2011年1月4日火曜日

今を考える

 明治維新以後我国は先進国に追いつけ追い越せの「キャッチアップ」を推進力にしてきた。お手本があるから、お手本を理解してそれへの実現可能な最適解を導ける少数の人間と効率的な実行部隊が必須であった。中央集権的な官僚組織が有効であった必然性がある。多くない国富を中央政府に集約して殖産興業や富国強兵を成し遂げる必要があった。「戦後の奇跡の復興」にも中央集権的官僚機構は有効に機能したが「世界第二位のGDP」を実現した時、追い越すべき目標が消滅すると共に「大きな政府」は存在価値を喪失した。『政権交代』にはそういう意味があったのだが民主党はそれを理解していないから『ブレ』まくることになる。これからは政府ではなく国民と企業が主役の時代である。

 冷戦時代の終結は「グローバル経済」の幕開けでもあった。先進国の低成長を尻目に発展途上国の高度成長が世界経済を牽引する構図が当たり前になってきた。その入れ替わりの劇的な調整がリーマンショックを引き金とした「金融危機」であり、先進国経済を引っ張ってきた米国の過剰消費の消滅による需要不足を緊急避難的に解消する試みが「貿易拡大策と自国通貨安政策」に他ならない。先進国では格差問題が喫緊の課題になっているがやがては高成長を続けている途上国にも伝播することになり、それは世界に貧困がある限り終わることはない。人件費の安い国を求めて生産拠点を移していく今の生産方法が変わらない限りこれは自明であろう。貧困国救済を真剣に考えることが国内の格差問題解決の近道であることを知るべきである。

 経済のパイが大きくなっていないのに「携帯電話」関連産業が存在感を増している現状は旧産業の一部が停滞していることに他ならず不況の真因はここにある。携帯電話産業を含む情報通信産業は平成20年度で全産業の9.6%の比率を占めるまでに成長している。旧産業は規制と補助金に保護されて新陳代謝が妨げられている現状を大手術しなければならない。痛みを伴うこの作業を国民に受入れさせるためには国会議員の定数削減や議員報酬の減額など、選ばれるものが先ず身を切らなければならないことは明らかである。

 混乱の時代を終息するためには透徹した時代認識と政策を展開するための哲学を先ず提示すべきである。

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