形態の根本から検討する必要がある。例えば10日興行で前後半の間に3日間の休養期間を設けるなど、真の格闘技・相撲にふさわしい日程を模索することは大相撲改革の出発点であろう。
 「年寄り(親方)」が大相撲の『資本と経営』を独占する現体制から「経営」を第三者に分離することは、相撲協会再生の絶対条件である。
 
 朝青龍を「横綱の品格に劣る」と悪しざまに言い募った識者たちはどんな気持ちでこの体たらくを見ているのだろう。

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