2011年8月8日月曜日

盂蘭盆会

 今週はお盆の入り、来週は五山の送り火である。
 お盆は盂蘭盆会といい父母や祖霊を供養する行事で日本では推古天皇6年(606)から行われている。「盂蘭盆経」の説話に起源についてこう書いてある。釈尊の高弟・目犍連が餓鬼道に墜ちて苦しんでいる母親を救いたいと釈尊に教えを乞うと、自恣(じし:安居《あんご》の修行の明ける)の7月15日に僧衆を供養するように、といわれ教えの通りにすると母が救われたという。

 ところでお盆にお寺参りするのは当然のことのように思っているが実はそんなに昔からあった風習ではない。江戸時代初期(慶長年間1613年頃)キリシタン禁制を貫徹させるために定められた「寺檀(じだん)制度」によって寺院と檀家の関係を固定化させ寺請(てらうけ)制度(檀家の人がキリシタンで無いことを証明し宗旨人別帳を作成することが義務付けられた)が実施された。その後世俗権力(幕府の権力)だけでは完全に行えない民衆支配を宗教の力を借りて徹底しようと寺檀制度が拡大される。「宗門檀那請合之掟(しゅうもんだんなうけあいのおきて)」に「祖師忌、仏忌、盆、彼岸、先祖命日に絶えて参詣仕らざる者は判形(はんぎょう)をひき、宗旨役所へ断り、きっと吟味を遂ぐべき事」「死後死体に剃刀を与え、戒名を授け申すべき事、(略)邪宗にて之なき段、慥(たしか)に受合の上にて引導すべき也。能々吟味を遂ぐべき事」などと、葬式や檀家の義務を規定している。
 即ち、お寺参りをお盆、お彼岸、先祖の命日等にキチンとやらない檀家は罰せられる、戒名を必ず授けること、などが義務化されたのである。権力側はお寺の力で民衆を管理する見返りに、寺側は権威と経済的基盤を磐石に保証されたのである。

 明治維新になって寺檀制度は廃止され、戦後になって家制度は無くなったが檀那寺と檀家の関係は未だに継続している。高齢化もあって「葬式仏教」は益々健在であるように見える。しかし人間の生死の問題を高額な戒名料に置き換えて云々するなど仏教の有り様が問われる側面も浮彫りになっている。格差が拡大し閉塞感が濃く漂っている今、宗教について神仏共に、一般人も含めて再考する時期に来ているのではなかろうか。

 五山の送り火が晴れの日になりますように。

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