2011年5月16日月曜日

21世紀の日本

 有限であるはずのエネルギーと資源―原材料を無尽蔵に費消して大量生産大量消費を実現した20世紀文明がこれまで順調に成長してきたのは世界のほんの一握りの国々がエネルギーと資源を独占できたからに他ならない。世界190ヶ国の内の25カ国の先進国が人口では世界の僅か15%に過ぎないのに、残りの85%と比べて約6倍の所得を享受しているという現実がそれを如実に物語っている。
 しかし市場を勝ち抜くために不断の供給力優位を追及しなければならなかった企業は市場の拡大と投入労働力確保のために「グローバル経済」に突入せざるをえなくなった。このことは市場でのプレーヤーの増大を意味し、エネルギーと資源の独占的利用を困難にする。原油と国際商品市況の恒常的高騰傾向は今後益々強まるに違いない。このため先進国の停滞を尻目に世界経済を牽引しているBRICs諸国の高成長もエネルギーと資源の制約から遠からず(中国の場合2020年頃から)成長に翳りがでるであろう。

 21世紀になって早11年目になるにもかかわらず安穏と20世紀の延長線上に居座っていた我々は3.11東日本大震災によって『強制終了』され20世紀文明との決別に追込まれた。原子力発電への依存を強制的に低下させなければならない必要から「大量生産大量消費型文明」を乗り越え『新しい文明の形』を創造しなければならなくなってしまった。

 唯一の被爆国である我国は原子力の暴力的利用と共に平和的利用に関しても人類の叡智を結集した高度な管理技術と管理体制を築く責任を負わされた。同時に21世紀型の新しいエネルギーシステムを現実化しなければならない。
 輸出依存から脱却し内需を拡大しなければならない経済状況は製造業と太平洋側偏重の産業構造の根本的見直しが必要であり、その為には既得権に結びついている各種の「規制改革」を大胆にすすめなければならない。
 人類の夢であった「不老不死」―超高齢社会を、構成する国民の各層が満足するような理想型にする責任はもう待ったなしの状況になっている。

 こうして考えて来ると我が日本は『21世紀型文明の実験室』であることがはっきりと分かる。これからの数年間―21世紀初頭期に世界のお手本となるような『国づくり』をすることが震災で亡くなった方々への我々の責務であると強く思う。

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