2011年1月31日月曜日

荻須高徳展

 荻須高徳展へ行ってきた。2年前難波に開業したホテルモントレグラスミアの22階にある山王美術館はひっそりとして落ち着いた雰囲気だった。それもそのはずで入場者は私ひとり、小じんまりした空間に27点の作品があった。
 1927年パリに渡った荻須は石造りの街並みに魅かれ独特のタッチで古い建物や裏通りを描き続け、当時の市長ジャック・シラク(後のフランス大統領)に「最もパリ的な日本人」と言われた存在だった。そんな彼の作品は対象となっているパリのどの風物にもいとおし気な眼差しがある。以前からどこか佐伯祐三に似たタッチを感じていたが入口の作者概要に佐伯が彼の師匠、とあったのは今更ながらの収穫であった。
 近づき過ぎない距離で一つ一つの作品を鑑賞、数歩下がって4、5枚をためつすがめつ、又接近して絵の具の盛り上がり具合などを確認したりと、全作品を心行くまで堪能した『贅沢な鑑賞』タイムであった。入場後しばらくして受付にいた学芸員らしき男性が入ってきたのは私が怪しい振舞いに及んでいないかを監視にきたのかもしれないが、解説してくれたり最近の美術界の動向を話すなど打ち解けたもてなしをうけ、満ち足りた気分で美術館を後にした。

 最近の美術展ブームには時代背景があると思うが、「企画展」が主流になっている現状は専門家の選別した『権威』に寄り掛った鑑賞姿勢といえないことも無い。偶には混雑していない「常設展」で自分の目で『好みの選別』をしてはどうか。又有名作品の複製画よりも素人の本物の方が迫力があるから、街の画廊でやっている素人の展覧会などにも足を運び、気に入った作品があれば購入するのもよろしいのではないか。

 少し前漱石の「明暗」と川端康成の「眠れる美女」を読んだが、独断と偏見を恐れずに述べれば「明暗」は明治末期の風俗小説に過ぎないし「眠れる美女」は失敗作ではないかと思った。語彙の選択と文体に乱れが目立つ乱雑なものだし、それ以上に、老人の性に対する悪意ある偏向に作者の病的な苛立ちを感じた。(想像するに精神に異常を来たしていたのではなかろうか。)

 美術展ブームの先に時代の要請に応えた「新しい心の時代」が展けるのではないかと期待している。

0 件のコメント:

コメントを投稿