2011年5月9日月曜日

280円のユッケと59円の食器

 焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」のユッケによる死亡事件の報道に接して生食用牛肉の流通管理のズサンサにあ然としたがそれ以上にチェーン店のユッケが1人前280円であることを知って驚きより憤りを感じた。

 私が韓国料理を最初に食べたのはもう50年近く前になる。その頃まだ珍しかった韓国料理店が銀座に1軒あったのを友人に紹介されすっかり病み付きになってしまった。「焼肉」というものを知らなかったからその旨さに驚いた。ビビンバも美味だったが「ユッケ」は格別だった。生肉を食うという習慣がなかったから最初は戸惑ったが一度口にしてしまってからはその味を忘れることができなくなった。だからといってその頃の韓国料理は高級だったからめったに食べられるものではなかったので、麻雀や競馬でたまに大勝ちするとその店に飛んで行ったことを懐かしく思い出す。

 国連の『人間開発白書』によると世界人口の約半分にあたる30億人は1日2ドル未満で暮らしていると報告している。このような状況にある国々においては、食物は飢えを満たすものであり食器は食べ物を盛り付ける機能さえ満たしておれば満足しなければならないであろう。それに比して我国は中国に抜かれたとはいえGDP(国内総生産)は世界3位であるし1人当りGDPも4万3千ドル(2010年度US弗)近い水準にある。1日67ドルを超える高所得国であり文化国家であるはずの我国において59円の食器や280円のユッケがマスコミの広告で喧伝されている風潮は奇異に映る。
 
 東日本大震災の影響で電力の使用に制限をかけられた我国は「20世紀型文明」の見直しの止む無しに追込まれている。大量生産大量消費で機能の充足を満たした、つぎの段階に踏み出さざるをえない状況を強いられたことになる。ということは、機能以上の文化的価値を個人個人が『物に見出したり創造したりする作業』が求められる段階に差し掛かっているということだ。59円の食器や280円のユッケの『誤った豊かさ』に決別する文明の段階にいる、という自覚が必要なのではないか

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